第7話 綻び

《高等部二年生 六月》


※ 前回のあらすじ


 パトロールを終えたしろあきら――アキラはしきもとはる――ハルと共に所属する『アイオライト』の本拠地である小屋跡まで戻ってくる。

 リーダーのとうごうしょうじゅん――ショージュンによって新生アイオライトの非公式会議が始まった。

 

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 時刻は午後五時半。

 長机にホワイトボードといった如何にも会議室然とした狭い部屋の壁際。アキラはパイプ椅子に座ったハルの背後に立って、長机の上に展開された投棄地区ゲットーの拡大地図と、将棋やチェスといったボードゲームの駒を眺めていた。


「現状の問題は二つ。一つ目は旧『アイオライト』の分裂によって誕生した現勢力で冷戦状態が続いていること。二つ目は正体不明の何者かによる暗躍だ」


 ショージュンはボードゲームの駒を動かしながら、真剣な顔で話し始めた。


「かつて投棄地区ゲットーかどみやきょうすけの組織『アイオライト』によって一つの勢力に統一されていた。活動の甲斐もあって風紀委員会を追い出し、学校側に活動を認めさせる段階までいったが、約半年前に三つの勢力に再び分裂してしまい、現在に至っている」


 ショージュンはチェスの駒を投棄地区ゲットーの地図の上に並べていく。大まかだが、アキラも良く知る投棄地区ゲットーの現勢力図が完成した。


「それで、ショージュンはどうするつもりなんだ?」

「最終的な目標は冷静状態の解消だよ。半年前に分裂したアイオライトを昔みたいに一つに戻したい。そうしないと、いつまで『これ』も持つか解らないから」


 小さく溜息を漏らしながら、ショージュンは天井で煌々と光を放つ電灯を指さした。

 第一校区の投棄地区ゲットーでは学校側が管理をしなくなった後も継続して電力が供給されている。水道も使用することができるためトイレや飲料水の確保には困らない。


 本来なら停止しているはずの生活インフラの供給が継続される条件は、投棄地区ゲットーの治安が安定していること。学校生活に居場所を失った流れ者が集まって『健全な』コミュニティを形成してくれるのなら、学校側としても一切問題はないのだろう。何か大きな事件に発展するリスクを排除できるのなら、生活インフラの維持など安い投資なのだ。

 これは全てかどみやきょうすけが交渉によって勝ち取った成果である。実際、アイオライトが投棄地区ゲットーを統一するまでは、風紀委員会にエサを提供できる一部の勢力しか生活インフラは使えなかった。


「学園側がこの冷戦状態を快く思っていないことは明白。争いが起こっていないだけで火種はいくつも存在している。漏れ出したガソリンの周りに吸い殻が放置されているようなものなんだ、治安が維持されているとはお世辞にも言えないよ」

「電気と水道かー」


 深刻な表情で語るショージュンの言葉を聞いて、ハルは困り顔でクセ毛を弄りながら、


「本当に使えなくなっちゃったら、今までみたいに投棄地区ゲットーで過ごせなくなるね」

「うん、明かりなら何とでもなるし他の電気関係も我慢すればいい。でもトイレがないのは無理」


 ショージュンの隣に引っ付いて座るらいほう――ライメイも眠たそうな半目のまま大きく頷いた。


 投棄地区ゲットーからでも、無理やり森を抜ければ十分も掛らずに、現在も使われている第一校区の施設に行くことはできる。だがトイレに行く度に森を抜けるのは流石に面倒だ。


「学園側が見切りを付ければすぐにでも生活インフラは止まる。今のような快適さがなくなれば投棄地区ゲットーにやって来る生徒は更に減るだろうね。大半の不良生徒ストリーデントは気の合う仲間に会うためだけに各勢力コミュニティに参加しているだけなんだ。集まる場所を教室や商業地区マーケットに変えるだけさ。部活やサークルに参加しているような感覚の彼らからすれば、投棄地区ゲットーの面倒事に関わる気もないだろうしな。冷戦状態とか勢力みたいな情勢に拘るのは昔から投棄地区ゲットーにいた古参の不良生徒ストリーデントか、先代から投棄地区ゲットーを引き継いだ俺達だけだよ」

「そうなれば、行き場を失った不良生徒ストリーデントが今度は学校生活で問題を起こす確率が跳ね上がるのか……スマートじゃねぇな」

「投資に見合うだけの成果が得られなければ意味がないからな。第一校区を管理するてらじまや『統括議会セントラル』はこの辺りのあんばいを考えて現状維持を選択しているのかもしれない」


 教室に来ない生徒ストリート・スチューデント――縮めて生まれた造語である不良生徒ストリーデント

 だが全く授業に出席しない生徒はそこまで多くない。アキラは普通の生徒と同じく全ての授業に参加しているし、ハルとうえごう——ゴウキも同じく出席している。全く学校に行っていないのはショージュンとライメイくらいだ。


「生活インフラがなくなって古参の不良生徒ストリーデントだけが残れば、投棄地区ゲットーの雰囲気はあの頃に戻るぞ。弱肉強食が支配する最低な時代——風紀委員会の理不尽に怯えて、下を向くしかなかったあの時に。角宮先輩が残してくれた楽しい『本物の居場所』は崩壊する。このまま何もしなければ俺たちの居場所は確実に変わってしまうだろう」

「……居場所、か」


 アキラの口から小さな呟きが漏れ出す。


 このままでは居場所が変わってしまうとショージュンは言った。だがアキラからすればすでに投棄地区ゲットーは変わり果てている。角宮恭介の理想に憧れ、額縁に入れて飾りたいと思うほど毎日が輝いていたあの頃とは似ても似つかない。


 居場所とは何か。

 所属する組織のことなのか? 人間関係のことなのか? 長い時間を過ごす場所のことなのか? 思想を共有した集団のことなのか?


 今の投棄地区ゲットーは、アイオライトは、本当に自分の居場所なのか? ふと、そう考えてしまった。


「さて、以上が投棄地区ゲットーの現状だけど……問題が山積みだな。次は二つの目の議題——正体不明の何者かによる暗躍について」


 紫水晶アメジストの瞳に考え込むような光を浮かべたショージュンが、兵士ポーンの駒を地図の上に置いた。球体の顔の部分には赤いバツ印が描かれている。


「噂自体は二ヶ月ほど前から飛び交っていた。戦闘音を聞いた、ラクニル関係者以外の怪しい格好をした大人を見た、木々や建物が不自然に傷付いていた……どれも確度の低い情報で今までは聞き流していたけど、ここまで頻発すれば無視できない」


 ショージュンの話を聞きながら投棄地区ゲットーの地図を眺めていると、クイッと夏服が誰かに引かれる。目を落としてみると、ハルが肩越しに視線を寄越していた。不安げに細められた優しい目許。意図を悟って小さく頷いたアキラは、表情を引き締めてから口を開く。


「ショージュン……実はさっき、廃ビルで戦闘痕を発見した」

「本当か?」

「ああ、それも明かに生徒のレベルじゃ付けられないようなでかい傷痕だ。生徒以外の何者かがあそこで誰かと戦ったとしか考えられない」

「……そうか」


 ショージュンの顔が曇っていく。


投棄地区ゲットーで何者かが暗躍しているとして、その『誰か』は何が目的なんだ? ここには学校からてられた建物と土地しかないんだぞ。価値がある物が残っているとも思えないし、一体誰がこんなことを……」

「……ひいらぎグループ」


 ショージュンの膝上に投げ出された自分のツインテールを撫でながら、ライメイが感情の乏しい声で告げた。


「ちょっと待てよライメイ、まだそんな事を言っているのか? 前も話しただろ、柊グループだけは有り得ねぇって」


 アキラは呆れ混じりの溜息をついて、


「ネットで騒がれてる都市伝説を真に受けてんじゃねぇって、柊グループなんて界術師版の秘密結社フリーメイソンなんて言われてる連中なんだぞ。そんなもん『第一校区の秘密』とか『クスリを使った人体実験』と同じくらい曖昧な噂だ、実在してるかどうかも怪しいだろうが」

「……柊グループは、存在してるもん」


 むっ、と眠そうな半目に力を入れたライメイが語気を強める。


「法では裁けない悪を断罪する社会の抑止力。国家予算並の資金と、政治家を動かせるような手段と権力を持った影の支配者。噂と恐怖によって飾り付けられた姿を持たない怪物インビジブル・モンスター。その力を恐れて政府も六家界術師連盟も迂闊に手を出せない。日本の歴史を動かすような大事件の裏には必ず『柊グループ』の関与があったんだよ、その証拠だって出てきているし」

「……いや、そんな中学生の妄想みたいな設定をつらつら言われても」

「あはは、ホントにライちゃんは都市伝説とか好きだよね」


 唇を尖らせて仏頂面になったライメイを見て、ハルが気遣うような声音で言った。


「だけど、実際に柊グループってネットで人気だよね? 宗教カルト的って言うのかな? ほら、この手の情報って検索すれば無限に手に入るし」

「都合が良かったんだよ、匿名の陰謀論者様からすれば。構成員も、規模も、目的も、何もかもが不明で、どれだけでも都合良く扱える恰好のオモチャさ。やっぱり俺には信じられねぇよ、柊グループが投棄地区ゲットーに絡んできてるなんて」

「アキラの言う通りだ……と言いたいけど、消去法で候補を絞る段階はとうに過ぎている。柊グループ、寺嶋家、風紀委員会、本土の裏組織……想定しておく黒幕は多い方がいい。いざという時に予想外を叩き付けられる可能性が減ってくれるからな」


 ショージュンは不機嫌そうに眉を顰めたライメイの肩を優しく抱き寄せて、


「正体不明の黒幕による被害は今のところ確認されていない。だけど連中にも目的があるだろうし、それを意図せず妨害してしまったら望まぬ反撃を受けてしまうかもしれない。そうなれば俺達だけじゃ対処のしようがないんだ」

「だから何らかの対策を考えようってのか?」

「その通り。規模は縮小したとしてもアイオライトの存在は大きいままだよ、俺達が率先して動けば他の勢力にも影響を与えられるはずさ。外からやってきた共通の敵を利用すれば、また投棄地区ゲットーは一つになれるかもしれない。この危機的状況をきっかけに冷戦状況を打破して、『あの頃』の投棄地区ゲットーを取り戻してやろうじゃないか」


 ショージュンの顔に明るい光が差し込む。

 

「さて、ここからが今日の本題。冷戦状態の解消、正体不明の黒幕への対処……俺なりに二つの問題への対策を考えてみた。それについてみんなの意見が聞きたいんだけど……」


 語尾を濁すと、窺うような眼差しをアキラに向けた。


「何だよ、そんな変な顔で見詰めて」

「アキラ、あくまでこれは案の一つで決定事項じゃない。だから、その……怒らないで聞いて欲しいんだけど」

「?」


 首を捻るアキラを尻目に、ショージュンは紫水晶アメジストの瞳に妖しい光を浮かべた。


「――俺達『アイオライト』は冷戦状態の解決及び何者かの暗躍に対抗するために、

「……は?」


 一瞬。

 ほんの、刹那の時間。

 ショージュンが何を言っているのか解らなかった。


 風紀委員会と手を組む?

 脳内で反芻するその言葉が、植物の棘のようにギザギザと尖って神経を逆撫でる。


「——ふざっけんなよッ!!」


 気付けば長机を力強く叩き付けていた。


「ショージュン本気で言ってんのか!? 冗談だとしても口にしていい事と悪い事があるぞ! それだけは何があってもやっちゃいけねぇ事だ、俺は絶対に認めねぇ!!」

「お、怒るなって言っただろ」

「ソレとコレとは話が別だ!」


 語気を荒くしたアキラの顔に凄まじい剣幕が浮かぶ。


「誰かが風紀委員会と手を組んじまえば、その先に待つのは俺達が投棄地区ゲットーに来た頃の悪夢の再来だ。風紀委員会にエサを提供するために、弱者を作って生け贄を選び出す最悪の人狼ゲームが始まっちまう。せっかく駆逐した理不尽がまた投棄地区ゲットーを覆い尽くす! きょうすけさんはそんな状態を変えるために戦ったんだ! その理想を『アイオライト』が、かどみやきょうすけの意志を継ぐ俺達が、率先して壊していい訳がねぇだろうが!!」


 鼻の高い鋭い顔付きを必死そうに歪ませて、


「今まで何人も仲間や友達が風紀委員の餌食になってきた! あいつらは敵なんだ、利害関係が一致するからって埋められる程に溝は浅くねぇぞ! それでも、それでもテメェは……っ!!」

「現実を見ようぜ、アキラ」


 いつの間にか近づいてきていたゴウキに肩を掴まれた。岩を削ったような角張った顔付きに浮かぶのは他者を見下す鈍い色。唇の端を軽く吊り上げながら、嘲るような視線をアキラに向ける。


「感情のまま喚くことは誰でもできる。否定するなら代替案を出すのが礼儀ってモンだ」

「離せよっ!」


 乱暴にゴウキを腕を振り払おうとするが、力が強くて引き剥がせない。体を捻るように抵抗して何とか抜け出した。棘のある笑みを浮かべるゴウキを正面から睨み付ける。


「なんだよ、随分とショージュンの肩を持つじゃねぇか……!」

「そりゃあ俺達のリーダーだからな。兵士である俺は上官に従うだけさ。アキラだって角宮先輩には従ってただろ? だったらショージュンの方針に従うべきだ」

「テメェ……っ!」


 反論しようと口を開くが、舌の先まで出てきた言葉を飲み込んだ。元々ゴウキとは馬が合わないのだ。分かり合おうとすることは時間の無駄である。


「(……でも、どうして他の連中はこんなに落ち着いていられるんだ?)」


 まるで先に話を聞いていて心の準備をしていたような反応だ。激しく反論しているアキラが異端者だと言わんばかりの空気である。


「落ち着いてくれアキラ、言った通りまだ決定事項じゃない。あくまで想定の一つだよ」


 場を和ませようと表情を柔らかくしたショージュンが取り繕うような声音で、


「アキラの反応を見てよく解った。俺だって風紀委員会になんか頼りたくない、あの頃の悪夢の再来だけは避けなくちゃいけないからな……だけど、様々な選択肢を考慮しなくてはいけないのも事実なんだ」

「……、」

「電気や水道といった生活インフラだけじゃない。他の勢力が風紀委員会と手を結ぶ可能性は? 暗躍する怪しい連中の矛先が俺達に向かないとどうして言える? 学園側がその気になれば投棄地区ゲットーなんていつでも完全に封鎖できるんだぞ。改善なんて段階じゃない、そもそも現状維持だって危ういんだ。問題は一刻を争う。議論していて対応が遅れたら元も子もないだろ? 俺達の居場所を守るためには強硬な手段を選ぶことだって必要なんだよ」

「……だとしても、俺は認めねぇ」


 胸の奥から絞り出すような声で言った。


「どれだけ最悪な状況でも最後まで抗うべきだ、きょうすけさんはそうやって来たんだからな。安易な方法に逃げちまえば、その先に待つのは破滅だけだ。俺は胸を張って過去を振り返られるような選択をしたい」

「理想だけで未来を語るのはやめてくれ。現実を見て、他に方法がないのなら、どれだけ最悪な選択だってしてみせる。それがかどみや先輩から投棄地区ゲットーの未来を託された俺達の役目なんじゃないのか?」


 二人の視線が真正面から激突する。


「どうしても、アキラは認められないのか?」

「ああ、ここだけは譲れねぇよ」

「……そうか」


 すっ、とショージュンが視線を逸らした。


 息も詰まるような沈黙に室内が覆われる。もうここには居られない。そう直感したアキラは自分の通学鞄を持って出口へと向かった。


「今日は帰るわ、どうやら歓迎されてねぇみたいだしな」


 反応はない。引き留めて欲しかった訳ではなかったが、一抹の寂しさを感じている自分の弱さが情けなかった。


「(……クソッタレ)」


 心の中で毒吐きながら、乱暴に置き傘を引き抜いて部屋を出た。


 小屋の側面に設えられた金属製の古い階段を降りていく。いつもは鈍い金属音が響くが、今日は天井を叩く雨音に負けて聞こえてこなかった。湿気にベタつく頬に髪が引っ付く。染み出してくる不快な汗に眉を顰めつつも階段を降り切った。


「ま、待って! アキラちょっとストップ!!」


 頭上から焦燥を含んだ声が降ってくる。雨音に掻き消されないように叫んだ声の主へ視線を向けてみた。


 しきもとはる

 クセ毛の少女が階段の手すりから身を乗り出してこちらを見詰めていた。


「ウチも帰る、一緒に!!」


 カンカンと音を立てながらハルが塗装の剥がれた階段を駆け下りる。途中で何度か滑りそうになりつつも体勢を立て直して隣までやって来た。


「帰るのはいいけどよ、傘は?」

「……あ、」

「置き傘はあるのか?」

「ない、と思う……」


 しゅんとしたハルは悄然と肩を落とした。欲しかった商品が目の前で売り切れてしまったような顔だ。


「しゃーねぇな」


 溜息を吐きつつ、アキラはバサッと傘を広げた。


「ほら来いよ、入れてやるから」

「う、うん!」


 ぱあと顔を明るくしたハルが頬を赤くして嬉しそうに駆け寄ってくる。弾むような足取り。アキラの傘に入り、ご機嫌な様子でにこにこと微笑んでいた。


 傘が雨粒を弾くぐもった音を聞きながらぬかるんだ地面を歩き始める。左肩が雨に濡れて冷たいが、不思議と不快には感じなかった。

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