あわいのころははなみごろ(#女装男子匿名コンテスト向け没供養)

「あれ、先輩?」

戸を開けた先で、鏡を前に少女が振り返った。

だが、ここは普通の男子校だし、夢と希望の時空でも男装した女子がこっそりなんてのもないので、少女なんているはずがなく、であれば当然、少年後輩なのである。

「お前、まだ残ってたのか。とっとと着替えればいいのに」

「いや、その、他の先輩から、それらしく動けるようにしとけって言われたんで」

あどけなさの残る顔で小首を傾げた彼が着ているのは、裾や襟口に白いレースの揺れる赤いベルベットのワンピース。普段はマッシュルームな頭には長い黒髪のカツラ。

中高一貫の私立男子校であるこの学校の演劇部では、毎年合同の文化祭で中等部生が女性役、高等部生か男性役で一つの劇を作り上げる。その際に、ヒロイン役となるのは中等部の一年生であるのが慣例であり、この目の前の後輩が今年のヒロインである。

それにしたって、今年の服飾担はすごい気合いの入りようだ。手芸オタクを引っ張り込んだだけはある。

「いや、お前そもそも全体的に小さいし華奢だし、意識しなくても割とそれっぽいぞ」

「……」

何とも言い難い表情の沈黙が、アドバイスに対する返答だった。

まあそりゃそうか。

「やっぱりいい気はしねえか」

とりあえず、部室に踏み入り、戸を閉める。

後輩の向こう側の窓は、間もなく夕日が沈みきる暗さで、此方を向いた後輩少女の後ろ姿を反射していた。

「いや、俺もな、やったんだよ、中一の時に」

「先輩が?」

あどけないつぶらな目が丸くなる。

「信じられねえって顔すんなよ。ほら、俺って割と全体的に色薄いじゃん?」

だから日焼けすると痒くて仕方なくなるんだが、まあそれは置いといて。

「で、中一の頃は、お前と同じぐらいか、それより下か、みたいな」

「……意外です」

幼少期の写真を見て、その延長線上を考えれば、今現在の様は自分でも詐欺だと思うので間違いではない。

まあ、高二にもなれば、悲しいかな、こんなもんである。

「だろ? ついでに今だけの特権だぞ」

今の俺がやれば悲惨だろ、とおどけて言えば、後輩はころころとまだ高い声で笑う。

「その〈花〉は今だけだからな」

「はな? 女装がですか?」

首を横に振ると、後輩は疑問符を浮かべたまま、こちらを見ている。

「風姿花伝って、小学校でやったっけか。ああでも、能ならやるか。あの室町の金閣寺建てた三代目将軍が保護したやつだ、観阿弥、世阿弥って親子の」

そう言うと後輩は、ああ、とは言ったが、その疑問符は消えそうにない。

「子の世阿弥が書いた、まあ秘伝書ってやつだな、風姿花伝は。その中でだな、年齢別にこうだからこうしなさいって書いてあるとこがある」

「はあ……」

「十二、三のところ――まあ数え年だから実質は十一、ニか――では、まあ、この年の頃は何をやってもよく見える、と書いてある。その理由は声が変わる前ってのと、もう一つ、童形だから」

「どうぎょう……?」

「童の姿ってこった。古文習うようになるとやるだろうけど、昔はな、男も女も同じぐらいの年齢の子供はみんな同じ髪型だったらしい。今で言う成人式みたいなので晴れて男と女、それぞれの大人の髪型にするんだと。その成人式の前をひっくるめて童形らしい」

物知りですねえ、と後輩は呆れなのか感嘆なのかわからない声で言う。

「で、昔の成人式ってのはようは第二次性徴期ってやつだから、その辺りからこう、見た目も変わるわけだな。そんで、世阿弥は変わる前の声の伸びやかさと、童形っていう男とも女とも未分類の合間の――あわい・・・の――姿に、人の琴線に触れうる〈花〉があるって言ったわけだ」

「なるほど」

「ま、これは受け売りだ」

「あー、やっぱり」

「やっぱりって、お前なあ」

そこは嘘でも、感心しといてくれ。

ため息をついて、続ける。

「能ってのは、もともと男性が全て演じるわけなんだが、当然女性役もある。基本的に面をつけて演じるとは言え、その身体的特徴は消せないからかな。女性を演じるのによいのは、十二、三の頃なんて記述もある」

定家、黒塚、葵の上、鉄輪、一角仙人、二人静、まあ、他にも演目はいろいろとエトセトラ、エトセトラ

「でも、歌舞伎も男だけですよね」

「歌舞伎も確かにそうなんだが、あれは最初、女がやってて風紀乱すからって禁止されて、次に若衆歌舞伎っつって、成人前の少年がやったら、やっぱり同じ理由で禁止されて、今に残る野郎歌舞伎って成人男性だらけのむさい世界になったとかなんとか……つまりスタートラインが世阿弥の言う〈花〉が散った時点なせいで、年食っても女形おやまとして魅力を出せるノウハウが蓄積されたんじゃね」

たしか、こう、肩甲骨を寄せてむりくりなで肩を作るとか絶対筋肉痛になりそうな膝を離さず歩くとか感じのノウハウ

というか、というかだ。

「それ言ったら、シェイクスピアだって当時は全部男性が演じてたって話もあるし、古代ギリシャの劇も男がってたわけだし」

ほー、と感心していた後輩が、ふと真顔に戻り此方に問うてくる。

「それも全部受け売りですか?」

「いや、これは調べた」

そう言うと、へー、と感心した顔に戻る。

素直だな。素直過ぎだな。あらゆる意味で。

それで本当にちゃんと演技できるのだろうか。

と、ちょっと思ったが、『まづ童形なれば、なにをしたるも幽玄なり。今が盛りと咲き匂う声も立つころなり。〈花〉の下にうずもれて、二つの便りあれば、悪きことは隠れ、たとえどんな醜いあばたでもよきことはいよいよ花めけりきっと隠れてしまうだろう』から問題なくはないけど、今回は・・・そこまで心配しなくていいか。

「まあ、いろいろ言ったが、〈花)っつっても、今の・・・お前にしかないもんだからな。俺がこうなったように、それは成長すれば失われちまう」

――お前だって、近い将来には〈それ〉を失くすんだ。

あの先輩ヒトも、誰かにこう言われたのだろうか。

あどけないながらも、殊勝な顔の後輩が俺を見ている。

当時の俺もこんなだったんだろうか。

あの時の茶髪のカツラに白いワンピースを着ていた俺〈花〉を失った者が、今こうして黒髪のカツラに赤いワンピースの後輩これから〈花〉を失う者に語っている。

「時分の〈花〉、一時の〈花〉、その〈花〉の最後かもしれない見せ場だ。だから、頑張れよ」

「……はい!」

俺の言葉に、まだ花車きゃしゃなあわいの身体で異性をまねぶ後輩は、元気のいい返事を返したのだった。

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