第20話 投げられた賽
《高等部一年生 六月》
※ 前回のあらすじ
もし、
そう確信した
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重たい鉛色の空からは、黒い雨が落ちてきていた。
アキラは赤く塗装された金属製の階段を上り切った。カンカンと甲高い音が連続し、
「……、」
しばしの間、ささくれた木材が剥き出しになった古い扉を見詰めて立ち止まる。築何十年のボロアパートを思わせる佇まい。今までは自宅に帰るのと同じ気持ちで開けていたのだが、今ばかりは石の壁を押せと言われた気分になった。
取手に手を掛けたまま何度か躊躇った後、意を決して『事務所』の扉を開けた。
狭い部屋の中は、薄暗かった。
中央に置かれた長テーブルと人数分のパイプ椅子。電灯は付いておらず、窓から差し込む灰色が調度品をモノクロに染めている。クーラーが付いているおかげで不快な湿度や熱気とは無縁だった。机の上には拡大印刷された
「何をしに来た、アキラ?」
パイプ椅子に座ってチェスの
「話をしに来た……大切な話だ」
「……、」
「回り道はしない。単刀直入に聞くぜ、だから正直に答えてくれ――ショージュン、どうしてお前はこんな事をしたんだ?」
「……こんな事、とは?」
「全部だ……アイオライトが風紀委員会と繋がっていると噂されていることも、アイオライトの分裂も、冷戦状態の維持も、全部含めてだよ!」
表情から色を消したショージュンは、
「
「買い被りだ、俺にそんな力はないよ」
ショージュンは小馬鹿にするように小さく肩を震わせた。
「
「そうか? 分裂する流れを止められねぇにしても、加速させる事はできるはずだ。意図的に対立を煽ってやればいいだけだからな」
拡大地図の上で倒れていた
「だけど、仮にショージュンが俺に黙って裏で何かをしているとしても、そこに悪意があるとは思いたくねぇ。失いたくない、なくしてしまうのが怖い……そうやって言ったお前の想いを嘘になんかしてやらねぇぞ。お前は
かんっ!! と。
「何かあったんだろ……俺達の居場所を壊すような選択をしなくちゃいけねぇ出来事が! お前の行動の軸を変えざるを得ないような理由が! ショージュン、お前は一体何に巻き込まれたんだ? どんな理不尽に苦しめられている? そいつは、恭介さん達が去年の夏にいなくなっちまった事と関係しているんじゃねぇのかよ?」
バタバタと窓ガラスを叩く雨音だけが無言の空間を埋める。銃口を向け合うように、二人の視線だけが正面から激突した。
「いい加減、踏み込ませてもらうぞ」
観客として見ているだけというのは性に合わない。
舞台に上がって、
「ショージュンが何を抱えてるのかは知らねぇよ……でも、それでも訊くぞ。本当にこうするしかなかったのか? もっと他の選択肢が、何も失わないような方法が、みんなが笑顔のままいられる未来だってあったんじゃねぇかよ! 俺は蚊帳の外だ、どれだけ目を凝らしても核心が見えねぇ。だからって意味も解らず巻き込まれるだけってのはスマートじゃねぇよなあ!!」
「お前に、何ができる……?」
「問題を解決してやるよ、ショージュンを苦しめているモンを全部俺がぶっ壊してやる! あの頃みたいに
アキラは青いリストバンド——アイオライトの魂の証を嵌めた右手をショージュンの目の前へと突き出す。
「こうなった今でもお前は俺の掛け替えのねぇ仲間だ! 困ってるんなら助けてやる、苦しいなら支えてやる! 勝手に諦めて、妥協して……それで大人になったつもりかよ! そんな後悔の残る選択だけは認めねぇ! 立ち上がれよショージュン、俺達が手を組めば変えられるはずなんだ! お前にその気があるならリストバンドを重ねてくれ、それで俺達はまた始められる!! ——だからっ!!」
沸き上がってきた感情の全てを視線に込めて、アキラはショージュンを見詰めた。
「……、」
しばしの沈黙。
ショージュンは掲げられたリストバンドから目を離し、真顔のまま
「なあアキラ。俺はさ、常に最善の一手を打ってきたつもりなんだ。相手の何手、何十手先まで読み切って、ようやくここまで漕ぎ着けた。色んなものを失ったよ、守りたいと願ったものを手に入れるために俺は傷付く道を選んだから」
「……?」
「その選択に後悔はないし、この先『
「だったら、やっぱりお前が……!?」
「ああ、この状況は全て俺が創り出した。アイオライトの分裂による冷戦状態の継続も、風紀委員会との噂も、正体不明の何者かの暗躍も、全て俺の
軽く両手を広げたショージュンは、
「簡単だったよ、わざわざ
「どうして、そんな当たり前みたいな口調で言えるんだよ……っ!」
ギリッ、とアキラは歯軋りした。
「いいかクソ野郎、テメェがやったのは明確な裏切り行為だ! 俺だけじゃねぇ、ショージュンを信じてついてきた連中の想いを踏みにじった! そこにどんな正義があったかなんて関係ねぇ!! テメェは恭介さんが築き上げたモンを全部をぶっ壊したんだ、謝って許されるような軽い話じゃねぇ!! どうしてこんなふざけた事をしやがった!!」
「俺の目的は最初から変わらない、
わずかに間を開けて、すっと表情から色を消した。
「——アキラ、お前がそこまで辿り着いているのなら、俺にだって考えがある。
「真実、だと……?」
「ああ、俺の
ショージュンの
「全てを失う覚悟をしろ。アイオライトだけじゃない、第一校区の生徒という立場も、他の友人も、普通の生徒としての未来も、何もかも捨てる決意だ。それができるのなら全てを教えてやる。お前が知りたいことを、全て」
話の規模が急激に変わったせいですんなりと飲み込めない。まるで家族の問題を議論していたら、それが急に国家規模の問題に発展したような――
「ここから先は一方通行だ、進んだら後には退けなくなる。よく考えて、慎重に結論を出してくれ。一週間後……来週の日曜日に答えを聞こう。敵として俺に銃口を向けるか、俺を信用してついてくるか、それとも
「さあ決めてくれ。未来は、お前の手の中にある」
黒い雨が、その勢いを増していく。
× × ×
折り畳み傘を差したアキラは、
「……何が、どうなってやがる」
全てはショージュンが仕組んだ
目的は変わらないはずなのに、どうしてここまで食い違う? それ程までにショージュンが隠している『真実』は大きな意味を持つのだろうか。だが、どれだけ想像力を膨らませたとしても、理屈を並べ立てたとしても、絶対に許す事はできなかった。
「(そもそも、アイオライトの他の連中はどうなんだ?)」
だが、
誰よりもアイオライトや
「……くそ、結局どうすりゃいい!」
ショージュンを敵と定めて、正面から戦うのか。ショージュンの正義を信じて、全てを捨てる覚悟を持つのか。それとも、全てを諦めて
決められない。
グチャグチャに濁った思考が脳内で渦巻いた。様々な可能性が煙のように浮かんでは消えていく。何をしても胸が締め付けられるような苦しみが付き纏う。どれだけ藻搔いても抜け出せない底なし沼に落ちた気分だった。
不意に、携帯端末が震動を始めた。着信だ。画面には『非通知』の文字が浮かんでいる。嫌な予感に苛まれながらも、画面を操作する。
『お久しぶりです、
「……またアンタか」
湧き上がる苛立ちによって声音が尖るが、構わずに続けた。
「それで何の用だ? スカウトとか協力してくれって話なら聞くだけ無駄だぜ、俺の答えはすでに伝えてある通りだ」
『いえ、その話ではありません。状況が変わったので報告します。貴方からしても無視できる内容ではないはずですよ』
一呼吸置いた中原美鈴は、低い声で告げた。
『
言っている事を理解するまでに時間が必要だった。
柊グループ。
国家予算並の資産を持ち、政治家を動かせる権力をもった秘密結社。人員も目的も不明で、噂と恐怖によって着飾った
「……信じられる訳がねぇだろうが、そんなの!」
思わず、声を荒げていた。
「こっちはつまらねぇ妄想に付き合っている暇はねぇんだよ! その手の
先程、ショージュンは正体不明の敵による暗躍が
『
まるで、ずっと温存してきた切り札を盤面に出すように。
冷徹な声で告げた。
『柊グループのメンバーであり、アイオライトを影で操っていた張本人です。目的は不明ですが、彼女はラクニルから追放された今もまだ、遠い本土から
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
携帯端末を耳から外し、空いている手で頭を抱える。
佳純の名字が『
「……仮に、だ」
緊張が冷や汗となり、頬を伝って地面に落ちていく。
「アンタの言っている事を信じるとしてだ。
『簡単な理由です。あなたは知っているからですよ、
「何を、言っている? 俺は知らないぞ、ショージュンの目的なんて……そもそも、アイツのことは何も……」
『それは違います、あなたは知っているはずなんです。忘れているだけなんです』
事件を目撃情報をひた隠しにする証人から、何とかして話を聞き出そうとする刑事のように、中原の声に力が入った。
『我々には他に手掛かりがありません、あなたの記憶だけが頼りんです。だから早く思い出してください。それともこう言った方がいいですか、知らないと思い込まされているだけだと』
ジクリ、と。
脳が熱を帯びた気がした。
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