賽子の話

叩いて渡るほうの石橋

賽子の話

 「物事は2分の1」


そう言うと皆笑って僕を小馬鹿にしたよ。その後には決まって、敵方の穴を掴んだ参謀のようにニヤつきながら数学を僕に説き始める。僕は確率のことなぞわかった上で言っているというのに。


 例えば6面サイコロを振って1の面が出る確率は、と聞かれたら誰もが6分の1と言う。そうさそれが正解さ、数学の問題ならね。


 しかし僕らがそれを実際に行動するとき、まず前提は1から6までの目があるサイコロを使うことだろう?全面に4が書いてあるサイコロ、なんてものは6面だけれども使っちゃいけないのさ。ここで僕たちは、1から6まで一つずつ書かれた6面のサイコロ、これを使用することになるね。それを使うか否か、2分の1が始まるわけだ。


 いいかいお前、僕は数学の問題を解いてるわけじゃないよ。もっと違うところ、そうだな、言わば僕たちの行動について話しているんだよ。


 先へ進めようか、ではこれからサイコロを振ろう。お前はサイコロを手渡されたよ。数学の問題では当然のように迷いなくこれを転がすけれど、ここには君の意思も富士山がそびえ立つようにしっかりとある。サイコロを壊してしまう、とかね。つまりは振りたくなかったら振らなくても良いんだよ。振るか否か、この2分の1を潜り抜けて辿り着くべき数学の問題へと一歩進むわけだ。


 おや怪訝な表情を浮かべているね。納得がいかないといった顔をしている。さしずめその考えはひねくれているとかズルいとでも思っているのだろうけれど僕は数学の問題は数学として捉えて解くし決して馬鹿にしているわけじゃない。そもそも数学は好きだしね。では何故こんな話をしたかと言うと全ては物の例え、せっかく確率の話をするのだから確率に関するもので例示しなくちゃと思っただけさ。


 長いから話の肝だけにしてくれだなんて、お前はそんなに何に急がされているんだい?まあ少し落ち着いて聞いておくれよ。


 要するに、世の中は選択の連続であり可能性の切り捨てを連ねることで成り立っているということさ。普通だ、当たり前だと思っていることもそれをしないという選択を捨てて行動しているんだ。これはすごいことだよ。他の人にはできない選択をお前はしているかもしれないんだ。


 逆に後悔するようなことがあったとしよう。もちろんそれは選択の結果で生じたことなわけだけれども、正直に言うと全く気にすることじゃないんだ。なぜって簡単なことで、お前はこれまでに幾度となく選択を繰り返してきたんだ。その内数個はそりゃあ失敗してサイコロを振るところまで辿り着かない場合もあるさ。振りはしたものの1が出ないこともある。あくまでも可能性の話だからね。


 しかしその裏でいくつのサイコロを転がすことに成功したんだい?お前がいまここで生きていることも含めておびただしい数のサイコロを実らせてきたんだと、僕は思うけれどね。良からぬ出来事にばかり目を向ける、お前の駄目な癖の一つだよ。


 急いでいるところを引き止めて悪かったね。もう話は仕舞いだ。


 今度はお前がサイコロを振る番だからね。

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賽子の話 叩いて渡るほうの石橋 @ishibashi

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