第7話

 今日は雨か。

 雨戸を開けると、外は灰色。しとしとと雨がふっている。さあさあ、という雨だろうか。細かいが、空間を雨粒で埋め尽くしてやろうという気概が見え隠れするような、たっぷりの雨だった。軒先からの雨垂れがしとしとと情緒を重ねている。

 おじさんは庭には出てこず、やはりコーヒーカップは昨日のうちに返しておいて正解であった。

 大輔はスマホを少しいじり、東京は一日雨という予報を得ると、すぐに窓の外に視線を戻した。

 やることがない。

 一日中スマホを見ていることになりそうである。

 それではなんのために東京に逃げてきたのかわからない。

 スマホなんて、平和ならいつだってどこだっていじれる。

 もし万が一今天変地異が起こったならば、スマホは貴重な情報源だ。だからいじるかもしれない。

 うん。

 それなら仕方がないからいじる。

 大輔は一人うんうんと頷いた。

 今の天変地異は、静かな雨。降水確率百パーセント。少し肌寒い。

 スマホの充電率百パーセント。

 傘はない。


「スマホで一日潰すのは、……もっと平和になってからだ」


 平和。

 安心して暮らせること。

 安心。

 金はある。住み処もある。時間もある。

 温もりがない。

 寒い。

 寂しい。


「どうやれば、寂しくなくなるんだろうか」


 大輔にはついぞわからない。

 だれか教えてくれないものか。雨である。しとしとふっている。雨粒が窓から入り込み、床が濡れて行く。小さな粒が吹き付けられたように散り、床を見つめているだけで時間が経った。不思議と飽きない。

 せっかく服を買ったんだから、着ないとな。

 雨粒と庭を見るだけの時間は唐突に終わった。

 軽くシャワーを浴び、買いそろえた服を着た。

 似合っているかどうか、組み合わせはこれで大丈夫かどうか、鏡がないことにそこで気がついた。


「色々ないわ、まじで」


 ほんとうになにもない。ビックリするくらい、なにもない。

 鏡がなくても生きていけるけど、なにもないんだ、という実感が急激に増した。

 顔はユニットバスについている鏡でどうにかなっていたため不便はなかった。実家にいるときも、さして全身の姿を見ようとは思わなかった。

 なんで思わなかったのだろう。

 そして今はなんで、全身が見れないことに驚いているのだろう。

 よく分からないが、どうやら自分は少し変わったようだ。変化したようだ。

 けど鏡は必要だろうか。


「服屋にいけば鏡あるよな」


 大輔の頭に、大通りにあるいくつかの店が浮かび上がる。

 そして、雨の中、町へと繰り出した。

 代官山の街はまだ寝ぼけぎみだ。

 昼食が朝食がわりのようにものだ。

 ちらほらと店は開店しているが、クローズの看板が出たままの場場所もある。

 大輔はコンビニに駆け込み、雨水を払った。

 ビニール傘と暖かなコーヒーを買い、イートインコーナーに腰を落ち着ける。

 イートインコーナーにはスーツ姿のサラリーマンが何人かいて、パンやパスタを口に運びながらラップトップを叩いていた。

 代官山の街は眠っているが、それは狸寝入りみたいなもので、お洒落な表面の下ではエリート達が凌ぎを削っているのかもしれない。

 あの、よくすれ違うエリート眼鏡の青年もそのうちの一人なのだろう。

 大輔はふと思った。

 仕事しようかな。

 その考えはとてもおかしかった。

 なぜなら、田舎にいたときは、一億あったら仕事やめて遊んで暮らすんだ、と毎日思っていたからだ。

 今は五億ある。なのに仕事をしたいと考えている。

 遊んで暮らせば良いのに、なぜだか気が乗らない。

 たとえば銀座や六本木でグラブ通いをしてみるだとか、高級マンションでパーティーだとか、クルージングだとか。

 考え付くのはどれも画一的な妄想ばかりで、実を言えば、そのどれも大輔はしたいと思わなかったのだ。

 つまらなそうだ。

 気疲れしそうだ。

 金の無駄だ。

 そう思ってしまうことこそ、もしかしたら貧乏人の考えなのかもしれないが、大輔には分からない。

 コーヒーを飲み終わったのでコンビニを出た。

 代官山の街は目覚めていた。





 その日、大輔は服と靴を買った。

 大きな鏡があるセレクトショップを数店舗周り、敷居の高そうなヨーロッパの日本旗艦店とかいう店を巡り、靴屋をはしごした。

 買ったものは、良いとは思ったり思わなかったりする。自分のこだわりはなく、なんとなく、お洒落そうだから、買った。金あるしいいか、とレジに持っていったのもある。

 なるべく無難な服ばかり選んでしまった気がしたが、強気なデザインの服を着こなせる自信もなかった。

 一気に田舎くなりそうだった。

 そうか、自分はバカにされたくないのだな。

 誰か知り合いがいるわけでもないのに、他人からの評価を気にしているのだ。

 大輔は小さな悟りを得た。

 そして小さく笑った。

 雨のなか、ガサガサと紙袋を揺らしながら小径を行く。七曲ハイツまで、小花が満開の茂みがあって、そこから沢山の小さな水の粒を受けた。

 うわ、とも思ったが、心なしか良い匂いがする。

 そうして径を抜ける。

 七曲ハイツはぽっかりと開けた空間のなかに、小雨を浴びて光っていた。



 大輔は午後の長い時間を部屋のなかで過ごした。

 両脇の窓を開け放ち、庭と鉄の格子門を眺める。

 門の周りにも沢山の植物が生きていた。庭木には詳しくはないけれども、それらが雑草なのかそれともそこにいるべき存在なのかの差は分かる。どれもそこにいて喜ばれている。

 雨は細かく降り注ぎ、喜ばれた草花を輝かせている。

 小径の向こうから誰か来る気配があった。

 大輔はにわかに緊張した。

 畳んだ布団に預けていた体をお越し、息を飲んで門を凝視する。

 白い傘が見えた。そして背の高い男性であることもわかった。セールスマンだろうか、面倒だな、などと思ったとき、傘の下から顔がのぞいた。

 見たことがある顔だ。

 あのエリート眼鏡の青年だった。

 あ、とき、叫びそうになったがつぎの瞬間、


「おい!」


 と叫んでいた。

 エリート眼鏡が大輔のポストを漁っていたからだ。

 鉄のカバーを軋ませて開け、ガタガタと音をたてて中を漁り、乱暴に一通の手紙を引っ張りだしている。


「あんたなにやってるんだよ!」

 大輔は窓から身を乗り出して叫んだ。



 続く

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