019 / ざわめき

《高等部一年生 四月》


※ 前回のあらすじ


 ゴールドを仲間にした事で、アイオライトは遂に三大勢力の統一を達成する。正式に寺嶋家が後ろ盾となり、投棄地区ゲットーから風紀委員会の理不尽を排除することができた。

 これからは集まった仲間と如何に楽しい居場所を創っていくか。アイオライトを取り巻く環境は着実に変わりつつあった。


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 時刻は午後六時。

 集会後の懇親会が終わり、本日は解散となった。


 しろあきらは宿泊施設の玄関前で、濃い藍色に染まった空を見上げていた。少し前まで景色を赤く染めていた夕焼けは、その殆どが夜の帳の向こう側へと溶けている。薄らと浮かぶ星々が夜の訪れを歓迎しているようだ。

 懇親会の幹事を務めたくさなぎろうかりなみに頼まれて片付けを手伝っていると、気付いたらこんな時間になっていた。平日における最終下校時刻は午後七時。遅くても午後九時までには生徒寮に帰らなければならないのだが、投棄地区ゲットーの中を進んでいけば寮まで二十分程度だ。まだ急ぐような時間ではなかった。


 少しだけ余裕ができたので、赤茶色の煉瓦レンガ造りの花壇に腰を掛けて休憩する。

 頭上の街灯が照らす玄関前広場には誰もいない。国旗を掲揚するポールが真っ直ぐ夜空へと伸びている。懇親会を計画したメンバーはまだ宿泊施設の中で片付けをしているが、他のメンバーは先に帰ってもらった。おかげで先ほどまでの馬鹿騒ぎが嘘のように静まり返っている。


「大分暖かくなってきたけど、やっぱりこの時間になるとやっぱりまだ寒いな」


 すでに指先から熱が奪われているが、もう少しだけ余韻に浸っていたい。冬の名残のような北風の中で御代は穏やかな表情を浮かべていた。


 充実していた。

 今までに感じたことがないような昂揚感で心が破裂しそうになっている。


「(何が違うんだ? 退屈な教室で過ごしていた時だって、こういう風に友達と遊んでいたのに。こんな満たされた気持ちになった事はなかった)」


 よく学園を舞台にした青春小説やドラマでは、大声で笑って楽しさを爆発させる描写がある。それまでは全く共感できなかったのだが、最近になって、実は人間としてごく普通な反応なのではないかと思い始めた。


 嬉しいから大声で笑って、楽しいから全力で騒いで、悲しいから涙を流す。

 そんな当たり前を恥ずかしいと感じていたのかもしれない。斜に構えて、一歩引いて俯瞰して、理解したような事を口にする。上位者を気取る事こそ格好良いのだと思っていたから。


「(きっと、それは違うんだ。解った振りをしても仕方がねぇ……全身全霊でぶつかった方が心に響くんだって、ハルが教えてくれた)」

 

 笑って、驚いて、泣いて、恥ずかしがる。そんな打てば響くような反応をするしきもとはるが眩しかった。臆面せずに素直な気持ちを晒け出せる彼女が羨ましかった。

 だからこそ、何となくいつも隣にいてしまうのだろう。話していたいと思ってしまうのだろう。自分にはないその輝きを、いつまでも見ていたいから。


「……ハル」


 その名を口にしただけで、ちくりと心が甘く疼く。苦しいような、それでいてどこか心地良いような痛み。ふっと頬を緩め、小さな輝きが散らばった夜空を眺めた。


「お疲れ、アキラ」


 正面玄関から出てきたとうごうしょうじゅんに声を掛けられた。両手で大きなゴミ袋を三つ持っている。懇親会で食べたお菓子やペットボトルを捨てに行くのだろう。御代と同じく新品の制服ブレザーを着た藤郷の顔には、わずかだが疲労の色が滲んでいた。


「ようショージュン。説明してもらおうか、散々俺をアドリブに巻き込みやがって。こっちは何も聞いてなかったんだぜ、恥を掻いた分の報酬を貰わねぇとな」

「悪かったよ、でも俺だって被害者なんだ。会の直前に司会をやってくれって言われんだぞ。諸悪の根源はくさなぎ先輩とかり先輩さ、あの二人は全てを企画してたクセに自分たちが楽しみたいって理由で司会を押し付けたんだから」


 藤郷が恨みがましそうに宿泊施設の方へ鋭い視線を向ける。同じく施設の方へ視線を向けた御代は、呆れ混じりに口許を綻ばせて、


「またあの二人か……まあいいさ、無事に終わったんだし。貸し一って事にしとくし、いつか返してもらうぜ」

「それは怖いな、常に背中に銃口を突き付けられてる気分だよ」


 肩を竦めて眉尻を下げる藤郷だったが、言葉とは裏腹にどこか楽しげな様子だった。


「俺も片付けを手伝うよ。ゴミ袋をいくつか渡してくれ」

「いや大丈夫だ。それよりすみ先輩が探していたぞ、二人で話したいことがあるとかで」

「佳純先輩が……?」


 意外な名前だった。二人きりで話すような内容があった記憶がない。


「解った、行ってみる。……ただ、その前に一つだけいいか?」

「なんだ?」

「えーと、」


 脳裏を過るのは、集会の前にかどみやきょうすけに言われたアイオライトのリーダーの件。わざわざ少人数の時に伝えたという事は、あまり口外して欲しくないという意味なのだろう。

 それでも、聞かずにはいられなかった。一人で決められないという理由もあるが、それ以上に藤郷に隠し事をしたくなかったのだ。


「俺さ、集会の前に恭介さんに言われたんだ。来年からアイオライトのリーダーをやって欲しいって」

「……、」


 間があった。

 何かを飲み込むような刹那の違和感。街灯の光を受けて紫水晶アメジストの瞳が鈍く光る。だがそれは、藤郷の浮かべた曖昧な笑みの下に隠れてしまった。


「そうか、良かったじゃないかアキラ。いや、これからはアキラさんの方がいいか?」

「冗談でも止めてくれ。それに、やっぱり断ろうって思っているしさ」

「……どうして?」

「俺には向いてねぇからだよ。今日の集会を見ていて思った、恭介さんみたいに組織の前に立ってみんなを引っ張っていく事はできねぇ。そういうのはショージュンの方が向いている」


 煉瓦造りの花壇から立ち上がり、御代はあっけらかんとした口調で、


「恭介さんには俺から推薦しておくよ、ただ断るだけってのもばつが悪いからさ。やるかどうかはショージュン次第だけど……正直、考えてはいるんだろ?」

「……否定はしない、もう一年後の話だと思ってたけど早い越した事はないか。解った、前向きに考えておくよ。本格的になりそうなら改めて言ってくれ」


 藤郷が膨れ上がったゴミ袋を持ち直す。歩き出す後ろ姿を見た瞬間、思わず言葉が口を突いて出た。


「ショージュン、俺に隠し事をしてねぇよな?」

「隠し事って?」

「いや、その……」


 振り返った藤郷が浮かべた自然な笑みを見て、舌の先まで迫り上がっていた言葉が霧散した。


「おいおい、心外だな。アイオライトの事でアキラに嘘をついた事はないよ。そんな事をしても何も得にならないだろ?」

「そう、だな……悪い、 変な事を聞いちまって」


 何か確信がある訳ではなかった。

 ただ、三ヶ月前にすみと会っている姿を見てから、どうにも胸がざわつくのだ。ピントの合っていない眼鏡を掛けている気分。無視しても問題ない傷かもしれない。だが、そのわずかな歪みが大きな亀裂に発展するような、曖昧な予感があった。


 ゴミ捨て場へと向かった藤郷を無言で見送ってから、御代は背後の正面玄関から土足のまま薄暗い宿泊施設の中へと入っていく。ソファや棚といった調度品が撤去されたせいで広々としたロビーを抜け、ワックスが剥がれて薄い亀裂の入ったリノリウムの床を歩く。堆積した土埃や汚れが放置されていた年月を物語っていた。古い校舎を思わせる廊下を進み、横開きの扉を開けて教室に入る。


「待っていたよ、アキラ君」


 使い古された黒板の前に立っていた佳純が、にこりと微笑んだ。

 服の上からでも見て取れる女性らしい体付き。暗い色の髪は肩口まで伸ばされ、意志の強そうな瞳からは溌剌さと聡明さを感じさせた。物腰は柔らかいが、すっと一本芯が通っているように落ち着いた雰囲気は年齢以上に少女を大人にしている。


「何ですか、俺に用って?」


 御代は部屋の中央へと移動して、佳純と正面から向き合った。

 宿泊施設が使われていた当時は研修用の教室として使われていたのだろう。壊れて使い物にならなくなった机や椅子が部屋の端で乱雑に積まれている。電灯の光は弱く、夜と影の境界線は曖昧だ。通学用の運動靴で木目調の床を踏むと、ジャリっと砂っぽい感触が返ってきた。

 

「少し、私の話に付き合ってもらおうと思ってさ。雑談するだけだし、そんなに身構えなくても大丈夫だよ」


 佳純は安心させるように柔らかく告げてから、くるりと背後の黒板へ体を向ける。まだ残っていたチョークを教卓から見つけて軽快なタッチで何やら絵を描き始めた。静寂に沈んだ夜の教室跡に、硬質な音が響いていく。


「ねえアキラ君、金魚って飼ったことはある?」

「……金魚ですか? ありますよ、子どもの頃に」

「うん、だったら想像しやすいかな」


 黒板に描かれたのは小さな鉢とデフォルメされた数匹の金魚。佳純は金魚鉢をチョークの先端で指して、


「鉢には冷たくて心地良い水が入っていて、金魚たちは気持ち良さそうに泳いでいるの。でも、少し離れた位置にも別の水槽が用意されている。こっちは最新設備を兼ね備えた理想郷ね。さてここからが問題。鉢の水温を徐々に上げていくの、どんどん上げていって最後は沸騰する。すると金魚達はどうなると思う?」

「……普通に死ぬんじゃないんですか?」

「ううん、違うの。沸騰してても気付かずに泳ぎ続けるのよ、苦しい想いをしながらもいつも通りに。そして、沸騰していると気付いた金魚から死んでいく」

「……いや、それは流石に」


 怪訝そうに眉根を寄せる。信じられないと視線で訴えかけると、佳純は楽しそうにくつくつと喉を鳴らした。暗い色のショートカットが小さく揺れている。


「良い反応をありがとう。そう、これは作り話。聞いてみてアキラ君はどう思った?」

「どうって言われても……ただ残酷だな、としか」

「隣に水槽があったとしても?」

「だって金魚は水から出て自力で隣の水槽に移動できないでしょ? 移動できるってなら話は別ですけど……快適に過ごせる場所が用意されているのに、辛い想いを続ける意味はないですから」

「なるほどね。じゃあ、今までの話を踏まえて答えて欲しいんだけど」


 すっ、と佳純の顔から笑みが消えた。

 

「もしこの金魚が人間だとしたら、どう?」

「に、人間?」

「金魚鉢は居場所、隣の水槽は別のコミュニティ。上がっていく水温は変化ってところかな。今の居場所にいても苦しい想いをするだけ、でも別のコミュニティに移動するにはリスクが付きまとう。こんな時、アキラ君はどうするべきだと思う?」

「そんなの……、」


 答えに詰まった。

 明確な解答を用意するためには、考慮すべき情報が不足していると感じたから。 


「きっとね、答えは三つあると思うの。現状を受け入れて苦しい想いを続ける人。新天地を求めて居場所を飛び出す人。そして、気付かない振りをする人」

 

 淡々と語る佳純は、チョークを持ったまま指を三本立てた。


「水が沸騰していると気付いた金魚から死んでしまう。居場所が変化していると自覚した人から息苦しく――生き苦しくなる。だから、目を逸らして、いつも通りだと思い込むの。気付かない内は楽しい振りができるから。思い出に縋り付いて過去に逃げ込んで、自分の心を誤魔化すことができるから」

「……、」

「別に、どの選択が正しいかなんて論じるつもりはないわ。どの選択にだって得るものと失うものが存在する。本人がそれを天秤に乗せてどう判断したとしても、赤の他人からとやかく言われる筋合いはないでしょ。私はただ、アキラ君の答えが知りたいのよ」


 居場所――つまり、アイオライトが変化すると言いたいのだろうか。

 考えたくない未来だ。三大勢力を統一して、投棄地区ゲットーから風紀委員会の理不尽を排除して、これから楽しくなるはずだと確信していた矢先なのに。


 でも、だからこそ、自然と答えは決まってくれた。


「俺の答えでいいんですよね?」

「うん」

「だったら、俺は戦うと思います」


 え、と言葉を失ってぱちくりと瞬きをする佳純に向かって、御代は真っ直ぐ告げる。


「居場所が変わってしまっても、どうして元に戻らないって諦めてるんですか? 変化には原因があります。なら、それを排除すればいいだけでしょ? そもそも、周りの環境がいくら変化したところで『本物の居場所』なら何も関係がないはずです。窓の外でどれだけ風が吹いても、家の中にいる人は何も感じないんですから」

「……そっか、それがアキラ君の考え方なのか――でもさ、」


 黒板の縁にチョークを置いた佳純が、肩越しに振り返って言った。


「それって、『依存』してるだけじゃないかな?」

「……依存?」

「居場所を取り戻すために戦うことは否定しない。だけど、本当の意味で前に進んでいるとは言えないよね? 戦ったとして、その先に未来が用意されてるなんて誰にも解らない。もしかしたら、前に進んでいるつもりで足踏みを繰り返しているだけなのかもしれない。存在しない結末を求めるために傷付いても、何も得る事はできないんだよ」


 窓際へとゆっくり移動して、シャワーでも浴びるように夜空を見上げる。


「アキラ君、この世界には変わらないモノなんてないの。時間は進んでいくし、人は入れ替わっていく――私達の願いや想いを無視してね。例えどれだけそれが『本物』だとしても、変化の影響を受けないなんて事はない。変化を受け入れた上の戦いは闘争だけど、変化を否定した戦いは逃走でしかない。過去を求めて、思い出に縋って、未来から目を逸らしている時点で、アキラ君は存在し得ない幻影に依存してるんだ。あの頃は良かったって言いながら最近の若者を批判する年寄りのようにね」

「依存は、ダメなんですか?」

「ダメだよ」


 佳純は降り注ぐ黄金の月明かりに背を向け、木目調の床に長い影を落とした。


「依存という行為は、他の何かに頼って存在するという事。その『何か』がなくなれば存在を保てなくなる。だから都合が悪くなれば『何か』を失わないように自分を殺すようになる」

「自分を、殺す……」

「そう。自分の想いよりも、その『何か』を優先してしまう。失わないようにビクビクと怯えて過ごすようになる。依存ってのはね、究極の逃げなんだよ。あるかも知れない他の可能性を見えなくする。先に進むのは怖いから、例えどれだけ現状が理想と懸け離れていても、楽しかった頃の記憶を糧に心を満足させるの。思い出に縋るのは楽だからね、きっとあの頃に戻ってくれるって思い込んで目を逸らす。変化に気付かない振りをする。自分を殺して、存在しない幻影に縋って……そんなのはもう生きてるなんて言わないよ」


 なくしたくない、失うのが怖い。

 そう思ってしまうこそ、必死にたぐり寄せる。何があっても掴んで離さない。胸に抱いたモノがどのように変質しているかも見ないで。盲目になって、自分が望む『過去』だけを視界に映し続ける。


「……結局、何が言いたいんですか?」

「私はね、アキラ君に変化を受け入れて欲しいんだ。納得できないことだってあるだろうし、誰かに怒りをぶつけたくもなると思う。そんな中で何を選ぶか――いえ、。その選択を間違えて欲しくないのよ、必ず訪れるもう少し先の未来でね」


 遠くを見るような視線で告げる佳純の声には、枯れゆく自然を眺めるような寂しさが含まれていた。抗いようのない大きな流れを目の当たりにして、全てを諦めてしまったような潔さ。それが御代の心を強く揺さぶった。


「……佳純先輩は、『今』に変わって欲しいんですか?」

「ううん、今がずっと続いて欲しい。いつまでも終わることのない夢を見続けていたい。だって、これから私が進む道の先には辛いことしか待っていないんだよ、もう二度とこんな幸せを手に入れられないかもしれないの――でもね、」


 そう言って、佳純はゆっくりと微笑む。

 差し込んだ月光に濡れた少女の顔には、一切の迷いがないように見えた。


「私はこの変化を受け入れようって思っているの。変わらないものはないのなら、変わった先で幸せを手に入れるだけ。それが私の戦いよ。じゃないと、

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