Episode2 Invitation -誘い-

 今夜は月が明るい。

 だから…足元に落ちる影も濃い。

 この月光のお陰で、帰り道は怖い思いをしなくて済んだ。


「あの人、何か知っている感じだったな」


 時坂ときさか 深月みつきは、自分を助けてくれた青年…頼都らいとの顔を思い出した。

 疲れた様な気だるい感じの若者だったが、僅かに見せた笑顔は好きな俳優に似ていたように思う。

 何にせよ、宛ても無く始めた聞き込み調査だったが、手掛かりらしきものを得られたのは僥倖ぎょうこうだった。

 彼に再会できる保証はないが、もしかすればあの場所でまた会えるかも知れない。


「うん。明日の夜も行ってみよう。出来る事はやらなくちゃ」


 警察の捜査も始まってはいるが、成果は芳しくないと聞く。

 それと比べても、自分の聞き込みなどは微力に過ぎないだろうが、彼女自身、何もしないでいるのは我慢が出来なかった。

 やがて、自宅まであと少しといった距離まで来た時だった。


“…けて”


「…?」


 不意に深月は誰かの声を聞いた気がした。


“…す…けて…”


 今度は少しだけだったが、ハッキリと聞こえた。

 周囲を見回す深月。

 だが、人影はない。

 辺りは住宅街で、近くには大きめの公園があるだけだ。

 そこも無人のようだった。


“た…す…けて…”


 深月の目が見開かれる。

 この声。

 幽かだが、聞き覚えのあるこの声は、姿を消した親友…優香ゆうかのものだ。


「優香!?優香なの!?」


 そう呼び掛けるが、声は消えてしまった。

 代わりに、公園の中にボンヤリと明かりが見える。

 公園には林道もあり、その中から光が漏れていた。


「誰かいるの…?」


 深月の足が公園へと向く。

 月明かりはあるが、林道に入るとほぼ暗闇だった。

 つまづきそうになりながらも、深月は光に近付いていく。

 確か、林道の奥には広場があった筈だ。

 誰かがそこで花火でもしているのだろうか?


「え…」


 広場に着くと、そこには大きな門扉があった。

 光はそこの門扉の両側に灯った古風なランタンから漏れていた。

 鉄柵で出来た洋館に合いそうな門扉は、トウセンボをするように閉ざされており、明かりがあるにも関わらず、奥を覗いても暗闇が広がっていて何も見えない。


「こんな所にこんな門はなかったと思うけど…」


 想像外の光景に、戸惑っていた深月の目の前で、門がきしむ。

 見れば、誰も居ないのに門扉がひとりでに開いていった。


「…すみません。誰かいるんですか…?」


 逡巡した後、恐る恐る中にそう声を掛けてみる。


「おりますとも」


「きゃあっ!?」


 不意に。

 背後から声を掛けられ、深月は跳び上がった。

 慌てて振り向くと、一人の背の低い黒い服の老人が立っていた。

 禿頭に白いあごひげ、執事の様な恰好をした老人だ。

 深月は「白雪姫」に出てくる七人の小人を連想した。


「あ、ど、どうも、スミマセン。明かりが見えたので、誰かいるのかな、と」


「ああ…この明かりをご覧になったのですか」


 老人は人懐っこい笑みを浮かべた。


「そうですか、そうですか。では、貴女がという訳ですな」


「えっ…」


「お見受けするに、貴女は優香様のご学友ではありませんか?」


 思いもよらぬ言葉に、深月が驚愕する。


「そう、ですけど…優香を知ってるんですか!?」


「ええ。少し前からこちらにご逗留されております」


「逗留って…えっ?どういう…」


 老人はすたすたと開け放たれた門扉に近付いた。


「さ、どうぞ。ご案内いたしましょう。貴女の事は、優香様から聞き及んでおります。不肖、私イゴールめがお連れいたしましょう」


 振り向いてそう言う老人に、深月は躊躇ためらった。

 何もかもがおかしい。

 この門も、老人も、あり得ない存在だ。


“たす…けて…”


 その時、不意に優香の声が門の奥から聞こえた。


「優香!?貴女なの!?」


 深月は思わず叫んだ。

 今度はハッキリと聞こえた。

 行方不明になった親友が、助けを求める声が。


「お急ぎください」


 老人が足を踏み入れると、門扉が軋みを上げて閉じ始める。


「待って!」


 暗闇に消えそうな老人の背中を追い、深月は勇気を振り絞って飛び込んだ。

 後にはただ静寂が落ちる。

 その静寂の中、小さな羽ばたきが聞こえた。


「キキィ」


 それは一匹の蝙蝠こうもりだった。

 木の梢に羽を休めていた蝙蝠は、一部始終を見届けると、月夜の空に飛び立っていった。

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