第7話 甥の思惑

 どれくらい走ったのだろう、もう足はほとんど感覚がない。

 蘭太郎が靄のかかった視界に必死に堪えながら足を前へ前へ動かす。

 もう聴覚もよく働いていなくて、とにかく前に進むこと以外のすべての機能は停止していた。

 そのせいか、追っ手がいつの間にか消えたのを、蘭太郎が気づいたのは、優一郎が突然足を止めてからだった。

「おじさん!」

「……もう大丈夫みたいだよ?」

「へっ……」

 優一郎が後ろの道を指差す。

 蘭太郎が酸欠気味だった体を整えて、目をこらすと、確かに背後に人の姿はない。

 諦めたのだろうか、と蘭太郎がホッと息をついた途端のことだった。

 優一郎がぴくりと肩を震わせた。

「足音……」

 優一郎が進行方向の方から聞こえてくる大勢の足音を敏感に察知したのだ。

 蘭太郎もそれに気づいたようで、慌てて優一郎の手を引っ張って草叢の中へ転がり込む。

「いっ、た! 乱暴じゃないか」

「だって、隠れないとまた……」

 そこまで蘭太郎は言い訳して口を噤んだ。

 足音がもうそこまで迫っていたのだ。

 しかし馬の蹄が立てる硬い音は聞こえない。

 ——また落ち武者狩りか……?

 優一郎と蘭太郎はさっと身を構える。

 しかし、それは杞憂だった。

 目の前を集団が慌てて走り抜けている。

 それは何かを追うというよりは何かから逃げているように見えた。

 そしてその身なりは汚れてはいるものの決してみすぼらしい格好ではない。

 そこまで観察して蘭太郎はハッとした。

「おじさん、道を間違えたみたいです」

 優一郎がここまで歩いたのに、と絶句する。

 しかし蘭太郎は元気よく優一郎に言った。

「でも、道は開けました、あの集団の後を追いましょう!」

「えっ、なんで!?」

 優一郎が急にいきり立つ蘭太郎に目を白黒させる。

 しかし蘭太郎は説明してる暇はないと草叢から優一郎を引っ張り出す。

「大丈夫、そっとついていけば分かりませんよ、うまくいけば三河にたどり着くはずです」

「三河……って、ちょ、ちょっと!」

 優一郎が考える間も無く、蘭太郎は素早く集団の尾についた。

 優一郎も慌てて蘭太郎の隣に着く。

「ちょっと、大丈夫なの?」

 こそりと優一郎が蘭太郎の耳元で囁いた。

 蘭太郎も声を殺して大丈夫です、と優一郎に応える。

 そして蘭太郎が少しニヤリと笑うと、優一郎に耳打ちする。

「——神君伊賀越えですよ」

 しんくん? と不思議そうな顔をした優一郎だったがそれ以上は何も尋ねない。

 優一郎は誰よりも知っていたのだ。

 蘭太郎の知識についていけば絶対に大丈夫だということを。

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