夕焼け

諒太郎

無関心

 眩しさが眼に刺さり、僕は目を覚ました。しかし決して眠っていたわけではない。瞼は確かに、ずっと開かれていたはずだった。にもかかわらず、僕がその間に何かを見ていたという記憶は全くない。僕は不思議な感覚に襲われた。

 

 咄嗟に周りを見渡すと、いつも自分が勉強している机が見えた。棚には教科書が無造作に机に積まれている。窓のカーテンが半ば空いていて薄暗い部屋に西日が赤い筋を作っている。どうやら眩しく感じたのはこれが原因らしかった。

 “今、何時だろう…”

 体に刷り込まれた習慣が私にそう告げた。私は時計を探すために軽く周りを見回した。が、時計は見つからなかった。いつも時計が置かれている机の一角は何故か空いていた。いつから時計を失くしてしまったのかは思い出すことができなかった。


 「ねぇ…。」

 後ろから小さな声がして振り返ると、弟が立っている。僕が椅子に座った状態でちょうど背が同じくらいだ。薄暗い部屋にもかかわらず弟の顔はよく見える。そこだけぼんやりと明るくなっているようだった。

 弟の顔に二つ付いた眼はどこか可哀想なものを見ているようだ。その視線が僕に向けられていることが分かると、何となく腹立たしく感じた。

「まだ、自分の家族を苦しめるの。」

弟は確かにそう言った。さっきと同じように小さな声だが、その声には憤りが含まれていた。全く訳が分からない。謎めいた言葉を使って僕をからかおうとしているのだろうか。そう思って弟を見たまま黙っていると、弟は部屋を出て行ってしまった。


 呆気に取られてしばらく何もできなかった。はて、どうしたものだろう。弟は機嫌でも悪いのだろうか。そうは考えたが、何かをしてやろうという気にはなれなかった。疲労感が僕の体を満たしていて、何時間も座っていたような感覚がした。

 居心地が悪いが、かといって何かを始める気力も湧いてこない。


 少し考えてから、なけなしの気力を振り絞り僕は立ち上がった。部屋を出て居間へと向かった。そこには食卓を並べるテーブルと家族が座る椅子、少し離れた場所にはブラウン管テレビが並んでいる。すべて配置がいつもと同じで、ここが僕の家であることは確かだ。しかし、その光景を見ても僕の心に安心感は湧きあがってこなかった。


 何となく居心地の悪さを感じて僕は外へ出た。外は見事なまでの夕焼けで、オレンジだけでなく赤、紫、黄色、そして雲の白が太陽を中心に層を作って回っているように見えた。少し歩いてみよう、そう考えた僕は当てもなく歩き始めた。

 公園、住宅街、河原…。僕は順番に歩いた。どの光景からも夕日と影のコントラストを強く感じた。暗いところはまるで夜が一足早く来たように暗く、明るいところは夕日が風景に反射して眩しいほどに明るかった。


 いくらか歩いてふと気づくと僕は歩道橋を歩いていた。僕の他にこの歩道橋を歩いている人はいない。ふと立ち止まって下の道路を見ると、車が止まることなく流れている。道路の隣の歩道に視線をずらすと、たくさんの人が歩いている。彼らは立ち止まることも、横や後ろを振り返ることもなく、前進している。

 僕の周りで立ち止まっているのは僕だけだった。皆まっすぐ前だけを見て進んでいる。そして、そのスピードはだんだんと速くなっていくように僕は感じた。


 僕は歩道橋の手すりに足をかけた。錆びがついた鉄の歩道橋はカーンと音を立てた。僕はその音を気に留めることもなく、子供の時にジャングルジムを登った時のように上へと昇った。

 手すりの上に立ち上がると、僕はもう一度周りを見渡した。その歩道橋の高さはそれほどなかったようで、立ち上がった僕が拍子抜けしてしまうほどだった。

 十分に周りを見渡した後で僕は片足を前へ突き出し、歩き出した。その先に足を置く場所はなく、すぐに内臓を掴まれるような緊張感を感じた。その感覚を伴ったまま、僕はどんどん傾いていった。そのうちに、風を切る音が聞こえはじめた。

 

 何かを考えようとしたが、その直前に目の前が暗転した。


 僕は家の居間にいた。目の前で家族が夕飯を食べている。ご飯とみそ汁と筑前煮と魚のフライがテーブルに並んでいる。僕が座ろうと思った椅子には洗濯物が積まれてそのままになっている。

 僕は立ったままその光景を眺めた。別段何も感じなかった。まるで自分の興味のないテレビがつけっぱなしになっていて、それを見ているような感覚だった。

 父親も母親も弟もみな黙々と食事を口へ運んでいる。箸を持っていく先の口だけが、彼らの表情の中で唯一動く部位となっているようだった。


 弟が視線をずらした。僕と目が合った。その目からは、弟から僕に何かを伝えたいという意思を感じることはできない。ただ、僕の方へ眼が向けられていた。

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夕焼け 諒太郎 @Ryo-taro

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