〈閑話〉とある日のジャンの話

「……許嫁、ねぇ」

「ジャンにもいるの?」

「……あー、いるっていうか、居た? のか。一応」

「へえ?」

「お、なんだ。ハルト、オレにやっと興味持ったのか?」

「…別に」


 なんだよつれないなぁ、とハルトの態度にがっかりしながら言うジャンに、ハルトは「…寝る」と小さく呟いたあと、私の背中にピタリとくっつく形で静かに眠り始める。


「ねぇ、ジャン」

「なんだ?」

「その……許嫁さん、どうして別れちゃったの?」

「あー…、ええと。別れた、は多分ちがう、かな」

「うん??」

「婚約の場合は、破棄、となりますからね」

「あ、二ヴェル。おかえりなさい」

「ただいま、フィン」


 自然な流れでフィンに近づいていった二ヴェルに、寝ていたはずのハルトが寝ていた身体を起こして、ガッチリとガードしている。


「びっ、くりしたぁ。寝てたんじゃなかったの?」

「……不穏な気配がしたから」

「?」


 チッ、と盛大な舌打ちをした二ヴェルが、ガサリと手に抱えていた買い物の袋をテーブルの上へとおろす。


 二ヴェルとハルトのやりとりに、よく分からない、という表情をした彼女が、ぱちぱち、と瞬きを繰り返すのをみて、「そういえば」となんの気なしに呟いたオレに、部屋中の視線が一同に集まる。


「そういえば?」

「え、あぁ。大したことじゃないんだけどな。フィンの睫毛は髪色と一緒なのかと思っただけだ」

「え? 皆そうじゃないの?」

「オレのいたところの若い女の子たちは違ってたからなぁ」


 町を出て、ちょうど二年くらいか。

 あまり他人に話すこともなかったせいか、どうにも最近は町にいた頃の記憶が途切れ途切れになっている。


「髪を染める、というのが流行っている地方があるのは、聞いたことがありますね」

「へえぇ」

「ふうん」


 驚いたような表情をしたフィンの髪をいじりながら、ハルトはまた興味なさそうな声を出し、ベッドへ寝転ぶ。


「娯楽の少ない地域だったこともあったしな。旅人が持ってきたものが、町で大流行、なんてことがかなり頻繁に起きてたな」

「へぇぇ…」

「ああ、なるほど。それでフィンの睫毛と髪色が同じなのか、と改めて認識した、と」

「まぁ、そういうことだな」

「…どういうこと?」


 髪を染めることと、私の髪と睫毛に、なんの関係があるのだろう。

 自分の髪を見たあと、ジャンと二ヴェルに問いかければ、二ヴェルが買ってきた瓶の一つをあけ、一口飲んだあと、口を開く。


「要は、町にいた女の子たちは、髪だけを染める子が多くて、髪色と眉や睫毛がちぐはぐだった子もいた。なおかつ、ジャンの許嫁も、それに該当していた、と」

「もと、許嫁だ。今は違う」


 テーブルに置かれた瓶を手に取り、二ヴェル同様に瓶に口をつけたジャンが、ゴクゴク、と喉を鳴らしながら飲み物をのみこんだ。


「嫌な思い出か?」


 ぷはっ、と豪快に飲んだジャンに、二ヴェルがほんの少し口角をあげながら問いかければ、「んや」と口をグイ、と拭ったジャンがけろりとした表情で答える。


「ただなぁ。なんというか。やっぱり旅をしてみると野郎はもちろんだが、色んな女の子たちにも出会うだろ?」

「まぁ、そうだな」


 コクリ、と頷いた二ヴェルに、町を出てからのことを思い出す。


 男勝りな女剣士も、宿屋の奥さんも、護衛を頼まれたお嬢さんも、綺麗に着飾って快楽をともにしてきた女性たち。

 様々な女性たちに出会ってきた今だからこそ、強く実感していることが一つ。


「オレは、あの町に縛られて生きるのは、無理だったなぁ、って改めて思う」

「へぇ?」


 そう言って、ちらり、とフィンを見やれば、不思議そうな表情を浮かべたフィンと目があう。


「フィンなら、相手が自分の思い通りにならないって分かったら、どうする? 何がなんでも、従わせる?」

「…はい?」


 急に何を。

 言葉にせずとも伝わってくるフィンの表情と瞳に、相変わらず表情豊かだなぁ、などとのんびりと考えていれば、フィンの表情が見るからに強ばる。


「ジャン、それって」

「言い換えれば、相当愛されてたってことですね」

「もう! 二ヴェルってば、そういうことじゃ」

「そういうことですよ、フィン」

「でもっ」

「まぁ、何が何でも、なんていうのはワタシの趣向ではないですけど。」

「…」


 ひやり、と空気をケロリとした表情で自分の趣味趣向で塗り替えた二ヴェルに、「お前が言うな」とぴしゃり、と寝ていたはずのハルトがツッコミを入れる。


「ああ、もう二ヴェルのせいで変な流れになったじゃない!」

「おや、そうですか? 言いづらそうにしていたので、ワタシとしては気を遣ったつもりだったんですが」


 心外ですね、と残念そうに言った二ヴェルに、思わずほんの少しの間かたまり、そのあとは声をあげて笑った。




「で、実際はどうだったんだ?」

「ん? 何がだ?」

「さっきの許嫁うんぬんの話だ。お前、あるだろう。腹部に刺されたあと」

「…気づいてたか」

「そりゃあな」


 ハルトとフィンが眠りについた夜遅く、ちびちびと酒を飲み続けていたオレに、二ヴェルがちらりと視線だけをよこし問いかけてくる。


「いやぁなぁ。オレが町を出るってアイツに言った時、最後に一回だけ抱いてくれ。それで終わりにするからって言われてな」

「へぇ? それで?」

「それまでにも散々、アイツとはしてきたし、その頃はアイツとの身体の相性が一番良かったって思ってたから、断る必要もなかったしな」

「ふーん?」


 聞いていないようで、きちんと聞いているらしい。

 空になりそうだったオレのグラスに酒をついだ二ヴェルが、自身のグラスにもコポコポとつぎ足していく。


「今思えば、完全に油断してたんだ。することもして、さぁ、帰るか、って時に」

「グサッ、とされた、と」

「そういうこと」

「うっわー、痛ぇな」

「力も入れてなかったからな」


 すり、と擦った左の腹部には、未だ消えない傷跡が残っている。

 旅や喧嘩、剣でついた深い傷もたくさんある中で、この傷だけはなかなか消えていく気配がない。


「女だろうと、男だろうと、怨念は怖ぇからな」

「そうだな」

「今度、塗り薬でも探してやろうか?」


 腹を捲っていたオレに、二ヴェルが薬草などを見定める時の表情をしてオレを見やる。


「いや、いい。大丈夫だ」


 塞がった傷は、もう痛むことなんて全くない。

 ただ、この傷が、ほんの少し旅に出ることを迷っていたオレに、町を出る決意をさせたことは確かで。

 町を出たおかげで、大切な子に出会ったのも確かだ。


 あの時の痛みをもう一度体感しろと言われるのは、遠慮するけれど、結果的に、今はこの傷が、オレの人生を変えたわけだから。


「嗜虐嗜好かよ」

「しぎゃ? なんだそれ」

「…なんでもねぇよ」


 呆れたように呟いた二ヴェルの言葉がよく分からずに問いかけるものの、二ヴェルは小さく笑っただけで答えることはなかった。







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