第26話 月明かりの決裂

《高等部二年生 六月》


※ 前回のあらすじ


 しきもとはるからの告白を断ったしろあきらは、工房ラボに置かれていた界力石クォーツに入力された過去の自分からのメッセージを受け取り、遂に妖精の悪戯フェアリー・ウィズパーの呪縛から逃れる事に成功する。


 とうごうしょうじゅんを信じて共に進むか、敵と定めて銃口を向けるか、投棄地区ゲットーから逃げ出すか。全てを思い出した御代僚の決断とは――?


-------------------------------------------------------


 運命の夜は、いつも通りにやって来た。


 アキラは投棄地区ゲットーの森の中に伸びる古い道路を歩いて、工房ラボからアイオライトが本拠地として使っている『小屋跡』を目指していた。梅雨も終盤に差し掛かった最近は夏を予感させる暑い日が続いているが、今夜だけは空気がひんやりとしていた。熱を帯びた身体には心地の良い気温だ。

 すでに完全に夜の帳が下りていて辺りは真っ暗だ。街灯のない投棄地区ゲットーでは月明かりしか頼りになるものがなく、本日の夜空のように薄らと雲が掛っているだけで一気に心許なくなる。完全に暗闇という訳でもないが、それでも携帯端末のライトがなければ亀裂の入ったアスファルトに躓いて転びかねない。

 

 森が途切れて、道路の先に開けた空間が見えてくる。にびいろに錆び付いたトタンの外壁が物寂しさを醸し出している二階建ての小屋。吹き晒しになっている赤い金属製の階段に付けられた電灯が弱々しく夜闇を追い払っていた。


 工房ラボでウエストポーチに入れてきた界力武装カイドアーツの重さを意識しながら、ゆっくりとした歩調で小屋の前の広場へと入っていく。テニスコート二つ分くらいの何もない空間。地面に敷かれたアスファルトは何年も舗装されておらず岩肌のようにボコボコしており、隙間からは雑草が顔を出していた。


「やあ、アキラ。待っていたよ」


 広場の中央に立っていたのはとうごうしょうじゅん――ショージュンだった。

 育ちの良さを窺わせる品のある顔立ちに、触れれば折れそうな華奢な体付き。形の良い眉に掛かる黒髪がかげを落とすのは、妖しい光を湛えた紫水晶アメジストの瞳だ。柔らかい表情で静かに佇むその姿は、どこか場違いで不気味だった。


「なんだよ、俺の事を待っていてくれたのか?」


 十メートル程の距離を取って止まったアキラは、ぐるりと広場を見回した。

 ショージュンの隣ではうえごう――ゴウキがにやにやと腹立たしい嘲笑を浮かべてこちらを見ている。意外だったのは、小屋一階の倉庫のシャッターが開いている事だ。半年近くここを本拠地として使っているが、倉庫の中を見たのは初めてだった。


「(……なんだあれは、ほこらか?)」


 神社にあるような立派なものではなく、田舎道にぽつんと置いてあるような小さなタイプだ。扉の閉められた木製の祠に触れているのは眠たそうな半目のらいほう――ライメイ。その隣には俯いてクセ毛で表情を隠したしきもとはる――ハルが立っている。


「……っ」


 ハルの姿を確認してきゅっと胸が引き絞られた。思わず声が出そうになるが、口を衝いて飛び出しそうになった言葉を慌てて押し戻す。今はまだ声を掛ける資格がない。チクチクとした痛みを胸の奥へ押しやって、アキラはショージュンへと向き直った。


「これで全員か? 他のアイオライトのメンバーは?」

「声を掛けてないよ、俺の計画シナリオには必要ないからな。さて、じゃあ早速答えを聞こうか。悪いがあんまり時間がない。元々これは計画シナリオにはなかった展開なんだ、ブレるにしても最小限に留めたい」

「その前に、一つだけ確認させてくれ」


 一呼吸置いて、刀の切っ先を突き付けるようにショージュンを睨み付ける。胸の奥から湧き出す熱い想いが抑えられない。荒れ狂う海が如く激甚な感情の奔流。真冬の湖底のように冷たい声で訊ねた。


?」


 時間が。

 止まったような。

 沈黙があった。


「アキラ、お前……っ」

「ずっと腑に落ちたなかったんだ、どうしてお前が投棄地区ゲットーをぶっ壊しやがったのかって。なくしたくない、失うのが怖い……ふざけんなよ詐欺ペテン師が、そんな殊勝な事は微塵も考えてなかったはずだぜ! テメェの目的は本物の居場所を取り戻す事なんかじゃねぇ! 父親への復讐を果たすために、界術師として成功するために、『裏側』に足を突っ込んだ! そんでもって、無様にしっぺ返しを喰らった結果がこの様なんじゃねぇのかよ!!」

「……、」


 ショージュンの顔から色が消えた。冷徹に細められた紫水晶アメジストの瞳がじっとアキラを見詰めている。


「黙ってねぇで何か反論したらどうだよ、ショージュン!」


 まなじりを吊り上げて、気勢鋭く叫んだ。


「テメェは自分勝手な想いで投棄地区ゲットーを破壊したんだ! 多くの人の願いや想いを踏みにじって、俺達の大切なモンを跡形もなくぶっ壊しやがった!! それがどれだけ罪深い事か解ってんのかよ! 投棄地区ゲットーを、アイオライトを、心の拠り所にしてたヤツだって居るんだぞっ!! どんな理由があれ、テメェの一存でやっていい事の領分を遙かに超えてやがるだろうがっ!!」


 一歩。

 踏み出して、ぐるりと周囲を見回した。


「ハル、ライメイ、ゴウキ! テメェらいつまで寝てんだ、いい加減起きやがれ! ショージュンについて行った先にテメェらが思い描くような未来なんか存在しねぇぞ! ショージュンに使い潰されて、想いを踏みにじられて、紙クズみたいに捨てられるだけだ! 甘い言葉に惑わされて道を踏み外すな!! 今ならまだ間に合うんだ、本当に戦うべき相手を見極めろッッッ!!」


 この場にアキラが居る事は計画シナリオにはないと言った。ならばショージュンが隠していた秘密が他の仲間に知られる展開は完全に予想外であろう。


 これが、アキラの切り札。


 予定調和を破壊する。

 登場人物として舞台に上がった今ならば、台本を変える事だってできる。


「ショージュン、俺はテメェを止めるためにここに来た! お前の選択は間違っている! だから全部真実を話して、俺達にもう一度向き合ってくれ! アイオライトはこの程度の歪みで崩壊するような半端な繋がりじゃねぇんだ。全部リセットして、まだ始めからやり直せば――」

「――ふっ」


 アハハハハハハハハハハハ!! とショージュンの哄笑が夜闇に響き渡った。


「アキラ、それがお前の王手チェックか?」

「……何が、おかしい!」

「なんだ、まだ気付かないのか? この明かな異常に」


 言われてから、ようやく気付いた。


「(どうしてだ、!?)」


 父親への復讐という身勝手な理由で『裏側』に関わり、その結果として投棄地区ゲットーを破壊した。これは明確なショージュンの裏切りだ。初めて聞かされたのならば、平常心を保っていられる訳がない。


「まさ、か……っ!?」

「その通り、もうみんな知ってるんだ。俺があの憎い男に復讐するために動いてる事も、過去にアキラを裏切った事も、全てな! それを理解した上で俺について来るという選択をしてくれたんだよ!!」


 狂気が滲んだショージュンの笑みが、夜闇に溶け込んで鋭さを増していく。信じられないと言わんばかりにアキラは他のメンバーの顔を見回した。


「(どうしてショージュンの秘密を理由を知っても裏切られたと感じなかったんだ!? ショージュンについて行くって選択ができる!? もしかして俺は、何か大切な事を見落として――)」


「間違っているのはお前だよ、アキラ」


 左手を片目に添えて、勝ち誇ったように告げた。


「やはりお前を計画シナリオには組み込めない、ここで舞台から退場してもらうぞ」


 その声をきっかけに、この場にいる全員が鋭い視線をアキラに向けた。ぐん……ッ、と空間そのものが歪むような錯覚。アキラには、その様子がまるで


「……ああ、そういう事か」


 敵意という圧力が暴風となって吹き荒れる。立っていられない程の逆風を全身に受けたアキラは、身を引き裂くような悔悟を言葉に込めて告げた。


「はっきり解った……ここはもう、俺の居場所じゃねぇ!!」


 アクディートの銃口をショージュンに向けて、鋭い視線を突き立てる。


「だったら俺が止めてやるよ、テメェらが間違ってるって証明してやる! どんな理由があるか知らねぇけど、こんな結末が正しい訳ねぇんだからなっ!!」

「やれるモノならやってみろ! 本物の王手チェックってヤツを教えてやる!」


 唇に鋭い笑みを刻んだショージュンが、指を鳴らして高々と手を掲げる。


 直後。

 ズンッッッ!! と強大な圧力がアキラにのし掛かった。


「なん、だよ……これっ!?」


 重力が何倍にも膨れ上がったと錯覚する程の圧力が全身を地面に縫い付ける。立っていられずに思わず膝を付いた。起き上がろうと下半身に力を入れても、巨大な手に背中を押さえ付けられているように体が持ち上がらない。

 ガクガクと震動する視界の中で見つけた変化。それは小屋の一階にある物置の中で、赤い界力光ラクスを放ちながら小さい祠に触れているライメイの姿だった。


「(けっかいじゅつしきか……っ!)」


『始まりの八家』の一つであるちん西ぜい。生み出した方式はけっかいじゅつしき


 世界を構成する三つの次元の第二層。粒子状の界力が存在する『げん』からは、微量ではあるが人間が生活する『げんじつげん』へと界力が流れ込んでいる。本来なら無害なのだが、何かの拍子に意味合いを帯びてしまえば、その影響は界力次元を通過して『世界の記憶メモリア』が保管された『おくげん』へと波及する。そうなれば、なし崩し的に超常現象が発生してしまう訳だ。

 けっかいじゅつしきを使う界術師は、この原理を利用する。

 彼らが干渉するのは自然界に存在する『界力の流れ』――界力稜カイドライン。等圧線のように世界を流れる界力稜カイドラインを意図的に掻き乱し、界力術の素となる世界の記憶メモリアを反応させ、現実次元にて超常現象を巻き起こす。彼らが界力稜カイドラインを操作した空間を『けっかい』と呼んだ。


「(クソ、力が強過ぎる! 俺の身体強化マスクルじゃ抵抗できねぇ!!)」


 歯を食い縛っていなければ、今すぐにでもアスファルトに這いつくばりそうになる。全身が強力な磁石にでもなった気分だ。実力カラーが赤色のライメイに対してアキラは黄色。実力カラーの二色差とは、界術師にとって絶望的な戦力の違いを意味する。紫水晶アメジストの瞳に鈍い光を浮かべたショージュンを睨み付けるだけで精一杯だった。


「なんだ、もう終わりかアキラ。抵抗してもいいんだぜ?」


 ゆっくりとした歩調で近づいていたゴウキが目の前で立ち止まる。おそらく何らかの細工で術式の効果を受けないようにしているのだろう。そのトリックさえ解明できれば裏を掻けるかもしれないが、結界術式について座学以上の知識を持たないアキラでは活路を見出す事はできそうにない。


 ニヤニヤとかんに障る薄ら笑いを小造りな目許に浮かべたゴウキが、嘲弄混じりに告げた。


「残念だったな、俺達の勝ちだ。敗者は大人しく風紀委員会のエサにでもなってくれ」

「ふざ、けるな……っ」


 ギリギリッ、と砕けそうになるまで奥歯を強く噛む。錆び付いたように動かなくなった関節に無理やり力を入れ、わずかではあるが体を持ち上げた。


「こんな、こんな所で……俺は、まだ――っ!!」


 燃えるような眼差しでショージュンを、ハルを、ライメイを、交互に見詰める。それでも、何も変化は起きない。視界の端に映ったのは、橙色の界力光ラクスを迸らせたゴウキが硬く握った拳を振り上げる姿だった。


「クソォォッタレェがァァぁぁぁあああああああああああああああああああああああッッ!!」


 アキラの悲痛な咆吼が夜闇を貫いて響き渡った――直後。


 ドンッッッ!! と。

 すぐ隣の空間に、夜空から何かが飛来してきた。


 それは、黒く巨大な狼だった。

 夜を纏ったと錯覚する程に黒く立派な毛並みが、人間の力など遙かに凌駕する強靱な筋肉を覆っている。精悍な顔付きに浮かぶのは闇を貫くように赤く輝く双眸。グルルル……ッ、と威嚇しているのか口許からは鋭い八重歯が覗いていた。


「なに、が……?」


 ぐっ、と猛烈な力で夏服が引っ張られる。黒い狼に乗って来た誰かによるものだと認識した時には、すでにアキラの体は狼の背中に乗せられていた。チクチクとした毛並みが夏服を貫通して全身を細かく刺激する。


はしれ、ふうぼう!!」


 何者かの鋭い掛け声とほぼ同時に、抱き付いている黒い巨体がわずかに沈んだ――途端、嵐を思わせる突風が吹き荒れた。訪れるのは肝が冷える浮遊感。絶叫マシーンを彷彿とさせるGが激しく内臓を揺さぶる。


「空を、飛んでいる……っ!?」


 藍色に染まった夜空への距離が近い。手を伸ばせば煌々と光り輝く黄金の月に手が届きそうだ。興味本位で視線を下に向けて後悔した。眼下に広がるのは黒に塗り潰された投棄地区ゲットーの森。今更ながらに命の危機を実感して全身が粟立った。


「あれが結界術式か。想像以上に力強かったけど、実力カラーが同じだから何とか抵抗できたって感じですね。何にせよ、間に合って良かった」


 少し前に座り、黒い狼を操る高等部の男子生徒がこちらに振り向く。

 さらりと纏まった黒髪に、線が細くて中性的な容姿。背中に掛けられているのは長細い巾着袋。あどけなさを残した顔付きには似合わない深さを持った黒い瞳は、差し込む月光を映して淡く輝いていた。


「お前は……!」

「風紀委員会直属部隊『とくはん』のきりさわなお


 にやり、とナオヤは得意げに片頬を持ち上げた。


「助けに来ましたよ、アキラ先輩」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る