第5話 女心はむずかしい

 せいじ君が先生に殴られたことは、大きな騒ぎにならないうちに大人たちが何とかしたみたいだ。だから、私たち6年生の間では、先生がどこか遠くの学校に飛ばされたらしい、という話だけが怪談話のように広まった。

 渦中のせいじ君は、1週間ほどで頬の傷が目立たなくなってきた。治りが早いのはきっと、私が「痛いの痛いのとんでけー!」のおまじないをせいじ君のほっぺに何回もかけてあげたからだ。朝も前と何も変わらない様子で、私と一緒に登校するようになった。けれど、本人はそんな感じでも、周りは少し違った。


「せいじ君おはよう!」

「せいじ君、ほっぺどう?」


 登校中、クラスの友達がせいじ君に話しかけていくことが増えた。それも何故か女子ばっかり。


「うん。」


 いつも通り無愛想な返事をして、せいじ君はペースを崩さず歩いていく。何故か分からないけれど、かえってそういう態度を取られた方が、私たち女の子は世話を焼きたくなるものだ。


「ね、せいじ君絆創膏あげる」

「あ、私も!」

「ふうん。」


 半ば押し付けられるように受け取った絆創膏を、せいじ君は大して興味を示さないままポケットに突っ込んだ。

「待たね!」なんて言いながら、絆創膏を渡してきた2人はきゃいきゃいと走っていった。


「せいじ君。物を貰ったらちゃんとお礼言わないとダメだよ。」

「なんで?欲しいなんて言ってないのに。」

「とにかく言わないとダメなの!」

「ふうん。」


 せいじ君のお姉さんは私なのに、皆にお世話を焼かれて可愛がられるせいじ君。私の友達なのに、私とは話さず、せいじ君にばっかり構っていく皆。

 何故かちょっとムッとして、繋いでいた手を離して早足で歩き始めた。

 焦って追いかけてくる気配はなく、呼び止める声もしない。ちらりと後ろを見てみると、せいじ君は走ったりしないで、いつもどおりのペースで歩いていた。


「せいじ君なんか、もう知らないから!」


 5メートル先の小さなせいじ君にそう叫んで、今度は走ることにした。

 私なんかいなくても、せいじ君は他の子達にいっぱいかまって貰えるし、せいじ君も別にそれでいいと思ってるんだ。追いかけてもくれないし、私みたいなお姉さんなんてせいじ君はいらないんだ。


「ひな、待って!」


 いつもは出さないような大きな声が、遠くから聞こえた。今ごろ置いていかれるって焦ったって仕方ないんだから。そう思いながら、今どんな感じか振り向いたら、せいじ君は少しかけ足になってこっちに向かっていた。

 もう少し走ってからせいじ君のために止まって待っていてあげよう。

 そう思って前を向き、走り出そうとしたら、踏み出した足が少し盛り上がった黒いコンクリートにつまずいてしまった。


「あ、」

「ひなっ!」


 走っていたからバランスが前に大きく崩れて、倒れる感覚があった。


「ひな、大丈夫?」


 息切れ混じりの声で聞きながら、ぱっちりとした灰色がかった両目が下から顔を覗いてきた。


「うん、平気。」


 絞るような声で応えている間に、擦りむいた膝が熱くなってきたけれど、それよりも目の奥みたいなところがもっと熱くなってきた。

 ――私、一体何してるんだろう。

 勝手に機嫌悪くして、せいじ君にいじわるして、そのせいで転ぶとか。しかも、いじわるした相手に心配してもらうとか、かっこ悪い。

 自分が恥ずかしくて、涙が滲み出てきた。


「痛いの痛いの、飛んでいけ」


 手のひらを私の膝の真上にかざして、せいじ君は真剣なのか、ほぼ無表情でおまじないの言葉を口にしていた。


「……ふふっ、」


 せいじ君のぎこちなさが面白かったのか、さっきまでの自分の考えが下らなかったと思ったのか、自分でもどうしてか分からないけれど、何だか思わず笑ってしまった。


「痛いのちゃんと飛んでいった?」

「うん、ごめんね。もう治ったから行こう?」

「うん。あと、これあげる。」


 せいじ君はさっき貰った絆創膏たちを小さな手のひらに広げ、一番大きいのを渡してきた。


「欲しいけど、これはせいじ君が貰ったのだからいいよ。保健室とかで貰うから、これはせいじ君が使いなよ。」

「貰ったら欲しくなくてもありがとうって言うんでしょ?」

「……ありがとう。」


 そういえばさっきせいじ君にそんなことを言った気がする。大人しくせいじ君から絆創膏を受け取って、右膝に貼り付けた。


「せいじ君。本当は、女の子からもらったものを、勝手に他の子にあげちゃダメなんだよ。」

「なんで?」

「その子はせいじ君に使って欲しくてあげたからだよ。」

「でも、使う人に渡した方が有効利用できて、合理的だよ。」

「もう!せいじ君は女心が分かっていないなあ。」


 せいじ君、バレンタインの本命チョコを貰っても、他にチョコが好きな人がいればそのまま渡しちゃったりしそう。


「いいよ、女心なんて分かんなくても。俺男だし。」

「男の子でも、分かってた方がいいよ。」

「ふうん。例えばどういうの?」

「えっと……。」


 女心の例えばって、何だろう。髪は女の命!は全然関係ないし、浮気は許さないとか?でも、せいじ君くらいの年の子には浮気って言葉自体良くわからなそう。

 女心ってもっとこう、もやもやしていて、自分でもめんどくさくなるような、さみしさとか焼きもちとか、好きって気持ちにいろいろなものがいっぱいくっついているような感じだと思う。


「あ。走ったら、追いかけて欲しいとか?」

「何それ。」


 さっきのことを思い出していたら、自然と口から言葉が出てきた。そっか、私はせいじ君にちょっと構って欲しかったんだ。


「私、さっき走ったとき、せいじ君に追いかけて来て欲しかったの。でも、せいじ君、いつも通り歩いてるからびっくりした。」

「だって、ひな。最初にここを一緒に歩いたときのこと、覚えてないの?」

「最初?」


 何かあったっけ。初めての道だから、お姉さんとして、犬がいるお家とか、お花の綺麗なお家とか、目印をできるだけいっぱい教えたのは覚えているけれど、ここは道が一直線だし、何も教えていないはずだ。


「ひなが言ったんだよ。車は通らないけれど、その分道が凸凹だから、走ると転んだりして危険だって。」

「そうだっけ?」

「うん。」


 そういえば言ったかもしれない。言ったことをきちんと覚えて守っていて、せいじ君はすごいなあ。


「せいじ君って偉いねー。良い子。」


 柔らかい手触りの銀髪をゆっくり撫でる。ちょっと嫌がるかな、と思ったけれど、少し機嫌の良い猫みたいに、せいじ君は大人しく頭を撫でさせてくれた。


「偉くないよ。ひなが転びそうになったときは、走っちゃったんだ。」

「せいじ君、やっぱりせいじ君は女心分かるかも!」


 言いつけを守ってくれることより、心配で走ってきてくれた方が嬉しい。

 嬉しくなってスキップで行こうとしたら、せいじ君に危ないからダメだって言われてしまった。



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