第26話 要塞鎧

 ※前回のあらすじ


 しらづめひょうから背中を押されたきりさわなおは自身の風紀委員会入りと特班設立を賭けて、絶対的な強者であるいまりょうとの模擬戦に挑む。


 様々な思惑と感情が絡みついた一戦の火蓋が切って落とされた。


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 とある伝説がある。


 ガトルック峡谷の聖戦。

 それは理不尽な神の暴虐から国を守るべく立ち上がった千人の戦士の物語。


 大地の恵みを、天候を、命の芽生えさえ、その国の人間は一体の神によって管理されていた。だが神は気まぐれだった。気に入らないことがあれば作物を枯らし、癇癪を起こせば大雨で洪水を起こし、人間が悲しむ姿を鑑賞するために命さえ摘み取った。


 そんな神を殺すべく、人間は立ち上がった。


 ガトルック峡谷――神が住む場所と人界を隔てる境界線上に要塞を築いて神へと宣戦布告をした。だが戦力差は歴然としている。矮小な力しか持たない人間では神を殺すことなどできはしない。国民以外の誰もが、他の神々でさえ、その聖戦に価値を見出さなかった。


 だが、結果は違った。

 全力で抗った人間が、神を打ち倒したのだ。

 

 勝敗を分けたのは、想いの力。

 大切な誰かを護るために、掛け替えのない物を守るために、命を賭けて戦った人間達は幾つもの奇跡を連続して起こした。そして、ただの人間では絶対に起こり得なかった『世界の記憶メモリアへの記録』という偉業すらも成し遂げる。


 これが、ようさいよろいと呼ばれる闘術が再現する神話。

 殆どの闘術が世界の記憶メモリアに保管された英雄の伝説や生き様を再現するのに対し、要塞鎧が再現するのは神話そのもの。適性を持つ界術師が少なく、使い手が限られる非常に珍しい闘術である。



        ×    ×    ×



 きりさわなおは十メートルの距離を開けていまりょうと対峙する。

 戦闘が始まっても今津はすぐに動かなかった。全身から淡い紫色が漏れ出してがいるが、不敵な眼差しを霧沢に向けているだけ。なつごえが生み出した方式『とうじゅつ』の発動に必要な『』を溜めているのだろう。


 だが動けないのは霧沢直也も同じだ。彼もまた氣を溜めている最中なのだから。


 この模擬戦で天城家の方式である『しょうかんじゅつしき』を使う気はなかった。

 召喚術式はじゅうを喚び出して使役する方式。人間の身体能力を遙かに凌ぎ、尚且つ特殊能力を備えた界力獣は確かに強力だ。一対一なら数の面で有利を取れるし、一対多でも十分に戦えるだけの戦力になる。

 しかし、一定以上の段階に成長した界力獣が受けたダメージは、術者にも衝撃として跳ね返るというデメリットが存在する。的が大きければそれだけ攻撃をもらうことも増えるだろう。有象無象を相手にするなら問題がないが、実力者を相手にする時はそうもいかない。


 ましてや今回の相手は今津稜護だ。

 間違いなく強敵。界力獣を全面に押し出して戦うにはリスク大きすぎる。


 だから、選択した方式はとうじゅつ

 奇しくも今津稜護と同じ方式で正面から戦うことになったのだ。


「なんだ、てっきりじゅうを使ってくると思ったのに」


 訓練刀を構えたまま動かない霧沢を見て、今津は少しだけ気落ちしたように訝しんだ。


「ええ、分が悪いと判断したので」

「残念だよ、せっかく召喚術式使いと戦えると思ったのにな。それと、

「……、」

「君は常人の三倍の界力演算領域インカイドを持っているんだろ、当然警戒しているよ」

「安心してください、まずは闘術で戦いますよ。今津先輩の土俵で――っ!!」


 霧沢は地面を蹴って走り出す。


 氣は完全に溜まりきっていないが仕方ない。

 実力カラーは相手の方が一色上。氣を溜める速度や量は実力カラーに依存するため満タンになるのは今津の方が早い。先手を取られることだけは避けたかったのだ。


 身体強化マスクルを使った霧沢が闇夜に赤い残像を刻み込んで疾駆する。


 霧沢直也の闘術は『天穿風アマツカゼ』。

 記憶次元にその生き様が保管された剣士――ヴィンス・ニーグルの伝説を再現する術式だ。


 黒の外套に身を包み、漆黒の長刀を振る長身の剣士。その姿により死神と見間違えられたという伝承が残っている。風と一体化することができた彼は、自由気ままに大空を駆ける天津風のようにどこへでも飛んでいけた。風の中にいる彼は無敵。風が全ての攻撃をいなし、反対にこちらの攻撃は吸い込まれるように当たる。まさしく最強の剣士であった。


 大地に根を張ったように動かない今津へ肉薄した直後、霧沢の全身が赤い界力光ラクスを放ち――


 ぎゅいんっ!! と。

 まるでボクサーの放つフックのような軌道を描き、霧沢直也の身体が高速で今津稜護の側面へと回り込む。


 術式『疾風はやてり』。

 ヴィンスが風と一体化したと言われる伝説の再現。


 天穿風アマツカゼを使う界術師は、術式を発動している間に限って風を操れるようになる。その能力を使って今津の側面に回り込む風の流れを生み出し、一体化することで瞬間移動と見紛う速度で移動したのだ。


「セアァッ!!」


 裂帛の気勢と共に訓練刀を横薙ぎに振るう。

 闘術の発動中は記憶次元に保管されたヴィンスの感覚の一部を継承できる。実力カラーが赤色にもなれば、その一振りはただの斬撃とは桁違いの鋭さを誇るようになる。


 今津は全く反応できていない。

 脇腹から真一文字に訓練刀が通る――はずだった。


 ガキンッ!! と鈍い衝撃が訓練刀を握る両腕を痺れさせた。

 透明な何かが今津の胴体を守るように存在している。紫色の光を帯びた鎧のようなもの。叩き割ろうと力を掛けるがびくともしない。


「速いな……だが軽いっ!!」


 ゴウッ!! と乱暴に身体を捻った今津が裏拳を放った。


 一瞬にして喉が干上がる。

 迫り来る木の幹のように太い腕を紙一重で躱した。間合いに居続けるのはまずい。すぐさま身体強化マスクルを使って大きく距離を取る。


「あれが『とりで』……っ!」


 今津稜護が使う闘術――『ようさいよろい』。

 理不尽な神から民衆を守るために立ち上がった千人の戦士による戦いの記録。特定の英雄を再現するのではなく、神話そのものを再現する非常に珍しい闘術だ。

 

 霧沢直也の一閃を防いだのは盾――『とりで』と呼ばれる術式である。神の攻撃を防いだと言われる強固な防御壁。術者の想いに比例して強度を増すという最上級に強力な防御術だ。


「(死角からでも攻撃が通らない。全身を守るように砦を使っているのか?)」


 あの砦を攻略しないことにはどれだけ速度で圧倒しても意味がない。息切れをした瞬間にカウンターを喰らうのが関の山だろう。


 だが、霧沢直也の闘術での攻略は難しい。

 天穿風アマツカゼは速度や手数で相手を圧倒する思想の術式。今津稜護を相手にするなら火力不足と言わざるを得なかった。界力獣――風坊の破壊力ならば可能性はあるが今津稜護まで辿り着くことが難しいだろう。


「(探すしかないな……要塞の弱点を)」


 術式の構造的な欠陥は必ず存在する。一方を活かすために、もう一方を犠牲にする。何かに特化した術式とはそのようにして成り立っているのだから。


 訓練刀の切っ先を地面に向けて、右足を引いた半身の構えを取る。


 闘術は『構え』を取ることで術式を界力次元に投影している。それは今津稜護であっても、またかみやなぎたかすみであっても変わらない。構えと術式を紐付けすることで、考えるよりも早く保管領域アーカイブから闘術を選択できるようにしているのだ。


 霧沢直也の取ったのは『ほんすいの構え』。疾風はやてりなど移動系術式と関連づけた構えである。

 

 だが、次の一手を導き出す前に今津稜護が動く。


 膝を折って重心を落とした。全身から迸る紫色の界力光ラクス。直後、身体強化マスクルを使って夜空へ跳び上がった。決して素早い訳ではない。それでも闘技場コロッセオ全体を支配する圧倒的な重量感は、一瞬で霧沢の警戒を最大まで引き上げた。


 獰猛に唇の端を吊り上げた今津は大きく右の拳を振りかぶる。弓を引くように強く胸を張った構え。まるで蜃気楼のように拳の周りの空間が歪んで見えた。


 途端、危機感で脳内が真っ赤に染まる。


 風紀委員会の入会試験前に受けた一撃。

 違法薬物捜査の時に飛んできた車を跳ね返した一撃。


 伝説の中で神を殺した人類の矛――『ほう』と呼ばれる術式。


「ッ!!」


 このまま突っ立っていれば『砲』の直撃が空から降り注ぐ。受け流して反撃に繋げるような余裕はない。身体強化マスクルを使って一目散に跳び退いた。


 そこへ。

 雷が落ちたかのような途轍もない衝撃が突き刺さった。


 猛烈な風が周囲へ撒き散らされて爆発したように地面から砂埃が舞い上がる。煽りを受けた霧沢は突風に弄ばれる木の葉のように吹き飛ばされた。


 だが、それで終わらない。

 辛うじて視界に捉えた今津稜護が、今度は左手を大きく引いて構えていたのだ。


「(――もう一発!?)」


 着地してからの回避では間に合わない。

 赤い界力光ラクスを放つと共に歩法『チュウシュウキャク』を発動。無理な体勢のまま宙を蹴って方向を変え、紙一重のタイミングで今津稜護の射線から外れた。


 嵐を凝縮したような暴風の槍が放たれたのはほぼ同時だった。


 目と鼻の先を凄まじい衝撃の奔流が走り抜ける。

 直撃すれば一溜まりもないだろう。巨人による平手打ちを喰らうようなもの。抵抗する暇もなく意識を持って行かれるはずだ。ただ吹き飛ばされるだけでは済まない。


 何とか体勢を立て直して地面に着地した。

 今津は不敵な顔で佇んでいるだけで追撃はない。氣の再充填を行っているのだろうか。


「(砲は一度に二発が限界か? 見るからに氣の消費量は多そうだけど)」


 冷や汗を拭いながら、霧沢も呼吸法によって失った氣を充填させる。


 体勢を崩した霧沢を追撃してこなかった。いやできなかったと考えるべきか。要塞鎧が燃費の良い闘術でないことは明らか。ある程度の攻防を繰り返したら氣を充填させる必要があるのだろう。『砲』を撃って氣を消費した後ならば『砦』の強度も落ちているかもしれない。


 だからと言って、悠長にチャンスを待っている訳にもいかなかった。


 闘術使い同士の戦いになれば氣の残量が如実に勝敗を分けるようになる。

 実力カラーの一色差によって氣の使える最大量はこちらの方が少ないし、再充填にも時間が掛かる。同じ土俵で戦い続けていれば先に音を上げるのは間違いなくこちらだ。いくらようさいよろいが燃費の悪い闘術だとしても持久戦を挑むのは分が悪かった。天穿風アマツカゼも決して燃費の良い闘術ではないのだから。


 長期戦では不利になる。ならば考えるべきは短期決戦。

 速度と手数で圧倒する天穿風アマツカゼにも相手の防御を打ち崩すような大技は存在していた。それをぶつけて砦を破壊してみせる。

 

 ほんすいの構えを取って静かに呼吸を落ち着けた。


「なあ直也、君はその剣を誰に習った?」


 今津は不思議そうな顔で問い掛ける。


「……それ、勝負に関係あるんですか?」

「失礼、少し興味が湧いてね」


 余裕そうに肩を竦める今津に向かって、霧沢は身体強化マスクルを使って駆け出す。

 ある程度まで距離を詰めたタイミングで疾風はやてりを発動。夜闇を遠ざけるような輝きを放ち、霧沢の身体が赤く掻き消える。


 ほとんど瞬間移動のような速度で今津の左真横に移動して訓練刀を振り抜く。だが真一文字の軌道で繰り出された一閃は、見えない鎧のようなものに遮られた。


 今度はそこで止まらない。

 続けて疾風はやてりを発動して右肩上方へと移動。側頭部へ訓練刀を振り下ろすがこれも阻まれる。両腕の痺れを無視して更に疾風はやてりを発動し、目にも留まらぬ速さで移動しては斬り続ける。


 闘術『天穿風アマツカゼ』の専用剣技――つむじかぜ


 術式発動後の硬直を無視して、疾風はやてりを連続使用。対象へ多方面から斬撃を浴びせる技だ。

 天穿風アマツカゼを使う剣士ならば誰もが習得する基本技だが、練度によって硬直に襲われずに疾風はやてりで移動できる回数が変わってくる。三度の移動ができれば一人前とされ、霧沢直也の場合は五度まで移動できる。


 四度の斬撃は囮。

 全身に意識を拡散させて、少しでも砦の強度を分散させるための。


 最後の移動で敢えて今津の正面に移動する。

 すぐに斬撃を放たない。訓練刀を右手だけに持ち直して軽く引き、左手を前に突き出すような構えを取った。


 みょうの構え。

 霧沢直也が持つ最大威力の連続技を放つための構えだ。


「セアァァッ!!」


 わずかな間を置いた直後。

 腹の底から雄叫びを上げた霧沢の周囲で突風が吹き荒れる。


 闘術『ほうせいらん』。

 ヴィンス・ニーグルが風の中で無敵を誇ったと言われる伝説の再現。


 多量に氣を消費して突風を起こし続ける必要があるが、その間だけは通常の何倍も多くヴィンス・ニーグルの感覚を引き出すことができようになる。身体機能という制限の中でなら一時的とは言え純粋な戦闘力を大きく向上させられる。

 本来なら短期間で相手を倒したり格上の相手とも互角以上に戦ったりするための闘術だが、霧沢直也は別の使い方のためにも発動している。


 他の闘術の剣技の再現。

 記憶次元から引き出した世界の記憶メモリアによるものではなく、見よう見真似で剣技を使用する。


 右足を踏み込み、両手で訓練刀の柄を握った――その瞬間。

 赤い輝きを残して、訓練刀が掻き消える。


 そして。

 スッバァッッ!! と五度の斬撃が同時に今津稜護へ襲い掛かった。


 疾風はやてりから合計すると九連撃。

 霧沢直也が使える最高威力と速度の複合技である。


 ぎょっ、と今津は目を剥いて数歩後ずさる。

 左肩から右脇腹へと袈裟懸けに走る五つの衝撃。全身を覆うように薄らと浮かび上がっている紫色の鎧に、わずかではあるが亀裂が生まれていた。


 だが、それだけだった。

 亀裂は広がらず、今津自身もダメージを負っている様子はない。


 砦を破壊することはできていない。


「惜しかったな――だがっ!!」


 今津が握った拳の周りの空間が蜃気楼のように歪む。


 砲が来る。

 早く回避しなければやられる。


 だが。


「(――くそ、間に合わない!!)」


 闘術発動直後の硬直。

 全ての闘術使いに課せられた弱点。

 

 大きく胸を張って力を溜める今津を見ながら唇を噛む。


 複合技で氣を大きく消費しているため歩法での離脱は不可能。硬直も解け切っていない。それでも必死に身体強化マスクルを発動させる。ほうせいらんで引き出したヴィンス・ニーグルの感覚を使ってこの場から逃げ切るのだ。


 霧沢の身体が動くのと、砲が放たれたのはほぼ同時だった。

 猛烈な衝撃の槍が空間を貫く。巻き込まれた霧沢は独楽コマのように回転しながら吹っ飛んだ。


 自分が空へ上がっているのか地面に向かっているのかすら分からない。誰かに頭を掴まれてガンガンを揺さぶれているような感覚。呼吸すら忘れたまま為す術なく地面に激突する。


「……っ!!」


 目が覚めるような衝撃が脳を貫いた。

 爆発したような激痛が左肩で炸裂する。何回もバウンドしながら地面を転がり、砂埃を巻き上げながらようやく止まった。


「(……耐え、られた?)」


 脳みそが掻き回されたと錯覚するような吐き気に襲われる。それでもジンジンと全身から発せられる鈍い痛みを無視して何とか膝立ちの状態になった。ぐわん……、と揺れる視界の中でこちらを見たまま佇んでいる今津を捉える。


 ヴィンス・ニーグルの感覚によって何とか直撃を避けたとは言え、致命的な隙だったことには変わりない。それでも意識を失っていないということは、霧沢の複合技を防ぐ時に氣を使い過ぎて砲の威力が落ちてしまったということか。

 燃費の悪さ。要塞鎧が抱える弱点により霧沢の勝ち筋が首の皮で一枚繋がったのだ。


 訓練刀を地面に突き刺すようにして立ち上がる霧沢を、今津は遠くで氣を溜めながら見ていた。絶好のチャンスなのに追撃をしてこない。


「(氣を多く消費したから攻められないのか? いや、それよりも機動性に難がある?)」


 ようさいよろいには上柳高澄の『てんい』や霧沢直也の『疾風はやてり』のように機動力を得る術式は存在しない。燃費の悪い要塞鎧を使い続ける為に歩法を制限しているのであれば機動性は皆無に等しいだろう。

 それにこれ程まで動かないとなれば、移動そのものが術式に何か影響を与えると考えた方が自然だ。砦の強度が落ちたり防御範囲が減ったりと色々と想像はできる。なんにせよ、というのは大きな術式の構造的欠陥である。

 

「……やっぱり、そうとしか思えないな」


 今津の表情がわずかに強張る。


「ようやく既視感の正体に辿り着けた。――裏の五本指レフト・ファイブ黒い剣戟ブラック・レイン』。直也、なぜか君の剣には『裏切りの剣士』の姿がちらつくんだ。だから非礼を承知でもう一度だけ訊かせてくれ」


 磨かれた玉石のような瞳に鋭い光が宿った。返答次第ではただでは済まさないと言わんばかりの剣幕。訓練刀を握る霧沢の手に力が入る。


「君の師は誰だ? 誰に剣を教わった?」

「もし……俺が『その人』から剣を教わっていたとしたら?」

「オレが負けられない理由が増えるだけだよ。なにせ、黒い剣戟ブラック・レインは夏越家を破門になった界術師だ。界術師の差別問題に対して数々の変革をもたらした『伝説の革命家』。。公には死んだ事になってるが、真相は違う。手前勝手な理由で全てを投げ捨てて裏社会に堕ちた本物の無法者だ。そんな野郎の弟子に負けたんじゃオレの立場がなくなるからね」


 裏の五本指レフト・ファイブ黒い剣戟ブラック・レイン』。


 全界術師の中で十人しかいない黒い界力光ラクスを放てる界術師。その内の一人が今津稜護の予想通り霧沢直也の剣の師匠であった。天城家の施設を逃げ出してから約二年間、霧沢直也は本土の裏社会で黒い剣戟オッサンと共に活動してきたのだ。


 今まで使ってきた『ほんすいの構え』や『みょうの構え』だけではない。先ほど放った五連撃も黒い剣戟ブラック・レインの闘術『れいてんけい』の専用剣技――せんばくざんの劣化版だ。霧沢直也の使う剣術の全ては黒い剣戟ブラック・レインの影響を色濃く受けていた。


 闘術に限らず、界力術とはイメージに大きく左右される。


 降りしきる千の雹を全て切断したという伝説の再現。本物の黒い剣戟ブラック・レインなら十の斬撃を同時に放てる。霧沢直也は何度も隣で本物のせんばくざんを見てきたからこそ劣化版とは言え技を再現できるのだ。他にも天穿風アマツカゼを使う界術師はいるが、その誰もが霧沢直也と同じことをできる訳ではない。


「……、」


 霧沢は無言で今津稜護を睨み付ける。

 オッサンが世間でどのような評判なのかは知っている。本当の事情を知らない大多数の人間からすれば『伝説の革命家』とは英雄の名ではなく、卑怯者を示す悪名かもしれない。そう思う事を否定する気はなかった。


 だが、やはり自分の憧れの存在を貶されていい気がしないのも確かだ。


「……仮に、俺の師が黒い剣戟ブラック・レインだったとしても、そうじゃなかったとしても、やる事は変わらない」


 負けられない理由が一つ増えた。

 決然とした表情で告げる。


「俺はアンタに勝つ。勝って、風紀委員会に入って、あの人と同じ場所に行ってやる!」


 とは言え、戦況がかなり厳しいのは紛れもない事実だ。闘術だけでは今津稜護には届かない。純粋な火力不足。天穿風アマツカゼという闘術の性質上、これっばかりはどうしようもない。


 だったら、もう一つの力を掛け合わせる。

 立ち上がる時に地面に突き刺した訓練刀から手を離した。


 右手を前に突き出した霧沢の身体から、赤い界力光ラクスが迸る。


「――来いよ、風狼。鋭く斬り裂く嵐を纏いて……!」


 赤い突風が吹き荒れる。巻き上げられた砂塵の中に顕現したのは、夜に溶けそうなほど黒い毛並みを持つ巨大な狼。グルルと威嚇するように喉を鳴らして赤い双眸でキツく今津稜護を睨み付けていた。


「それが直也のじゅうか。やっと使ってくれる気になったんだね」

「ええ。最初は使う気はなかったんですけど、そうも言っていられなくなったので」


 唐突に、風坊の黒い巨体が赤い輝きに包まれ始めた。


 リスクが大きいのにも関わらず界力獣を召喚したことには理由がある。


 憑依ひょうい

 召喚術式の真骨頂。


 召喚した界力獣を術者に宿らせる技術だ。界力下垂体の活性化により界力の処理能力が向上。身体強化マスクルを始めとして界術師としての全ての能力が底上げされる。極め付けとして、界力獣が持っている固有能力を使うことができるようになるのだ。召喚術式の最終奥義とも呼ばれる破格の技術である。

 

 風坊の肉体を構成していた赤い光芒が全て霧沢直也へと吸い込まれていく。

 それらは鎧のように霧沢の全身を覆っていった。頭からは二つの耳、ていこつの辺りからは尻尾をそれぞれ模した光が伸びていく。両手は鋭い爪を模しているかのような鋭い輝き。霧沢直也の輪郭は風にたなびく毛並みのように赤く揺れていた。


「行くぞ、今津稜護」


 地面に突き刺した訓練刀を引き抜き、霧沢直也は力強く告げる。


「神をもしのいだその砦――この爪で穿うがってみせよう」

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