第24話 目指すべき未来

※ 前回のあらすじ


 早乙女さおとめみやしらづめようとの会話から、きりさわなおは自分が変えようとしている『界術師の世界』の理不尽や窮屈さを改めて実感した。


 何かを変えるため必要な事は、『何を』言うかではなく、『誰が』言うか。

 目的達成に必要な立場を手に入れるためには、ここまで導いてくれた『オッサン』と同じく風紀委員会に入るしかないと考えているが、その雲行きは怪しさを増していく。全ての命運は、会議に託された。


--------------------------------------------------------------------------------------------------


 特班設立の可否を問う会議が続いている。

 第一校区の運営に携わる本家や分家関係者だけで行われるため、当事者であるはずのきりさわなおは出席ができない。控室で会議の結果をじっと待っていた。


 心が落ち着かないまま、一時間近くが経過した頃だった。


「……直也君、呼び出しよ」


 緊張した面持ちの早乙女さおとめみやが扉を開けた。黒を基調としたフォーマルスーツに、後頭部で結われた緩くカールする長髪。会議のための正装も相まって、瞳に浮かんだ切羽詰まったような光は鋭く霧沢の心を揺らした。


「呼び出し、ですか?」

「そう、会議に連れてこいって……くにはる様が」


 なつごえくにはる――『始まりの八家』の一つである夏越家。その現当主。

 その気になれば国を動かすこともできる権力者による直々の指名だ。如何なる理由があっても断ることはできなかった。


「それで、会議はどうなったんですか?」


 控室を出た後、霧沢は会議室まで案内してくれる早乙女さおとめみやに問い掛ける。だが、早乙女からの返答はない。ただ前を向いてひたすら歩き続ける。


「……先生?」

「ごめんなさい、くにはるさまからの命令なの。余計な先入観を持たせて意見を変えさせたくないから、会議の顛末は一切伝えるなって言われてて……」


 そういう早乙女の声は震えていた。まるで絶対的な支配者に怯える民のようだった。

 無言のまま進み、会議室の扉の前で立ち止まる。


「……直也君、私からは一つだけ」

 

 何度か逡巡を繰り返した後、早乙女は神妙な顔で告げる。


「きっと、これから直也君は色々な事を言われるわ。差別的な事、理不尽な内容……聞いていて気持ちのいいものじゃない。それでも絶対に冷静さは忘れないで。邦治様はそういう所も見ているから、あの人を失望させればチャンスは二度と訪れないわ」

「同じことを、陽華先輩にも言われました。先生でも怖いんですか?」

「そりゃ、ね。分家関係者の間じゃ恐怖の対象よ、私だって機嫌を損ねればどうなるか分からないわ。私ができるのはこれくらい、後は直也君に全てを託したから」

「分かりました」


 早乙女が開けてくれた扉から、霧沢は会議室の中へと足を踏み入れた。

 部屋の両端に向かい合うような形で並べられた長机。それぞれが特班設立の賛成派と反対派なのだろう。難しい表情を浮かべた大人に交じって、いまりょうしらづめひょうといった見知った顔も黙って霧沢を待っていた。


「ほぅ、てめえが天城の大馬鹿野郎か。意外と小っせえな」


 呼吸すら躊躇う沈黙を打ち破ったのは、太鼓の演奏のように迫力のある野太い声だった。

 

 熊のように巨大な男である。

 いかつい顔付きに浮かぶ双眸は猛禽類のように鋭く力強い。白髪交じりの髪は角刈りで揃えられ、服の上からでも分かる筋骨隆々とした鋼の肉体は衰えを忘れているかのようだ。もんつきおりはかまを纏ったその姿はまさしく百万石の領地を治める戦国武将といった風貌であった。


 なつごえくにはる、六十三歳。

 始まりの八家の一つ『夏越家』の現当主だ。


 会議室の奥に座った夏越邦治は、霧沢の足先から頭の先まで値踏みするような視線を浴びせて、


「てめえ、名前は?」

「霧沢直也と申します。邦治様の仰る通り、天城家の出身です」


 ざわざわ、と会議室の空気が騒然とする。今までは名前だけが飛び交っていたが、実際に当人を見たことで改めて状況の異常さを認識したのだろう。


「それでは、私から会議の顛末を説明します」


 そう言ったのは、なつごえくにはるの隣に立つ長身痩躯な青年だった。

 手入れされた銀髪は背中まで伸びており、柔らかく上品な顔立ちに中性的な印象を添えている。長い前髪は額の真ん中で分けられ、切れ長の両目は常に和やかに細められていた。何事に対してもどこ吹く風といった佇まい。何枚も仮面を被っているかのように真意が読めず、底の見えない不気味さを感じさせた。


 てらじまあお

 高等部二年生にして第一校区高等部の生徒代表。始まりの八家の一つである寺嶋本家の長男であり、次期当主候補筆頭。将来的に全界術師の六分の一の権力を握ることが内定している正真正銘の御曹司だ。


「最終的に残った問題、それが霧沢直也……あなたの扱い方なんです」


 会議の顛末を流暢に説明した後、寺嶋蒼希は底の見えない笑みと共に結論付けた。


「先ほども説明した通り、特班設立に関わる問題はほぼ全て解決しています。それは邦治様も保証してくれるでしょう。ですが、あなたの扱い方に関してだけはどれだけ話し合っても結論が出なかった。六家界術師連盟に属する立場ある界術師が、差別対象とされ、今もなお敵対している二家同盟の界術師を認めるか否か。霧沢直也君、この結論が如何に影響力を持っていて、神経質にならなければならないか、あなたなら理解できるでしょう?」

「だから、てめえにも会議に参加してもらったんだ。外野の俺達がいくら言葉を交わしたところで埒が開かねえよ、ここは本人の意見も聞かねえと不公平だって判断したのさ」


 ニヤリ、と夏越邦治は鋭い笑みを浮かべ、霧沢に真っ直ぐな視線を突き立てる。


「正直な話をしよう。俺は特班ができようが、天城家の界術師が風紀委員会に入ろうが、どうでもいい。大切なのは結果だ。俺達の決断で第一校区が平和になってくれりゃあ、その過程でどんな事が行われていても問題にはならねえからな。だが、どっちかに決めるってなると色々と問題が出てくるって訳だ。お前なら何となく想像が付くんじゃねえか、天城家の小僧」

「……問題、ですか?」

「おうよ。そんな事情があるからな、てめえには『根拠』を示して欲しかったんだよ。てめえを風紀委員会に入れたとして起こってくるであろう諸問題。当然、本土の偉い連中に反対だってされる。それを黙らせるだけの『理由』が欲しい。この俺が骨を折ってやるに足る論拠。そいつさえ示してくれて、俺が納得できりゃあ、てめえの風紀委員会への入会を認めてやってもいいと思っている」


 気付けば、手に汗を掻いていた。

 邦治の放つのは迫り来るような威圧感。それは長い年月を掛けて生み出された大自然のように見る者を圧倒させるだけの凄みを持っている。気を抜けば後ずさってしまいそうだ。


「教えてくれよ、天城家の小僧。てめえはどうして風紀委員会に入りたいんだ?」

「変えるためです」


 それでも、霧沢直也は即答した。

 前に進む理由だけは、ラクニルに入学した時から、あるいは全てを失った『あの時』から、何も変わっていないのだから。


「何を変えるつもりだ?」

「このふざけた界術師の世界を」

「――くっ」


 ガハハハハ!! と唐突に邦治は大きく破顔して笑い始めた。


「世界を変えると来たか! でかく出たなあ! それで風紀委員会に入ってどうやって世界を変えるんだ?」

「立場を手に入れます。自分の声が、誰もの耳に入るような立場を。かつて『あの人』が到達した最高の場所に立って、自分の想いで世界を変えるんです。きっと元々組織の中で育った人では意味がないんです、彼らは圧力に負けて組織に取り込まれてしまうだけですから。自分のような部外者にこそ革命者たる資格があると考えています」

「ほぅ、言うじゃねえか小僧」


 にぃ、と邦治は顔の皺を深くするように頬を持ち上げた。


「今の界術師の世界は停滞しています。組織に取り込まれた大人は現実を受け入れて、慣習に従う美学を次の世代にまで押し付ける。その結果、生まれるのは思考を放棄した同調圧力の奴隷。大量生産の模倣品。それじゃあ、いつまで経っても救われない人がいる。考えないから、感じないから、自分の幸せの礎になっている物を知らない。手を差し伸べようとすらしない。彼らの陰で苦しむ人々の嘆きは、悲劇は、何十年後も変わらずそこにあり続けるんです――自分の、かつての仲間のように……!」


 語気を強くした霧沢は、ぐるりと室内を見回した。

 甘い汁を吸い続ける上位者達に、鋭い視線を浴びせる。


「だから、自分は世界を変えます」


 毅然とした表情で、気圧されそうな視線を放つ邦治に正面から向き直る。


「ラクニルに来て、自分は知ったんです。世界に絶望しているのは自分だけではないことを。どうしようもない理不尽に苦しんで、下を向くしかない人を見てきた。そして、小さな世界を変えるために必死に戦った友人の姿を見て、迫りくる未来を受け入れようとする先輩の姿を見て、必死に現実と戦う人達を見て、自分は確信しました――この世界はどこまでも間違っていると!」


 剣の切っ先を突き付けるように、言葉を紡いでいく。


「進もうにも行き止まりで、決められた道しか許されない。自由を謳われながらも常識という名の偏見で縛られて、気付いた頃には可能性が狭まっている。無限の未来を夢想することすらできず、明るい未来は諦めるしかない。そんな暗い世界を、自分のような若者が未来に希望を抱けるような世界に変えます。そのために、自分は風紀委員会に入って実績を残す必要があるんです。今は耳障りな雑音でしかない自分の声を日本中に届けるためには、『あの人』と同じ立場を手に入れるしかないんですから」

「ハッ!! いいねえ、気に入ったぞ小僧!」


 邦治の顔に次第に狂気にも似た激しい色が広がっていく。


「野心、無謀、大いに結構! 俺は威勢のいいやつは好きだ! 最近のガキはお利口なヤツばっかでつまらん。もっとみんな馬鹿でいいんだよ、頭を使うヤツなんて一握りいればいい。てめえの大口は聞き心地が良かったぜ。取り敢えずは合格だ、霧沢直也」

「はっ、感謝致します」

「だがな、俺は弱え奴が何よりも嫌いなんだ。力がないくせに自分の主張だけは一丁前にする連中とかな。その点てめえは良く分かってるよ。大切なのは『何を』言うかじゃねえ、『誰が』言うか。その通りだぜ、弱え奴が正論を吐いたところで何も変わっちゃくれねえんだ。いっぱしの口を叩いたんだ、次はてめえがそのでけえ口を証明する番だぜ」


 そう言うと、邦治は視線を特班設立賛成派の椅子に座る女子生徒へと向ける。


そら嬢、あんたに一つ質問をしたい」

「はい、なんでしょうか邦治様」


 すっと静かに立ち上がったのは、今津稜護の隣に座る女子生徒だった。

 上質な絹を思わせる亜麻色の髪を両サイドにも長く下ろしたロングヘアー。華奢な体躯だが、ふくよかな女性らしい丸みは制服の上からも見て取れる。優雅な物腰の端々には聡慧さが滲み、育ちの良さが窺えた。兄に似た切れ長の目は全てを見透かすように神秘的。超然としたその雰囲気にはまさしく魔女という言葉がふさわしい。


 てらじまそら。第一校区高等部一年生。

 寺嶋本家の長女であり、第一校区生徒会副会長。てらじまあおの妹でもある。


「さて問題だ、人の上に立つために必要なモノはなんだと思う?」

「簡単な質問ですわ、邦治様。それはすなわち――強さです」


 常人なら卒倒しそうな邦治の視線を受けても、寺嶋天乃は優雅な佇まいを崩さなかった。


「信頼も品格も全て強さに依存します。圧倒的な強さを示せば自然と民衆は従うものです。逆に強さを示せない王は民衆を従えることなどできません。自分よりも弱い君主に従いたい人などいるでしょうか? 人の上に立つ組織や個人とは、民衆を物理的に守るだけではなく、精神的な主柱にもならなければならないのです」

「その強さとはなんだ?」

「何でもいいと考えます。武力でもいい、知力でもいい。誰かを、何かを、理不尽から救えるだけの力を正しく使うことができる。それこそが強さです」

「正解だ。その答えが聞きたかったぜ」

「お褒めに預かり光栄です」


 寺嶋天乃はえんぜんと微笑んだ。

 ちらり、と着席する前に霧沢直也へと視線を向ける。切れ長の両眼に浮かぶのは心のうちまで見透かすような妖しい光。ふっと口許を緩めて、柔らかく微笑みかけた。


「霧沢直也、俺がてめえに求めているのは『強さ』だ」


 低い声で、告げる。


「他の生徒を圧倒する純粋な武力。どんな困難だとしても解決できちまうと思うような力。ラクニルに通うガキ共じゃどうしても手に入らない『裏側』の感覚。それらを持っているって証明できれば、てめえを特班に入れる意味が出てくるんだが、どうだい?」

「問題ありません」


 じっ、と夏越邦治が霧沢直也を見詰める。

 挑発するような、試すような、鋭い眼光。しかし、霧沢直也の瞳に浮かんだ冷たい燐光が揺らぐことはなかった。


「自分は力を示しましょう。特班に『強さ』を保証します。どんな困難をも薙ぎ払う剣となるという約束こそ、自分が邦治様に提示できる『根拠』です」

「よし、なら決まりだ」


 快活に言い切った夏越邦治は、ぐるりと会議室内を見回した。


「どうせこのまま話し合ってても決まらねえんだ。だったら単純明快で誰も文句が出ねえ方法で決めちまおうと思う。――きりさわなお、そしていまりょう。今から二人に戦ってもらう」


 会議室内の空気が激しく揺れた。

 ざわざわ、と全員が顔を見合わせるようなどよめきに席巻される。


「霧沢直也が勝てば『強さ』を示したとして特班への加入を認める。もちろん特班設立もだ。稜護が勝ったらその逆。その場合の特班設立に関しちゃ勝手にしな、もう俺が出るような幕でもねえしな。で、どうだ霧沢直也、これで文句はねえよな?」


 強さを保証すると霧沢直也は言ったのだ。

 ならば、考えるまでもなかった。


「はい。その勝負、受けて立ちましょう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る