たんぺん

板久咲絢芽

不道徳と十字架と(匿名不道徳恋愛コン参加:ルビ補強版)

コンテスト本編→https://kakuyomu.jp/works/1177354054885140312

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艷やかに研磨された紅玉髄のとろみのある赤の丸い瞳。

緩やかにうねり、零れ落ちる巻き毛は柔い赤みを孕んだヴェニスの金髪。

その黒い膝丈のズボンから伸びた白い素足で踏み躙る液体と同じ赤で飾り立てた口元はとても満足げだ。

「さて、君はどうするんだね」

そう言われて、私は我に返った。

私よりも年下の、華奢な体躯で尊大な口を利くソレは、本来私が抗うべき相手で。

「聞いてるかい? 僕は今お腹が一杯だから、君を見逃してもいいって言ってるんだよ」

そして、私が呆然としている内に、一方的に私の仲間を蹂躙じゅうりんして喰らい尽くした吸血鬼だ。

「わた、し……」

今目の前にいるソレを目にしてから、動けない。心臓が早鐘を打って、まともに思考が働かない。

視界が眩しくて、くらくらするのに、身体はただ棒立ちのままだ。

「おや、別段、魅了とかはしてないんだが」

怪訝そうに此方を覗き込むソレの言葉に、ようやく自身でも合点がいった。

そうか、『愛は涙の如くAmor, ut lacrima, 目から生まれ胸へと落つab oculo oritur, in pectus cadit.』とはこの事か。

「私は、私は……」

ソレが現れた時、私は――

私は、天啓を受けたと感じた。

皆の悲鳴も助けを請う声も、釘付けにされた私の手足を動かしはしなかった。ならば、きっとこれは天啓で天命だ。

自然と、硬直していた身がソレに跪き、祈りを捧げる。

「……それはどんな皮肉だい」

吸血鬼は死したる者が蘇り変質し、徒人ただびとに非ざる力を有した上で、血を糧とするモノ。

後にも今にも先にも、現世に蘇るはただあがないの仔羊のみとする我らが教義に反する、とされるモノ。

だが、私達の認識が誤っていたならば、答えは――

「いいえ」

この天啓が、その証だ。

悪魔創り給うたるも、天使創り給うたるも、疑心創り給うたるも、信心創り給うたるも、いさかい創り給うたるも、平穏創り給うたるも、欲孕みたる愛創り給うたるも、慈しみ捧ぐ愛創り給うたるも、奇跡創り給うたるも、そして、我が身も我が心も、全て並べて万物の創造主にして全智全能たる神の御心なれば。

「いいえ、祝福されし方。貴方様という天啓にこのようにまみえる事ができて、光栄です」

「理解しがたいね」

即座に返ってきた答えは、言葉の割に、興味深そうに此方を窺う色が見えた。

「いえ、単純です。貴方様を一目見て、私は唯、狂気を覚えただけなのです」

「狂気を?」

「はい」

「ふうん……続けなよ。なかなかどうして、面白そうだ」

すうっと紅玉髄の目が細められ、赤く染まった唇が両端を釣り上げ、三日月をかたどる。

「はい。私が受けた天啓は、貴方様にならどうされても良いということなのです。無私の感情を欲として感じたのです。であれば、それは愛というものです。貴方様を見たこの目より生じ、胸に落ちたものなのです。愛捧ぐ者は狂気を孕むAmantes, amentesと言うのであれば、私は貴方様を見た時点で、この身に狂気を孕んだのです。そしてまた、愛とは信じる事でもありましょう。であれば、私は貴方様を信じる他ありません。貴方様の持つ奇跡が私どもの教義に反するというのであれば、この天啓を受けた以上、私どもの教義の解釈が違うのでありましょう」

首を傾けて黙って私の話を聞いていたソレは、ふむ、と言うと右手で私の頰に触れた。かつての死者の手は思った以上に冷たくもなく、かといって温かくもない。

「つまるところ、一目惚れという事でいいのかな」

その手は抗う事ない私の頰から、ソレを仰いでいるが故にさらけ出した喉を伝い、私の首にかかっている紐を絡め、手繰たぐり寄せる。

「正道から見るなら、背徳で邪道極まりないが、君たちから異端とされる僕としては、君の考えは悪くない。ただ、嘘を吐かれるのは嫌いでね」

ソレが、手繰り寄せた先の十字架を握ったかと思うと、首の後ろに圧力がかかり、ぶつんという音と共に消える。

「さて、僕らはこのように人形ひとがたもとれれば、文字通り夜霧にすら紛れられる、不定形な、認識にった存在だ。だから、君の言う通り、その認識を否定する君達の教義は、確固たる己を持たない、ただ組み替えられただけの弱い個体には大層こたえる」

であれば。

未知の生物の解剖をする学者のような、古文書を読み解く学者のような、猫の命をも刈り取る好奇心の爛々と冷たい炎がその紅玉髄の内に灯る。その視線は好奇の矛先の対象である私を凍えるような畏怖で突き刺し、貫き、見通し、縫い留めて、絡めとる。

「であれば、だ。君の論理で言えば、君を組み替えれば、確実に確固たる己を持った個体になるはずだ。僕という確固たる己を持った個体にその狂気信仰を捧ぐ事が君の己であるならば、その君の己もまた確固たるものとなるだろう。それはとても興味深い実験になると同時に、君のその狂気信仰の証拠になると思わないかい?」

私の答えを待たずに、ソレは私の首から取った十字架をナイフのように握り、振り上げた。

逃れようのない紅玉髄の鮮やかな色をした粘性の液体が私にまとわりつく幻視。その中に、確かに存在するのは紛れもない随喜。

真正面から伸びてきたソレの左手が、無防備に曝した私の喉を掴んで、獲物を捕らえた鷹の爪のようにしっかりと指を食い込ませる。

不道徳immoralな君に十字架を立てて、不死immortalにしてあげようじゃないか」

大丈夫、ちゃんと組み替えてあげるよ。

強い好奇心と愉楽を満面の笑みと変えて、その体躯からは考えられない膂力で、つい先刻まで私の胸で揺れていた十字架を振り下ろした。

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