第27話 宣戦布告

 ※前回のあらすじ


 いまりょうの闘術『ようさいよろい』の『砦』を攻略できずに苦しむきりさわなお。闘術『天穿風アマツカゼ』の火力不足を補うために、召喚術式の真骨頂である『ひょう』を発動する。


 そして、霧沢直也の反撃が始まった。


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 まるで狼の毛皮をそのまま被ったような見た目だった。

 

 頭からは二つの耳、尾骶骨の辺りからは尻尾を模した界力光ラクスが伸びる。両手には爪を思わせるような鮮烈な輝き。今津稜護を睨み付ける視線もその鋭さを増していた。全身の輪郭は炎のように曖昧で、毛並みのように赤く揺れている。 

 

 憑依。

 召喚術式の真骨頂。


 じゅうを術者に宿らせる技術。界術師としての基礎能力の向上だけではなく、界力獣が持つ固有能力を使えるようになる。『人間という枠組みを破壊する』という目標のために天城家が編み出した一つの到達点。霧沢直也が手にした力は人間の領域から逸脱したものだった。


 当然、こんな危険な状態を長時間継続できる訳がない。


 憑依は制限時間付きの最終奥義。発動が切れるということは、そのまま霧沢直也の敗北を意味する。ここから先は超短期決戦を挑まなければならない。

 霧沢直也は訓練刀を右手で掴み、左手が地面に着くまで身体を低くした。まるで走り出す直前の狼のような姿勢で今津稜護に視線を突き立てる。


 ドバッ!! と。

 抉るような勢いで地面を蹴って猛烈な速度で


 界力の六大要素の一つである風。

 霧沢直也が持つその特性を受け継いだ界力獣の固有能力だ。


 歩法『チュウシュウキャク』や闘術『天狗てんぐい』は術式の性質上、一度移動を開始すれば殆ど自由が利かなくなってしまう。もちろん方向転換や体勢の変更も可能だが、を消費したりバランスを崩したりと色々なデメリットが付きまとう。


 その点、固有能力による空中歩行にはデメリットが存在しない。

 地面と同じように宙を走っているだけなのだ。自由度は他の術式と比べて格段に高い。


 赤い矢のように夜闇をはしる霧沢に対し、今津は硬く握った拳を真っ直ぐ突き出した。


 神話の中で神を殺した人類の矛――『ほう』。

 全てを吹き飛ばすような暴風の槍が一直線に放たれる。


 牽制目的なのか威力と範囲は控えめだ。左にステップすることで躱し、迷わずに今津の懐に飛び込んで上段から訓練刀を振り下ろす。


 せきらいのような一閃。

 真紅の界力光ラクスが遅れて夜闇を切り裂いた。


 咄嗟に今津は片腕を掲げる。

 発動したのは神話の中で神をも凌いだ人類の盾――『とりで』。術者の想いをそのまま防御力へと変換する最上級に強固な防御方法だ。 

 

 砦によって生み出された鎧のように全身を覆う紫色の光の層。先ほどまで霧沢直也の攻撃を全て耐え切ってきた強固な盾と、赤い輝きに包まれた一振りが激突する。激突の余波が地面の砂を舞い上げながら拡散した。


「――なにっ!?」


 今津稜護の顔に驚愕が走り抜ける。

 片腕だけで防御しようとしていたが思わずと言った様子で両腕を掲げた。霧沢の斬撃に耐え切れずに膝が曲がる。ピシッ! と砦の表面に音を立てて亀裂が入った。


 霧沢直也の斬撃の威力が増している。先ほどまでは砦を使えば防げていたのにも関わらず、今は砦を打ち破らんと言わんばかりの圧力を帯びているのだ。


 憑依による基礎能力の向上。それに加えて固有能力『爪』の使用。

 狼タイプの界力獣に共通した能力だ。界力を帯びることで術式的な補助を受けた前足二本による叩き付け。それは人間の肉体くらいなら一瞬で挽肉にできるような高火力の一撃になる。


 訓練刀を握る霧沢の両手が眩い光に包まれていく。それに呼応するかのように赤い輝きが増して砦の表面を削っていった。回転するチェーンソーの刃を金属に当てたように紫色の光芒が飛び散る。


 堪らずに今津は体勢を変えることで斬撃をいなし、乱暴に腕を振り回して霧沢を遠ざける。数メートル後方に着地した霧沢を睨み付けながら獰猛に両目を見開いた。

 

「来いよ直也! もっとオレに力を示してみろ!!」


 砲が放たれる。直撃すれば意識すら容易に奪うような暴風の槍が夜闇を引き裂いた。


 宙をはしって躱した霧沢はそのままの勢いで今津の左側へと回り込む。横薙ぎの一閃を喰らわせるために訓練刀を寝かせ――


「ぬンッ!!」


 振り向き様に今津の砲が放たれたのもほぼ同時だった。


 今までのような高火力のものではない。拳を中心として広い範囲に衝撃が拡散する。一撃必殺ではなく次に繋げるための布石。正面から受ければ意識は奪われないにしても大きな隙が生まれていた。そこに畳み掛けられれば対策の立てようがない。


 だが、砲が吹き飛ばしたのは赤い残像だけ。

 霧沢直也は遙か十メートル上空で大きく訓練刀を上段に構えていた。


「――ッ、らあァァッ!!」


 疾風はやてり。

 自身が生み出した風に乗って瞬間移動と見紛うような高速移動を実現する術式。


 だが、先ほどまでとは速度と距離が桁違いに増していた。

 空間を一刀両断するような鋭い一閃が夜闇を真下に引き裂く。


 驚愕に目を剥いた今津は防御の姿勢を取らずに背後に跳び退いた。


 霧沢の斬撃は空を切る。だがそこで止まらなかった。

 再び霧沢の体が赤く掻き消える。一瞬で数メートル横へ移動した直後、高速移動の勢いをそのまま重たい一撃が今津へと見舞われる。


 躱せるようなタイミングではなかった。

 今津は両腕に展開した砦に氣を送り、有りっ丈の強度でもって霧沢を正面から迎え撃つ。


 ピシィッ!! と何かが軋むような音。

 辛うじて斬撃を受けきった今津の砦だったが、全身に浮かび上がったこうの鎧には深い亀裂が走る。両腕の部分に至っては古びたコンクリートのように無残に砕けていた。


 霧沢直也の攻撃はまだ終わらない。

 専用剣技『つむじかぜ』は、まだ三度の斬撃を残しているのだから。


 空へ、背後へ、数メートルもの距離を一瞬で移動した霧沢が、連続して二度の斬撃を今津稜護へ浴びせる。


 風と一体化したというヴィンス・ニーグルの伝説を再現した術式――疾風はやてり。言い換えれば風が吹いていなければ発動ができないのだが、都合の悪いことにヴィンスの伝承には意図的に風を巻き起こしたという記述がなかった。様々な伝承で風を利用している描写はあるものの、全て自然に吹いている風を利用しているのである。


 よって、闘術『天穿風アマツカゼ』には風を起こす術式が存在しない。

 術式の発動中に限ってある程度は風を操れるようになるとは言え、自由度も少なければ風量も弱い。疾風はやてりを使おうにもわずかな距離しか移動できず、また助走距離の増加による火力上昇も見込めなかった。

 

 だが、そのデメリットは召喚術式の憑依を使えば解決する。

 契約者である霧沢直也の適性を引き継いでいるため、風坊は六大要素の『風』の属性を帯びている。このため空をはしるという固有能力を使え、更には意図的に風を操ることもできるのだ。


 憑依によって得た風の操作により、疾風はやてりを含め天穿風アマツカゼが持つ全ての術式の効果を大幅に上昇させることができる。それは憑依前とは比べものにならない程に霧沢直也を強化していた。


 今津稜護が矛と盾を使いこなすのならば、霧沢直也は鬼に金棒といったところか。二つの術式がまるでパズルのピースのように寸分のずれなく噛み合っていた。


「セアァッ!!」


 四回目の斬撃が今津稜護の脇腹を抉る。


 大きくぐらつく体を必死に支えて踏ん張る今津だが、ボロボロの砦では完全に威力を殺し切れていない。全身を覆っていた紫光の鎧には崩壊直前の建物のように至る所に亀裂が走っている。あれだけ強固だった砦も、今は触れるだけで崩れ去りそうなほどに脆くなっていた。

 

 霧沢の身体が赤く掻き消えて、次の瞬間には今津稜護の正面に回り込む。

 五度目の疾風はやてり。訓練刀を右手だけで持ち直し、左手を正面に突き出した。


 みょうの構え。

 ほうせいらんからの『劣化・せんばくざん』で完全に砦を破壊する。


「――うおおお、おおおおおおおおおおおおおおッッ!!」


 今津稜護が吼えた。

 構えを取るために攻撃が止んだわずかな隙を逃さない。時間的にも氣の残量的にも砲を発動する余裕はない。砦も崩壊寸前。それでも今津は凄まじい剣幕を浮かべて両腕を霧沢へと突き出した。


 ほうショウホウ

 体内で練った氣をそのまま衝撃として放つ技。


 砲に比べれば火力はない。それでも実力カラーが紫のショウホウだ。構えを取って無防備だったせいで霧沢は真正面から受けてしまう。発動中だったつむじかぜは中断され、為す術なく数メートル後方へ吹っ飛ばされた。


 空中で体勢を立て直し、間髪入れずに今津へとはしり出す。


 攻めるなら今しかない。

 今津稜護の全身を覆っている砦は崩壊寸前のまま修復されていかない。紫色の光が弱く明滅を繰り返しているだけ。霧沢の猛攻を凌ぎ、更にショウホウまで使ったのだ。もう体内に氣が残っていないと見て間違いないだろう。再充填される前に勝負を決めるべきだ。

 

「(これで終わらせる――っ!!)」


 霧沢としても氣の残量に不安があるが、ここで小休止を挟むという選択肢はあり得ない。

 赤い残像を夜闇に刻みながら、霧沢は訓練刀を握る手に力を込め――


 ぞくり、と。

 得体の知れない悪寒が背筋を走り抜けた。


 威圧感。

 満身創痍で戦う力などほとんど残っていないはずの今津稜護が、なぜか切れるように鋭い眼光を浮かべている。その不自然さに霧沢の直感が反応したのだ。


「……まさか、ここで使うことになるとはね」


 ふっと今津稜護は頬を緩めた。

 溢れ出すのは紫色の界力光ラクス。ダムが決壊したように流れ出す膨大な光の波が辺りの景色を紫色に染めていく。大地が、空気が、悲鳴を上げるようにビリビリと震え始めた。

 

「誇っていいよ直也。オレにこれを使わせたのはあおだけだからなあ……!」


 あまりにも分かりやすい変化があった。

 亀裂が入っていた紫色の鎧が、形を変えながら質量を持った実体へと変化したのだ。別次元から滲み出すように顕現していく。はっきりと輪郭を帯びた『それ』を見て、霧沢直也は驚きの余り声を出せなくなった。


 それはまるで、中世の騎士が纏うような白銀の甲冑。

 何枚もの金属プレートを重ねたようなデザイン。つま先から指先まで全てが白色を基調とした鎧に覆われていた。肩の部分からは角のように鋭利な突起が伸び、龍を模したような紋章が刻まれている。背中には翼のように巨大な青いマントが広がり、金色の刺繍が施された縁が夜闇の中で光を放っていた。


 えいゆう

 闘術の真骨頂である。


 術式で再現するべき対象そのものを、術者の肉体で再現する最終奥義。


 伝承の一部を再現するのとは術式の次元が違う。

 顕現するのは、世界に記憶されるに至った超常存在――正真正銘の英雄達である。


「……英雄化、だと……?」


 唖然とした様子で霧沢は固まっていた。

 英雄化は闘術の到達点とも言われる程に強力な技術だ。しかし発動できる界術師は本当に少ない。現在では両手の指で足りるだけの数しかいなかった。夏越家ではその栄誉を讃えるために、英雄化に至った界術師の名前を六家連盟が発行する教科書に載せているほどだ。


「残念ながらオレの英雄化は未完成さ。辛うじて領域に片足を突っ込んでいるくらいのお粗末な出来だよ。まあそれでも――この劣勢を覆すくらいのことはできる!」


 今津稜護は興奮で昂ぶったように顔全体を歪ませ、燃えるような気勢で叫んだ。


「さあ踏ん張れよ直也! ここからが正念場だ! お前の可能性をみせてくれ!!」


 一際強い輝きを放った今津稜護の体が射出されたような勢いで掻き消える。

 ほうシンキャク。氣を消費することで地上で超加速を行う技だ。


「(歩法を使ってきた!? くそ、これだと……っ!!)」


 英雄化の利点は二つ。

 一つ目は闘術発動直後の硬直がなくなること。二つ目は氣が消費されなくなること。正しくは消費する度にそれを上回る速度で勝手に氣が充填されていくのだが、結果は変わらない。


 ようさいよろいという燃費の悪い闘術を活かすために今津稜護は機動力を犠牲にしてきた。歩法による高速移動はもちろん、その場所から動くことすら避けていた。このデメリットがあったからこそ霧沢直也は活路を見出せたと言っても過言ではない。


 だが、その希望の光は真っ黒な闇に飲まれてしまう。

 鈍足だが破壊力はある超重戦車が高速で戦場を駆け回るような常識の埒外の状況。機動力がないからこそ高火力が許されていたキャラクターなのに、何故か運営による修正で機動力まで付加されてしまったようなゲームバランスの崩壊。


 逃れようのない悪夢が、真正面から霧沢直也へ襲い掛かる。


「――ッ!?」


 目を逸らしそうになる程の圧力を伴って今津稜護の豪腕が唸った。

 身体強化マスクルを使った霧沢はギリギリのところで躱す。砲による莫大な衝撃が地面を大きく抉り取った。


 氣の消費がないということは全力の砲を何発も放てるという意味だ。今津はすぐさまもう片方の腕を引き絞る。カチャと金属が擦れる音が甲冑から響いた。


 接近されたままではまずい。

 赤い界力光ラクスを迸らせた霧沢が赤く掻き消える。疾風はやてりを使って即座に今津稜護の間合いから抜け出した。上空に飛び上がって体勢を整えながら白い騎士を視界に捉える。


 膝を折って力を溜めた今津が、青いマントを大きくはためかせて跳び上がった。シンキャクを使った超加速。地面から砂埃を巻き上げて夜闇に紫の帯を刻み込む。


「(でも、俺の方が速い!!)」


 機動力を手に入れたとは言ってもあくまで歩法が使えるようになっただけ。脅威であることには変わりないが疾風はやてりを使える分だけ霧沢の方が速度では勝る。


 ほんすいの構えを取った直後に疾風はやてりを発動。つい数瞬前まで霧沢がいた場所で正確に止まった今津の背後へと瞬時に回り込んだ。


 一閃。

 赤い輝きを纏った訓練刀を躊躇なく振り抜く。


 だが。


「(――硬、いっ!?)」


 砦の強度が跳ね上がっている。憑依で威力を底上げしているのにビクともしない。金属バットで地面を叩いてしまったような痺れが両腕に跳ね返ってきた。


「そんなもんかよお前の力はあっ!!」


 返す刀で今津の反撃が飛んでくる。

 ドゴォッ!! と腰の捻りを加えた砲が拳ごと叩き付けられた。


 目を開けていられない程の風圧が眼前で爆発する。

 咄嗟の判断で直撃を避けるのが精一杯だった。砲弾のような速度で吹っ飛んでいく体。為す術なく地面へと突き刺さって砂埃を巻き上げた。


「――ガァッ!? ふざ、けるなよ……っ!!」


 憑依状態で身体能力マスクルの効果が上昇していなければ今の一撃で決まっていた。余波だけでこの威力。火力が尋常ではない。まさしくバランスの埒外だ。調整ミスとしか思えない。


 起き上がってすぐさま上空の今津稜護を視界に捉える。月明かりを全身に浴びる白い騎士。直後、黄金に彩られた白銀の甲冑が紫色の界力光ラクスに塗り潰された。歩法・チュウシュウキャク。空中を蹴って超加速した白い彗星が一直線に肉薄してくる。


 カウンターを狙える余裕はない。慌ててその場から跳び退いた。


 雷が落ちたような轟音が炸裂する。

 噴火したような勢いで舞い上がる砂埃。遅れて広がる突風に距離を取った霧沢の前髪が激しく揺らされた。

 

 全く対策が思い付かない。猛威を振るう今津稜護の攻めを受け流すことで精一杯だ。向こうは氣の消費がないため際限なく闘術を使えるのに対して、こちらは氣の残量は心許なく、また憑依による機動力にも限度がある。このまま逃げ続けているだけではどこかで追い付かれてしまうだろう。


 大地を砕かんばかりの勢いで直接砲を撃ち込んだ今津稜護が、舞い上がる砂埃の中でゆらりと立ち上がる。その姿に浮かび上がるのは千の影。国を守るために神にすら挑んだ戦士達を背にして、白い騎士は決然とした表情で吼えた。


「オレがこの身に纏うは神話そのもの! 守るモノのために立ち上がった名もなき英霊達!!」


 カチャ、と白銀の甲冑を鳴らした今津稜護が硬く拳を握る。


「この拳、受け切れるものならば受けてみろ!! だが心しろ! お前が対峙しているのは神をも打ち倒す千の英霊の力――たかが三倍程度ではこの身に届くことすらないと知れ!!」


 シンキャクで一気に加速した今津稜護が突っ込んでくる。

 猪の突進を想起させるような圧力を前に、霧沢はただ距離を取ることしかできない。


「(このままだと……押し負ける)」


 冷や汗が頬を流れ落ちた。


 仮に運良く逃げ続けられても、それでは夏越邦治を始めとした六家連盟の役職者を納得させられないだろう。たとえそれが戦略だったとしても逃げて得た勝利では約束を反故にされる可能性があった。


 正面から立ち向かって勝つしか道は残されていない。

 だが憑依と天穿風アマツカゼを組み合わせても足りなかった。


 だったら、奥の手を出すしかない。

 

 これは賭けだ。

 負けの込んだギャンブラーが確率を無視して大勝負に出るような暴挙。


 意を決したような表情で今津稜護へと走り出す。


 逃げの姿勢から一変した霧沢を見て、今津は直感的に何かを感じ取ったのだろう。砲による迎撃ではなく砦を発動して防御に徹した。速度では霧沢に劣っているのだ。万が一でも隙を突かれることがないように万全の態勢を整える。


 全身から溢れ出した紫の界力光ラクスが白銀の甲冑を塗り潰す。放たれる威圧感に悲鳴を上げるようにビリビリと大気が震えた。


 むしろ好都合。

 訓練刀を右手だけで持ち直し、左手を白い騎士へと突き出す。


 みょうの構え。

 先ほどは発動できなかったほうせいらんの術式を界力次元へと投影した。


 だが、その後に選択する術式は『劣化・せんばくざん』ではない。


 憑依状態での五度の斬撃は確かに強力だ。それでも英雄化した今津稜護の砦を破壊できる保証はない。もし破壊に失敗すれば闘術発動直後の硬直で動けなくなる。英雄化の恩恵で闘術発動後の硬直を受けない今津稜護からのカウンターは避けられないだろう。


 それに『劣化・せんばくざん』では奥の手が使えない。

 だからこそ、選択するのは別の術式。奥の手と合わせて使う可能性を考えて最後まで温存しておいたもう一つの必殺技。


 専用剣技――『天穿風アマツカゼ』。

 闘術名にもなったヴィンス・ニーグルの代名詞である。


 何物にも囚われずに世界中を飛び回ったヴィンスの生き様そのものの再現。

 術者と対象との間を遮る『障害』を対象に発動。それが概念的に障害だと認識できれば問答無用で破壊する脅威の効果を帯びた術式だ。実力カラーの差や実体の有無といった条件はあるものの、当ててさえしまえばそれがどれだけ強固でも破壊することができる。


 春一番のような突風が吹き荒れ、ほうせいらんが発動する。

 憑依状態ならばただ強風を吹かせるだけでもそれなりの破壊力がある。だが今津稜護は動じない。千の英霊の力を引き継いだ白い騎士は、根を張ったようにどっしりと構えて霧沢直也を迎え撃つ。


 鮮烈な輝きを迸らせた訓練刀が、白銀の甲冑へと振り下ろされた。


 途轍もない衝撃が地面に亀裂を入れながら拡散する。闘技場コロッセオを支配する赤と紫の輝き。それは空間に染み付いた夜闇を拭い去り、昼間のように周囲を明るく照らした。


「ぐ、ぅ……ッ!!」


 憑依状態の天穿風アマツカゼを受けた今津稜護が数歩後ずさる。流石に無傷とはいかなかった。白銀の甲冑の表面には亀裂が入り、いくつかの金属プレートが砕け落ちる。


 だが、そこまで。

 砦を完全に破壊することはできていない。


「終わりだ直也! これでオレの――」

「まだ、だ!!」


 遮るように叫んだ霧沢は、全神経をすいたいに集中させた。


 

 界力演算領域インカイドの奥に保管したそれを呼び起こす。


 こくいんじゅつしき

 始まりの八家の一つであるとしもりが生み出した方式。


 常人の『三倍』の界力演算領域インカイドを持つ霧沢直也が使える最後の方式である。


「うォォおおおおっ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッ!!」


 両目の間にある界力下垂体が発火しそうになり、視界にスパークが散った。全身の血液が沸騰したと錯覚するほどに熱い。明らかに異常を警告する肉体の悲鳴を無視して刻印術式を訓練刀へと投影した。


 その瞬間、霧沢直也の界力光ラクスの色が変化する。

 燃えるように赤かったその輝きが次第に血のように黒みを帯び――最後には鮮やかな紫色へと昇華した。


「な、に――!?」


 驚愕に眦を吊り上げた今津稜護が、霧沢の斬撃に耐えかねたように更に数歩後ずさる。


 霧沢直也が投影した刻印術式はレベルの高いものではない。界力を流し込む事で斬撃の威力を底上げする基本中の基本。刻印術式を使う界術師が中等部の授業で学ぶような簡単な術式でしかない。残念ながら霧沢はまだ刻印術式を完璧に扱えるという訳ではなかった。


 だからこその、奥の手。

 不完全な術式が思うような効果を発揮するかは未知数だった。


 でも、霧沢直也はその賭けに勝利した。


 この乾坤一擲の一撃は余りにも大きい。

 わずかに届かなかった彼我の距離を埋めてしまう程に。


 紫色へと変化した霧沢の界力光ラクスが白銀の甲冑を削っていく。両腕を上げて必死に耐える今津の表情には余裕は残っていない。残った気力の全てを投入するように歯を食い縛っていた。


 術者の想いの強さによってその強度を増していく今津稜護の砦。

 障害であればどれだけ強度があっても破壊する霧沢直也の天穿風アマツカゼ


 互いに実力カラーは紫色で、術式効果と条件は同じ。天穿風アマツカゼが白銀の甲冑を削り切るか、神をも凌ぐ砦が一撃を防ぎ切るか。後は両者の気力と根性の問題だ。

 時間が何倍にも引き延ばされるような感覚。限界まで研ぎ澄まされた知覚能力が、わずか数秒にも満たない拮抗を何時間もの激闘だと錯覚させる。


 ピシッ!! と何かが軋むような音。

 その直後、白銀の甲冑が盛大に砕け散った。


 一閃。

 紫色の円弧を描く斬撃が、今津稜護を袈裟懸けに斬り裂く。


 襲い掛かった猛烈な衝撃によって今津稜護は何歩も後退する。覚束ない足取りだ。バラバラになった白い甲冑が足下へと剥がれ落ちていく。


 わずかな空白。


 ガク、と今津稜護はその場に膝を付く。そして、全てを出し切ったと言わんばかりの清々しい表情で顔から地面に倒れていった。


 夜の冷たい風と一緒に、静寂が闘技場コロッセオへと流れ込む。

 うつ伏せに倒れてしまった今津稜護はもちろん、勝者である霧沢直也も、模擬戦を見ている観客も、誰もが声を発することができない。


 霧沢直也は訓練刀を振り抜いたままの格好で固まっていた。


 いつも間にか全身を覆っていた紫の界力光ラクスも赤色に戻っていた。それも役割を終えたようにパッと弾け飛ぶ。肩で大きく息を繰り返すその顔には大粒の汗が浮き出し、顎のラインから地面へと垂れていった。


 闘術、召喚術式、刻印術式。

 いくら常人の三倍の界力演算領域インカイドがあるからと言って、三つの方式を使うために全開ですいたいを動かし続けられる訳ではない。肉体には莫大な負荷が掛かる。思うように体を動かすことができないのは闘術による硬直のせいだけではないだろう。


 すいたいを酷使したせいで激しい頭痛が脳を揺らす。しばらく界力術を発動することはできないはずだ。もし今津稜護に防がれていれば為す術なく負けていたということだ。


 だが、結果は変わらない。


 霧沢直也は勝利した。

 ならば、まだやるべき事が残っている。

 

 すっ、と。

 満身創痍の体に鞭を打ち、岩のように重たい右腕を持ち上げる。


 握り締めた訓練刀の切っ先にいるのはなつごえくにはる

 界術師の世界の一角を統べるその人物を中心に、闘技場コロッセオ全体に大声を響き渡らせる。


「聞け、界術師共!!」


 今ならば、声が届く。

 差別の対象と罵られてきた天城家の界術師でも、その叫びで心を動かせる。


 さあ、ずっと言えなかった言葉を告げよう。

 全てを失った『あの時』から胸の奥に秘め続けた想いを込めて。


 霧沢直也は世界に宣戦布告をした。


「俺は変える、世界を変える。その為にここにいる! これが――その第一歩だ!!」

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