第25話 ドラゴン飛行

「ねぇ、ハルトさん」

「……なに」


 しゃがみこんだ少年の瞳が、じっ、と俺の瞳を見てくる。


「フィンさんに、あんなこと言うつもり、無かったんでしょう?」

「……」

「時間が経てば経つほど、言葉は焼き付いて消えなくなります」


 自分たちの町に春先に咲く花と同じ色をした瞳が、なにかを含んだ目をして、俺を見る。


「まずは、彼女にきちんと謝りましょう?」


 ね、とそう言って、膝を抱えていた俺の手に触れた少年の手は、フィンと同じように温かかった。



「…ごめん」

「……二度と言わない?」

「言わない」

「…ラウルにも、ちゃんと謝る?」

「…ん」


 リアーノに手を引かれ、とぼとぼと歩いてきたフィンの目は、少し赤くなっていて、それが自分のせいなのだと、後ろからなにかで殴られたかのような目眩すらしてくる。

 そんな俺を、目の前に立ったフィンは、充血した赤い瞳のまま、じっ、と見つめる。


 懐かしい。

 今、そんなことを思っている場合ではないことなんて、分かっている。

 だけど、こんな風に、泣いているフィン向き合うのは、何年ぶりだろうか。


 そんなことを考えていれば、「ハルト!聞いてる?」とフィンの怒った顔が目の前にずい、と迫ってくる。


「あ…ごめん」

「聞いてないし?!もう! バカ!」


 べしっ、と胸元を叩かれたフィンの手を握る。


「フィン。ごめん」

「ハル」

「あんなこと、言うつもり無かった。戦争なんて」


 関係ない、なんて。

 そう言葉を続けようとした瞬間。


「分かってる。もう、いいよ」


 泣きそうな顔をしながら、そう告げたフィンに、身体が勝手に動いた。



「ちょ、おま?!!」

「あー!オレだってまだしてないのに!」

「…ほほう」


「んんっ?!」


 必死に俺の胸元をフィンの手が叩こうとするものの、俺が掴んだ手はびくともしないし、フィンの後頭部に回した手だって、離す気はない。


 ふあっ、とかろうじて離れた瞬間にフィンが息を吸い込むのと同時に、野郎三人の手によって、俺はフィンから引き剥がされ、俺に口を塞がれていたフィンは、というと。


「フィン?! しっかり?!」


 ラウルと奴の傍つきに身体を支えられながら、俺があまりにも長く唇を奪っていたせいで、荒くなった呼吸を必死に整えていた。



「……本当、どうしてこうなった」

「いや、お前のせいだろ」

「フィンが可愛いから仕方ないな!」

「それは認める」


 脱力しながら呟いたハルトの言葉に、ビシィ、とリアーノが手の甲でツッコミを入れ、何故かジャンと二ヴェルは意味のわからない同意をしてウンウンと頷いている。


 その様子に半ば呆れながら彼らを見ていれば、

「ちょっと、失礼しますね」とクレマンさんが少しかがみながら私の顔を覗き込む。


「え……っと…?」

「良ろしければ、これで口元、拭ってください」


 そう言って、クレマンさんは胸元のポケットから見るからに上質そうなハンカチを取り出す。


「そ、そんな高そうなもの使えません……!」

「金額など大したものではありません。それよりも、貴女が不快感を持っているかどうか。それだけですよ」

「不快感……」


 渡しておきますね、と手のひらに置かれた手触りのいいハンカチは、何故だが私の心の中をざわつかせた。



「距離を、おく?」

「あくまでも、ワタクシからの提案であって、ジュニアからではありませんが」


 クレマンさんの言葉に、ラウルを見やれば、ラウルは黙ったまま、柔らかく笑ったまま首を縦にふる。

 ハルトと喧嘩をする前に座っていた場所とは異なり、ラウルとクレマンさんの間に導かれ腰をおろす。

 ハルトと距離をおく。

 そんなこと、考えたこともなかったし、誰かに言われたことも、なかった。


「何週間、何ヶ月、などという長い時間でも構いませんが…少なくとも、今の貴女には、少し時間が必要のように思えますが…」


 ほんの少し眉を寄せながら言うクレマンさんの言葉は、意地悪なものではなく、純粋に心配をしてくれているのがわかる。

 ー だけど。

 ほんの一瞬、悩んだあと、ちら、とハルトを見る。

 なんて顔、しているのだろう。

 泣き出してしまいそうな。

 細い線だけで、かろうじて今を保っているような、そんな表情にすら見える。


「ハル」

「フィン」

「…なに? ラウル」

「一足先に、僕たちの城に行く、とかはどうだろう?」

「…ラウル?」


 首を傾げた私に、はい、とラウルから差し出された新しいカップからは、さっきまで飲んでいたお茶と同じ匂いの湯気がたっている。


「親しい人と、ましてや肉親に近い人と急に離れろって言われたら僕だって不安になる」

「ラウル…」

「無理に、とは言わないよ。僕たちの城自体は、ここからはそんなに遠くはないし。普通の人たちならかなりかかる距離でも、きっと皆さんなら数日もしない内に到着してしまうだろうから、そんなにゆっくり出来ないかもしれないけど」


 私の瞳を見ながら、そう言ったラウルがほんの少しだけ悪戯っ子のような表情に、ふふ、と思わず笑い声が溢れれば、ラウルが柔らかい表情を浮かべ、口を開く。


「僕がずっとフィンたちを見ていたように、ハルトさんたちの様子は見たいときにいつでも見られる。ただ、単純に、一人で少しの間、ゆっくり過ごす。もしフィンが望むならすぐにでも出来るけど…どうする?」

「私…は…」


 柔らかな光を抱えた黄色の瞳の持ち主に、少しだけ息を吐いた私は、意を決して口を開いた。



「…良かったのか?」

「…いいの」

「まあ、フィンが良いって言うならいいんだけどさ」


 後ろを振り返りながら私に問いかけるリアーノに、頷きながら答えれば、リアーノが少しだけ納得いかなそうな表情をしながら呟く。


「それにしても、なんでオレっち?」

「…なんでって…なんでだろう?」

「…無意識? まぁ、いいけど」


 リアーノの問いかけに、はっきりとした返答が思い浮かばずに、質問に質問で返したにも関わらず、リアーノは口笛でも吹き出すのではないかと思うほど、なんだか上機嫌になっている。


「それにしても…やっぱすげぇな。あのお坊ちゃん」

「お坊ちゃん?」

「ほら、ええと、ロールだっけ? あのちびっこ」

「…ラウルね」

「あ、ソイツそいつ!」


 間違えちった、と悪びれる様子ゼロの笑顔で言うリアーノに、小さくため息を吐けば、リアーノがししっ、と楽しそうな表情で笑う。

 その表情に、なんとなく、ホッ、と息をつけば、リアーノの目尻がほんの少し下がる。


「ワタシとしては、ドラゴンで移動できる日がくるなんて思ってもいなかったですが」

「おぅわ?! びっ…くりしたあ?!」

「リアーノ! 落ちる!」


 突然聞こえてきたニヴェルの声に、ビクウゥッ、と大きく肩を揺らしたリアーノの身体がグラリと揺れ、思わずリアーノの服の裾を掴めば、私の横から伸びてきた腕がリアーノの肩をガシッと掴む。


「ビックリも何も、初めから居たでしょうに」

「サンキュ、ニヴェル。じゃなくて!! 声かけるにしてももっとあるだろ! 助かったケド!」

「そうですか?」


 リアーノの体勢をさらりと直し、呆れたように言ったニヴェルに、リアーノは焦った顔をしながら、お礼を言いつつも、抗議の声をあげるものの、二ヴェルには全く届いていないらしい。

 そんな二人の様子に、ふふ、と笑った瞬間、ゴォォ、という強い風が吹き付けられ、「わっ?!」と思わず小さな悲鳴が溢れる。


「フィン、目をあけて、下を見てご覧」

「二ヴェル?」


 柔らかい声色が耳元で聞こえた、と思った同時に、言われた言葉に、思わず瞑っていた目を開けた瞬間、視界いっぱいに、青い色がどこまでも続いている。


「…あれは…」

「お! 海じゃん!」

「確か、見たことが無いと言っていましたよね?」

「…無い!」


 バッ、と後ろを振り返りながら二ヴェルの言葉に答えれば、目があった二ヴェルの動きが止まる。


「二ヴェル?」

「…何でも、ないです」

「…うん?」


 そう言って、片手で顔を隠しながら答えた二ヴェルに、首をかしげるものの、「フィン!!」と聞き慣れた声に名前を呼ばれ、顔を動かす。


「海だ! 俺、初めて見た!」


 ラウルとクレマンさんの提案を断り、皆で移動する、という選択肢をとった私に、それならせめて少しでも早くゆっくりして欲しい、とラウルとクレマンさんがお城までドラゴンで移動するという手段を提案してくれてから数分。

 私とリアーノ、二ヴェルが同じドラゴンの背に乗り、ハルトとジャン、ラウルが別のドラゴンに乗っている。


 私たちは、人生初体験のドラゴンの背に乗って空を飛ぶという体験と、私とハルトは生まれて初めて、『海』というものを目にしている。


 キラキラと、目を輝かせながら、眼下に広がる海を見て、心底楽しそうにはしゃぐハルトは、本当に久しぶりに見る。

 そんなハルトの表情に、思わずふふと笑えば、「へぇぇぇ」とリアーノの口から物珍しいものを見たような声が溢れる。


「アイツあんな表情出来るんだな! ちょっと意外」

「……同じく」


 そんな二人の言葉に、ハルトのあんな表情、いつぶりだっけ、と考えていれば、ふと、ハルト達のドラゴンに乗っていたラウルと目が合う。


「ラウ、」


 ー 「良かった」


 ラウルの名前を呟きかけた時、優しい笑顔を浮かべたラウルの口がそう動いた気がして。


「ラウル! ありがとう!」


 風をきって飛ぶドラゴンの翼で、聞こえないかもしれなくても、大きな声で、そう告げれば、ラウルが満面の笑顔で答えた。





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