第7話 綻び
《高等部二年生 六月》
※ 前回のあらすじ
パトロールを終えた
リーダーの
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時刻は午後五時半。
長机にホワイトボードといった如何にも会議室然とした狭い部屋の壁際。アキラはパイプ椅子に座ったハルの背後に立って、長机の上に展開された
「現状の問題は二つ。一つ目は旧『アイオライト』の分裂によって誕生した現勢力で冷戦状態が続いていること。二つ目は正体不明の何者かによる暗躍だ」
ショージュンはボードゲームの駒を動かしながら、真剣な顔で話し始めた。
「かつて
ショージュンはチェスの駒を
「それで、ショージュンはどうするつもりなんだ?」
「最終的な目標は冷静状態の解消だよ。半年前に分裂したアイオライトを昔みたいに一つに戻したい。そうしないと、いつまで『これ』も持つか解らないから」
小さく溜息を漏らしながら、ショージュンは天井で煌々と光を放つ電灯を指さした。
第一校区の
本来なら停止しているはずの生活インフラの供給が継続される条件は、
これは全て
「学園側がこの冷戦状態を快く思っていないことは明白。争いが起こっていないだけで火種はいくつも存在している。漏れ出したガソリンの周りに吸い殻が放置されているようなものなんだ、治安が維持されているとはお世辞にも言えないよ」
「電気と水道かー」
深刻な表情で語るショージュンの言葉を聞いて、ハルは困り顔でクセ毛を弄りながら、
「本当に使えなくなっちゃったら、今までみたいに
「うん、明かりなら何とでもなるし他の電気関係も我慢すればいい。でもトイレがないのは無理」
ショージュンの隣に引っ付いて座る
「学園側が見切りを付ければすぐにでも生活インフラは止まる。今のような快適さがなくなれば
「そうなれば、行き場を失った
「投資に見合うだけの成果が得られなければ意味がないからな。第一校区を管理する
だが全く授業に出席しない生徒はそこまで多くない。アキラは普通の生徒と同じく全ての授業に参加しているし、ハルと
「生活インフラがなくなって古参の
「……居場所、か」
アキラの口から小さな呟きが漏れ出す。
このままでは居場所が変わってしまうとショージュンは言った。だがアキラからすればすでに
居場所とは何か。
所属する組織のことなのか? 人間関係のことなのか? 長い時間を過ごす場所のことなのか? 思想を共有した集団のことなのか?
今の
「さて、以上が
「噂自体は二ヶ月ほど前から飛び交っていた。戦闘音を聞いた、ラクニル関係者以外の怪しい格好をした大人を見た、木々や建物が不自然に傷付いていた……どれも確度の低い情報で今までは聞き流していたけど、ここまで頻発すれば無視できない」
ショージュンの話を聞きながら
「ショージュン……実はさっき、廃ビルで戦闘痕を発見した」
「本当か?」
「ああ、それも明かに生徒のレベルじゃ付けられないようなでかい傷痕だ。生徒以外の何者かがあそこで誰かと戦ったとしか考えられない」
「……そうか」
ショージュンの顔が曇っていく。
「
「……
ショージュンの膝上に投げ出された自分のツインテールを撫でながら、ライメイが感情の乏しい声で告げた。
「ちょっと待てよライメイ、まだそんな事を言っているのか? 前も話しただろ、柊グループだけは有り得ねぇって」
アキラは呆れ混じりの溜息をついて、
「ネットで騒がれてる都市伝説を真に受けてんじゃねぇって、柊グループなんて界術師版の
「……柊グループは、存在してるもん」
むっ、と眠そうな半目に力を入れたライメイが語気を強める。
「法では裁けない悪を断罪する社会の抑止力。国家予算並の資金と、政治家を動かせるような手段と権力を持った影の支配者。噂と恐怖によって飾り付けられた
「……いや、そんな中学生の妄想みたいな設定をつらつら言われても」
「あはは、ホントにライちゃんは都市伝説とか好きだよね」
唇を尖らせて仏頂面になったライメイを見て、ハルが気遣うような声音で言った。
「だけど、実際に柊グループってネットで人気だよね?
「都合が良かったんだよ、匿名の陰謀論者様からすれば。構成員も、規模も、目的も、何もかもが不明で、どれだけでも都合良く扱える恰好のオモチャさ。やっぱり俺には信じられねぇよ、柊グループが
「アキラの言う通りだ……と言いたいけど、消去法で候補を絞る段階はとうに過ぎている。柊グループ、寺嶋家、風紀委員会、本土の裏組織……想定しておく黒幕は多い方がいい。いざという時に予想外を叩き付けられる可能性が減ってくれるからな」
ショージュンは不機嫌そうに眉を顰めたライメイの肩を優しく抱き寄せて、
「正体不明の黒幕による被害は今のところ確認されていない。だけど連中にも目的があるだろうし、それを意図せず妨害してしまったら望まぬ反撃を受けてしまうかもしれない。そうなれば俺達だけじゃ対処のしようがないんだ」
「だから何らかの対策を考えようってのか?」
「その通り。規模は縮小したとしてもアイオライトの存在は大きいままだよ、俺達が率先して動けば他の勢力にも影響を与えられるはずさ。外からやってきた共通の敵を利用すれば、また
ショージュンの顔に明るい光が差し込む。
「さて、ここからが今日の本題。冷戦状態の解消、正体不明の黒幕への対処……俺なりに二つの問題への対策を考えてみた。それについてみんなの意見が聞きたいんだけど……」
語尾を濁すと、窺うような眼差しをアキラに向けた。
「何だよ、そんな変な顔で見詰めて」
「アキラ、あくまでこれは案の一つで決定事項じゃない。だから、その……怒らないで聞いて欲しいんだけど」
「?」
首を捻るアキラを尻目に、ショージュンは
「――俺達『アイオライト』は冷戦状態の解決及び何者かの暗躍に対抗するために、風紀委員会と手を組むべきだと考えている」
「……は?」
一瞬。
ほんの、刹那の時間。
ショージュンが何を言っているのか解らなかった。
風紀委員会と手を組む?
脳内で反芻するその言葉が、植物の棘のようにギザギザと尖って神経を逆撫でる。
「——ふざっけんなよッ!!」
気付けば長机を力強く叩き付けていた。
「ショージュン本気で言ってんのか!? 冗談だとしても口にしていい事と悪い事があるぞ! それだけは何があってもやっちゃいけねぇ事だ、俺は絶対に認めねぇ!!」
「お、怒るなって言っただろ」
「ソレとコレとは話が別だ!」
語気を荒くしたアキラの顔に凄まじい剣幕が浮かぶ。
「誰かが風紀委員会と手を組んじまえば、その先に待つのは俺達が
鼻の高い鋭い顔付きを必死そうに歪ませて、
「今まで何人も仲間や友達が風紀委員の餌食になってきた! あいつらは敵なんだ、利害関係が一致するからって埋められる程に溝は浅くねぇぞ! それでも、それでもテメェは……っ!!」
「現実を見ようぜ、アキラ」
いつの間にか近づいてきていたゴウキに肩を掴まれた。岩を削ったような角張った顔付きに浮かぶのは他者を見下す鈍い色。唇の端を軽く吊り上げながら、嘲るような視線をアキラに向ける。
「感情のまま喚くことは誰でもできる。否定するなら代替案を出すのが礼儀ってモンだ」
「離せよっ!」
乱暴にゴウキを腕を振り払おうとするが、力が強くて引き剥がせない。体を捻るように抵抗して何とか抜け出した。棘のある笑みを浮かべるゴウキを正面から睨み付ける。
「なんだよ、随分とショージュンの肩を持つじゃねぇか……!」
「そりゃあ俺達のリーダーだからな。兵士である俺は上官に従うだけさ。アキラだって角宮先輩には従ってただろ? だったらショージュンの方針に従うべきだ」
「テメェ……っ!」
反論しようと口を開くが、舌の先まで出てきた言葉を飲み込んだ。元々ゴウキとは馬が合わないのだ。分かり合おうとすることは時間の無駄である。
「(……でも、どうして他の連中はこんなに落ち着いていられるんだ?)」
まるで先に話を聞いていて心の準備をしていたような反応だ。激しく反論しているアキラが異端者だと言わんばかりの空気である。
「落ち着いてくれアキラ、言った通りまだ決定事項じゃない。あくまで想定の一つだよ」
場を和ませようと表情を柔らかくしたショージュンが取り繕うような声音で、
「アキラの反応を見てよく解った。俺だって風紀委員会になんか頼りたくない、あの頃の悪夢の再来だけは避けなくちゃいけないからな……だけど、様々な選択肢を考慮しなくてはいけないのも事実なんだ」
「……、」
「電気や水道といった生活インフラだけじゃない。他の勢力が風紀委員会と手を結ぶ可能性は? 暗躍する怪しい連中の矛先が俺達に向かないとどうして言える? 学園側がその気になれば
「……だとしても、俺は認めねぇ」
胸の奥から絞り出すような声で言った。
「どれだけ最悪な状況でも最後まで抗うべきだ、
「理想だけで未来を語るのはやめてくれ。現実を見て、他に方法がないのなら、どれだけ最悪な選択だってしてみせる。それが
二人の視線が真正面から激突する。
「どうしても、アキラは認められないのか?」
「ああ、ここだけは譲れねぇよ」
「……そうか」
すっ、とショージュンが視線を逸らした。
息も詰まるような沈黙に室内が覆われる。もうここには居られない。そう直感したアキラは自分の通学鞄を持って出口へと向かった。
「今日は帰るわ、どうやら歓迎されてねぇみたいだしな」
反応はない。引き留めて欲しかった訳ではなかったが、一抹の寂しさを感じている自分の弱さが情けなかった。
「(……クソッタレ)」
心の中で毒吐きながら、乱暴に置き傘を引き抜いて部屋を出た。
小屋の側面に設えられた金属製の古い階段を降りていく。いつもは鈍い金属音が響くが、今日は天井を叩く雨音に負けて聞こえてこなかった。湿気にベタつく頬に髪が引っ付く。染み出してくる不快な汗に眉を顰めつつも階段を降り切った。
「ま、待って! アキラちょっとストップ!!」
頭上から焦燥を含んだ声が降ってくる。雨音に掻き消されないように叫んだ声の主へ視線を向けてみた。
クセ毛の少女が階段の手すりから身を乗り出してこちらを見詰めていた。
「ウチも帰る、一緒に!!」
カンカンと音を立てながらハルが塗装の剥がれた階段を駆け下りる。途中で何度か滑りそうになりつつも体勢を立て直して隣までやって来た。
「帰るのはいいけどよ、傘は?」
「……あ、」
「置き傘はあるのか?」
「ない、と思う……」
しゅんとしたハルは悄然と肩を落とした。欲しかった商品が目の前で売り切れてしまったような顔だ。
「しゃーねぇな」
溜息を吐きつつ、アキラはバサッと傘を広げた。
「ほら来いよ、入れてやるから」
「う、うん!」
ぱあと顔を明るくしたハルが頬を赤くして嬉しそうに駆け寄ってくる。弾むような足取り。アキラの傘に入り、ご機嫌な様子でにこにこと微笑んでいた。
傘が雨粒を弾くぐもった音を聞きながらぬかるんだ地面を歩き始める。左肩が雨に濡れて冷たいが、不思議と不快には感じなかった。
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