グラスが乾かぬうちに

カゲトモ

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「うっ」

 久しぶりのこのパターン。最近ハッピーな表情で来店していたことが多かったから忘れていたけど、この人が来店するときは大体こうだったはずだ。

「うっ」

 メンタルにダメージを食らった時。基本的に超合金みたいなメンタルをしているはずなのに、ある人の事となると豆腐メンタルになる訳で。しかも超高級寄せ豆腐的な。

 ここ最近はこんなことなかったのになぁ。

「もう一杯っ」

 長い髪を揺らしながらグラスを俺に差し出した。

「もうお止めになってはいかがですか。飲み過ぎですよ蘭子さん」

「何よぉ、この私がこれっぽっちで酔っているなんて思うの」

「十分酔っているでしょう」

「そんなことないわよ」

 そんなことあるだろ。全く、今度はどうしたんだ。最近遊園地だとかクリスマスだとかバレンタインだとか、浩太郎さんと仲良くなっていたんじゃなかったのか?

「浩太郎って誰よ」

 おいおい、一月もしない間にどうしたんだ。何があったなんだよ。

「知らない。それよりスティンガーが飲みたいわ」

 本当にまだ飲むんかい。まぁまだ許容範囲内だろうけど。いつかみたいに荒れないでくれよ、なんて。

「かしこまりました。最後の一杯ですね」

「えぇ」

 と返事をしたかと思うと「多分ね」と付け加える。本当頼むぜ。経験上、恋煩いの乙女程飲むと大変なんだから。

「でね、ってマスター聞いてるの?」

 えぇもちろんですとも。だって蘭子さん以外お客様お帰りになりましたからね。もう夜も随分と更けたし、第一今日は月曜だし。普通の企業で働いていたら週初めから深酒なんてしない。蘭子さんくらい酒に強くて、深酒しても絶対に遅刻なんてしないプライドが高い人しか出来ない事だ。蘭子さんは意地でも起きてばっちり化粧して、何事もなく出勤してそうだし。

「じゃぁ私が今なんて言ったか教えてよ」

 だからちゃんと聞いてるってば。

「浩太郎ったら他の女の事ばっかり気にするんだから」

 って言ったんでしょ。ってなんで驚いた顔するんだよ。

「それで、蘭子さんはどうしたんですか?」

「逃げた」

「えっ」

「嫌になったから逃げたの。それより、これ、おかわり頂戴」

「おかわり、ですか」

「私だってノンアルコールくらい飲むわよ」

 いや、誰だって飲める奴だけどな? ただまさか最後の一杯だって言ったのに、次にノンアルをオーダーされるとは思わなかっただけだ。しかもおかわりしてくる。アルコールが入ってなきゃいいんでしょ? みたいな顔するなやい。

「かしこまりました」

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