Episode8 Mortal Combat -死闘-

“La…LaLa…LaLa…”


 響き渡る歌が、黄金の月とその光に染まった金色の海を包みこむ。

 そして、輝く海の中、一人の乙女が祈るように両手を組み、一心不乱に歌い続けていた。

 一糸まとわぬ白い肌に、濡れた濃青の髪。

 それは、この世ならざる美しさを持った乙女だった。

 誰もが目を奪われる幻想的な光景だろう。

 が、悩ましい曲線を描く臀部でんぶが浸っているその周囲の波間には、獰猛に牙を剥く六匹の巨狼と無数のタコの触手が蠢いている。


 “海女怪スキュラ”。

 伝承では、ギリシャの英雄オデュッセウスがその生息域に入り込んだ際、その六つの巨狼の口で六人の船乗りを捕え、貪り食ったとされる。

 さすがのオデュッセウスも、その悲鳴を聞きながら必死に逃げるしか出来なかったともいわれており、正に最悪の海の怪物といえた。


 魔海に漂っていた霧は、今やミュカレ(魔女ウィッチ)の魔術によって既に吹き散らされている。

 遂にその異様な姿を晒した海女怪スキュラを、頼都らいと鬼火南瓜ジャック・オー・ランタン)が、鋭い目で見つめた。

 そのまま、小型クルーザーの舳先に立つと、煙草を咥えたまま海女怪スキュラを見上げる頼都。


「よう。確か、美汐みしおっつったっけか…ご機嫌で熱唱ライブ中のところ、悪いな」


 煙草を海に投げ捨てると、頼都は続けた。


「お前さん、この海で人間を喰らっていただろう?そいつは“ルール”違反だってことは知っているよな?」


 海女怪スキュラ…美汐はそんな頼都の言葉など聞こえないように歌い続ける。

 頼都は構わずに続けた。


「知っての通り“解禁日ハロウィン”まで二カ月はある。どれ程飢えていたのか知らんが、あの坊主かんざきを使ってまで餌が欲しかったのか…?」


“La…LaLa…LaLa…”


 返答はもの悲しい歌声だった。

 頼都は舌打ちした。


「こっちの話を聞く耳は持たずか…OK。んじゃあ、お前にくれてやる言葉は一つだけだ」


 右手にはめた黒い革のライダーグローブを引き締めると、頼都は掌を開いた。

 そこに音も無く紅い炎が燃え上がる。

 その火影に照らされた頼都の顔に、再び焔魔“鬼火南瓜”の異相が浮かんだ。

 悪魔の様な炎の影が、笑みを浮かべる。


Go To Hellばれ点火イグニッション!」


 右腕を一振りすると、掌の炎は爆発した様に激しく燃え上がり、弧を描いて大気を焼いた。

 そのまま頼都の腕が丸ごと炎に包まれる。

 右腕全体に燃え広がった炎に、頼都は苦痛の色も浮かべない。

 遠い昔、彼が地獄の悪魔を騙し、魂と引き換えに得た炎の魔石「煉獄の石炭ゲヘナ・コール

 体内に埋め込まれたそれは、絶えず彼の肉を焼き、熱をもたらす。

 そして、あらゆるものを焼き尽くす地獄の業火を、彼の意のままにさせるのである。

 頼都が放つ明らかな敵意に、触手が反応した。

 何本もの触手が、槍のように頼都へ殺到する。


「頼都殿!」


 身動きしない頼都に、リュカ(人狼ウェアウルフ)が思わず声を上げる。

 が、


神紅ノ鏃クリムゾン・キャノン


 頼都が右手を打ち振るうと、数条の炎が矢のように触手を迎撃した。

 その火力たるや凄まじく、触れただけで太い触手が完全に炭化する。

 のたうち、海中へ没する触手に代わり、今度は巨狼が牙を剥いて襲い掛かってきた。


陽焔ノ具足ソル・ブレイズ


 頼都の身体を丸ごと噛み砕こうとする巨狼。

 その口腔が頼都を飲み込もうとした瞬間、白熱した。

 正しくは、頼都の身体全体が高熱の炎に包まれたのだ。

 巨狼は声も無く頭部を丸ごと焼失し、痙攣けいれんしながら倒れ伏す。

 再度右腕を振るい、全身から炎の残滓ざんしを振り払う頼都。


「凄い…」


「わお」


 上空のアルカーナ(吸血鬼ヴァンパイア)とミュカレが瞠目する。

 炎を吐く怪物や炎の魔術は多く存在する。

 が、ここまでの熱量を持った炎を顕現させる者はそうはいない。

 相手は紙や木ではない、生き物だ。

 それもこの世の理から外れた「怪物」である。

 それを一瞬で焼死させるなぞ、尋常な技ではない。

 見慣れてはいるが、改めて頼都オリジナルの殺戮格闘術「焔魔処刑闘法イグニッション・アーツ」には驚かされるばかりだ。

 凄惨極まる光景の中、頼都は焼けて異臭が立ち昇る巨狼の死骸を無慈悲にも踏みつけた。


海上ホームグラウンドだからって調子に乗ってるのか…?この程度で俺をれる訳がねぇだろう」


 不敵に笑い、歌い続ける海女怪スキュラを見る頼都。

 が、身体の一部ともいえる巨狼や触手を焼かれても海女怪スキュラは苦痛に顔をゆがめる事も無く歌い続けている。

 眉根を寄せ、頼都は呟いた。


「ここに来てもまだ無視か…気に入らねえ」


隊長キャプテン奇襲バックアタックです…!」


 と、不意にフランチェスカ(雷電可動式人造人間フランケンシュタインズ・モンスター)が警告を発する。

 頼都の背後から、いつの間にか別の触手が忍び寄っていたのだ。

 それは頼都の左足に一瞬で巻き付くと、その身体を物凄いスピードで海中へと引っ張り込んだ。


「チッ!」


「頼都殿!」


 リュカが慌てて駆け寄るも、頼都は炎を繰り出す間もなく海中に没した。


「No!大変デース!」


 いくら「煉獄の石炭ゲヘナ・コール」の持ち主でも、大量の水に包まれた海中では炎も発しにくいだろう。

 船縁に駆け寄ろうとするリュカ。

 しかし、


「ミス・リュカオン、大変なのは私達もです」


「What!?」


 フランチェスカの声に振り返ったリュカは、再度襲い来る巨狼と触手の群れを目にした。

 頼都が居なくなった合間に、総攻撃を仕掛けてきたようだ。


「フラン!」


「落ち着いてください。隊長キャプテンを助ける為に、まずはこれらを迎撃しなければ元も子もありません」


 襲い来る触手を引き千切り、巨狼に雷撃を見舞いながら、フランチェスカが冷静に告げる。

 その様を上空から見下ろしながら、アルカーナがミュカレに言った。


「レディ、また、君の魔術でどうにか出来ないのか?」


「特大のをぶっ放せば手早くケリはつくけど…下手をしたら、海の中の隊長キャップも一緒に蒸発させちゃうわねん」


 そんな事を言っている間に、二人にも再度触手が遅い掛かって来た。


「くっ!寄るなと言ったろう、気持ち悪い!」


「生憎だけど、触手プレイに興じてる状況じゃないのよ…『Abracadabraアブラカダブラ!』」


 爪と外套マントを打ち振るい、触手を切断していくアルカーナ。

 ミュカレも魔術弾を放ち、迫る触手を撃退する。

 切り裂いても、引き千切っても、次々に襲い掛かって来る触手と、その合間を縫って牙を剥く巨狼達の波状攻撃に、四人は良く応戦するものの、切れ間の無い猛攻に徐々に押され始めた。


「Shit!キリが無いデース!」


「確かに。このまま持久戦に持ち込まれたら、いささか損耗しますね」


 息を吐くリュカに、フランチェスカも同意する。

 空を飛べるアルカーナ達と違い、二人は船上の限られたスペースで応戦しているため、自然と防戦気味になっていた。


「こうなれば、やはり本体を潰すのが得策なのですが…」


 歌い続ける海女怪スキュラを見やりながら、フランチェスカが呟く。

 それにリュカが薄く笑う。


「つまり頭を討つヘッド・ショットネー!…なら、ここは一丁突撃あるのみヨー!」


 刀を咥え、四足獣の構えを取るリュカ。


「単独なんて無茶です、ミス・リュカオン…!」


 だが、フランチェスカが止める間もなくリュカは疾走を始めた。

 無数に襲い来る触手の群れを、持ち前のスピードで避けていくリュカ。

 並外れた俊足を誇るリュカならではの体捌きだった。


「いざ、大将首Getネー!!」


 船縁を乗り越え、大きく跳躍するリュカ。

 咥えていた刀を構え海女怪スキュラを眼下に捉える。


「“無流”剣伝『迅煌じんおう』!」


 大上段に構えた刀を振り下ろすリュカ。

 ただの唐竹割りではない。

 信じられない事に、リュカは「空気」を足場として蹴り、常識を超えた降下速度を発揮していた。

 強靭な脚力を持つ人狼の能力と「幻の武術」とされた“無流”の鍛錬が生みだした、物理法則を無視した立体殺法である。

 流星と化したリュカの刃が“海女怪スキュラ”に迫る。


「斬(Kill)…!」


 しかし…

 その動きに反応し、何本もの触手が集っていた。

 それらはまるで壁のように重なり、リュカの太刀筋を阻む。

 刃と肉が衝突し、凄まじい音が響いた。

 アルカーナが思わず声を上げる。


「やったか…!?」


「…いいえ、浅い!」


 ミュカレの指摘通り、リュカの刃は幾重もの触手を断ち切りながら、最後の一枚のところで阻まれていた。


Goddamnガッデム…!!」


 口惜しげに牙を剥くリュカ。

 その身体を、無数の触手が遂に捕縛した。


「いかん…!」


 咄嗟に救難に向かおうとするアルカーナ。


ガルルルルル…!


 が、その行く手に巨狼が立ち塞がる。

 それを認めたアルカーナの眼が赤光を放った。


「退け、獣!」


 牙を見せ、アルカーナが巨狼に真紅の爪を突き立てようとする。

 それに合わせて、ミュカレも呪文の詠唱を始めた。


(間に合え…!)


 普段見せない真剣な表情を受かべつつ、内心そう呟くミュカレ。

 思わず気が急く。

 その視線の先で、リュカが苦悶の表情を浮かべながら触手に飲まれていった。

 船上でも、フランチェスカが何とか近寄ろうと孤軍奮闘しているのが見えた。

 が、やはり巨狼と触手に阻まれ、それも叶わないようだった。


「この!離すネー!!」


 必死にもがくリュカ。

 が、触手の拘束は更に強まっていく。

 しかも、


ガルルルル…!

ガアアアッ…!


 巨狼がその顎を開き、涎を垂らしながら近付いてきた。

 それに気付いたリュカの口元がヒクつく。


「No!?私は美味しくないヨー!?最近少し太ったし!?きっと高カロリーネー!」


 慌てて暴露気味の言い訳をするが、巨狼達は飢えを隠そうともせずリュカの身体をねめつけていた。


「共食い反対ー!!」


 リュカのその声に応えるかのように。

 不意にその真下の海が湧きたつ。


ガル!?


 それに巨狼達が気付いた瞬間。

 海中から一条の紅い熱線レイビームが放たれる。

 それは海水を蒸発させながら、リュカに迫っていた巨狼の首を切断…いや、した。

 驚愕で死に顔を彩りながら海に没する巨狼の首と入れ替わるように、触手を伝って何者かが海中から駆け上がる。


「頼都殿…!」


隊長キャプテン…ご無事で」


「頼都君!」


「ヒュ~♡さっすが…!」


 その姿を認めたリュカ、フランチェスカ、アルカーナ、ミュカレがそれぞれ驚きと安堵の声を漏らす。


「待たせたな」


 ましらの如き動きで、リュカを拘束する触手を登りつめると、頼都は燃え盛る右手で触手を指差した。


赫焔ノ弾奏レイ・リボルバー…!」


 指先から放たれる紅の熱線。

 高密度に収束された炎の刃が、リュカを捕えていた触手を一瞬で溶断する。

 拘束を解かれたリュカは、慌てて刀を手に船上に退避した。


「Thank you、頼都殿!」


「先行し過ぎだ。猪かお前は」


 舳先に降り立ち、溜息を吐く頼都。

 見上げれば、上空でもアルカーナが巨狼を仕留め、ミュカレの魔術が止めを指している。

 形成は一気に逆転した。

 そして、一瞬で多数の触手と巨狼を失った海女怪スキュラが、僅かに閉じていた目を開く。

 それに伴い、流れていた歌が止まった。


「ようやく反応してくれたか、お嬢さん」


“貴方達は昼間の…”


「その節は、大層なご挨拶を頂いてどうも。俺達は『Halloweenハロウィン Corpsコープス』…聞いたことくらいあるだろ?」


 皮肉を交えた頼都の言葉に海女怪スキュラが僅かに目を見開く。


“…ええ。我らの天敵。永遠の夜の狩人ね”


「なら、俺達が来た理由も分かるな?」


“勿論”


 そして海女怪スキュラは何の感情も込めずに答えた。


“待っていたわ。貴方達が来るのを”


「…待っていた?」


 頼都は僅かに眉根を寄せた。

 その時だった。


「させないぞ!」


 不意に一つの影が頼都と海女怪スキュラの間に立ちはだかる。


 神前かんざきだった。

 頼都に失神させられていた神前が、先程までの戦闘の衝撃で意識を取り戻していたのだ。

 神前は海女怪スキュラを庇うように両手を広げ、頼都を睨みつけた。


「彼女には…美汐には指一本触れさせない!」


 昼間見せた穏やかな様子とは打って変わった鬼気迫る表情で、神前が叫ぶ。


「…どいてろ、坊主。お前の出る幕じゃねぇ」


「いいや…絶対にどかない!彼女を殺させはしない…!」


 玲瓏と輝く月の下、二人の視線がぶつかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る