第3話 織田信長⁉︎
先に目を覚ましたのは、優一郎の方だった。
「……ここは? 蘭ちゃん、起きて」
「……おじさん?」
優一郎が隣に倒れている蘭太郎の肩を揺らすと、わずかにうめき声をあげて、彼は目をさます。
優一郎が状況を把握しようときょろきょろと辺りを360度見渡した。
自分たちがいる周りには、堀か土塁のようなものがぐるりと張り巡らせている。まるで要塞の中心部にいるようだ。下は舗装されていない地面で、土や砂利がむき出し。
そして極め付けは——
「お寺ですか?」
目をこすりながら、優一郎より一足先にその建物を捉えた蘭太郎が隣の叔父に尋ねる。
「……かなあ? ぽいよね?」
目の前に建つ、
優一郎の構える丹羽探偵事務所の近くにも由緒ある古刹がある。
似たような外見をしているので、寺には違いないはずなのだ——しかしながら、およそ寺には似つかわしくない物々しい小さな城郭めいた施設はなんだと、優一郎は目を細めた。
「おじさん?」
「ううん……どうしようかな。入ってお参りでもしてみる?」
「そんなことより、ここがどこだか誰かに聞かないと」
力なくへたり込んだまま笑う優一郎をまだ成長しきっていない小柄な体で引っ張り起こす蘭太郎。
しっかりしている子だなあ、と緊張感なく立ち上がり、スーツのズボンに着いた土を叩いて払う。ついでに蘭太郎の尻についていた土も払ってやるとやめてください、と優一郎の手を払われてしまった。助手は難しい年頃なのだ。
やれやれと苦笑いを漏らすと何かに気がついたらしい蘭太郎が彼方を指差し声を上げた。
「あ、あそこに」
「え? 何かの撮影?」
その先を見ると、袴に身を包んで、さらに時代錯誤的にちょんまげまで結っている少し小柄な男性が、これまた髷をゆった蘭太郎よりもいくらか歳上にみえる青年や、他にも壮年の男性——もちろん皆一様に髷をゆった袴姿——を連れてこちらへ向かってくるのを優一郎がとらえた。
「ちょっと待ってて、あの人たちに聞いてみる。すいませーん!」
「おじさん!」
走り出してしまった叔父を必死に追いかける蘭太郎。
蘭太郎は頭の回転は遅いのに足は馬鹿に早い優一郎を、そして運動神経はからきしな自分を少し恨んだ。
「すみません、不躾に。ここは一体ど」
優一郎の語尾、「こ」という文字は消えた。
「おじさん待ってって言っ」
蘭太郎の語尾、「た」という文字も消えた。
色を失った優一郎の顔色に引きつる蘭太郎の表情。
その原因は——
「控えよ! 貴様、この方を誰と心得る!」
「ひゃ、れ、れふか……?」
情けなくろれつも回らぬ優一郎の喉笛に突きつけられた刀。優一郎は涙目で両手を上げて降伏の意を示すのだが、刀を向けた取り巻きの一人は姿勢を崩そうとしない。
白い顔で立ち尽くす蘭太郎。
「やめよ」
甲高い声がした。どこの女の声だと二人は訝しむ。しかしその声の主は意外な人物——
「貴様、見ない顔だな。それに奇妙な服を着ている。もしや、南蛮渡来の者か?」
取り巻きを従えて貫禄たっぷりに先頭を歩く男性のものだった。
「は、はひ?」
刀が潔く鞘に収められると、優一郎はその場に崩れ落ち、ぺたりと尻餅をついた。
蘭太郎も力が抜けてその場に座り込む。
その様子を見たおそらくこの集団のトップである甲高い声の持ち主はふっと笑って二人を立ち上がらせた。
「驚かせたな。我こそは織田信長。お前たち、名はなんと申す?」
「……おだ、のぶなが、な、なにかのまちがいじゃ」
涙目で後ずさりする優一郎を一足先に正気に戻った蘭太郎が引っ張り戻した。
「無礼を申し訳ありません。私は丹羽蘭太郎、こちらは父の丹羽優一郎と申します。私たちは南蛮へ旅をし今戻ってきた次第でありまして、こちらの情勢がよくわかっておりませんでしたので」
「ほう!」「はあっ?」
信長と、優一郎の声が重なった。余計なことをいう優一郎の口は蘭太郎が容赦なく手のひらでふさいでしまう。
「やはり南蛮ゆかりの者であったか。よい、あがれ。ワシらはそこの寺、本能寺に泊まっている。南蛮の話を聞かせてみせよ」
「しかし殿!」
「たった二人じゃ、どうということもあるまい」
ずんずんとトップを先頭に歩き出す集団。
取り巻きは未だ優一郎と蘭太郎のことを警戒した眼差しで見つめていたが、信長のいうことには渋々したがっていく。
集団の一番尾っぽについた二人はこそこそとこの得体の知れない状況を確認し始める。
「蘭ちゃん何これ? ドッキリ? 蘭ちゃんも仕掛け人なの?」
「もしこれがドッキリだったら本物の刀を使いますか? おじさん、あれ真剣でしたよ。このご時世、あんな大人数が真剣腰に据えて闊歩できる甘い世の中じゃないでしょう」
「そうだけど……蘭ちゃん、ちょっと適応能力高すぎないかな。僕はまだ頭がクラクラしてて……」
こめかみを抑える優一郎の肩を蘭太郎が叩く。
「しっかりしてください。僕もまだ信じがたいけれど——おそらく僕たちは、俗に言うタイムスリップを、してしまったのではないか、と」
「タイムスリップゥ!?」
「声が大きいです!」
優一郎がはっとして自らの手で口をふさぐ。幸いにも異国語は彼らに通じないようだ。
「しかし……なんともまあ、現実離れした話で……」
そっと声をひそめた優一郎は、頭を抱えた。
叔父とは裏腹にいたって冷静な蘭太郎は、14歳とは思えぬほど淡々と根拠を述べる。
「僕の記憶は事務所で汚いガラス玉が割れたところで途切れています。おそらくあれがキッカケだったのではないですか? よくおじさんは変なものを拾ってきますから。織田信長と名乗る人物がいることからおそらく安土桃山時代。おじさんには戦国時代といったほうがわかりやすいですかね、1500年代後半です、おおよそ僕たちが生きる時代から、500年前——」
「え、待って、蘭ちゃんさ、怖くないの?」
淡々と考察を述べる甥に、戸惑いを覚える叔父。その叔父を見つめる甥の目は、冷ややかだった。
「怖いも何も、今はとりあえず従うしかないでしょ。おじさん、信長公の機嫌を損ねて死にたいんですか?」
優一郎が先ほど刀の切っ先を当てられた喉元を手でギュッと守りながら嫌だ、と呟いた。
「今の僕たちは南蛮を旅した丹羽親子です。なんとか乗り切りましょう。元はと言えば、この状況はおじさんの蒔いた種ですから」
「うう、承知いたした」
「いいですよ、その調子です」
たいして離れていなかったはずの距離がとてつもなく長く感じ、ようやく信長の滞在している寺前までやってきた。
「蘭丸以外はついてこずともよい」
信長は取り巻きの中の青年を一人連れ出すと、他の取り巻きに言い放った。
信長の身を案じ、集団がどよめくが、やはり渋々といった様子で信長の指示に従った。
「騒がせたな、さああがれ」
「は、失礼いたしまする」
優一郎が腰を低くして信長に言われるがまま寺に上がり込む。蘭太郎もそれに続いた。と、同時にこそりと一人同室を許された蘭丸と呼ばれた青年を仰ぎ見る。
美少年と呼ぶにふさわしいような顔つきをしているが、決して華奢ではない。現代でいう細マッチョというやつだろうか、脱ぐとすごい、というやつか。
妙なところで感心する蘭太郎をよそにいかんせん、怖いもの知らずのきらいがある彼の叔父は、ずかずかと先へ進む。
蘭太郎が大股でやっと追いついた先、そこはやはりというか、当然というか、和室。
「座れ」
信長が泰然として二人に命ずる。
優一郎はあぐらをかく格好で、蘭太郎は正座をし背筋を伸ばす。
最後に蘭丸が信長の側に控えるように座り込む。
「話せ」
「えっ?」
なんの振りもない信長からの命に二人は目を瞠った。
しかしそこは天下人の前だ。それらしい話を、それらしく優一郎が語る。
「ええ、ええですね、私たちが旅したのは上様が俗に南蛮人や、宣教師と呼ぶ者たちが大勢住む国でございまして、そこには青い瞳や緑の瞳、様々な瞳の色をしたやけに彫りの深い顔立ちの異国人が大勢あるのです。髪の色も千差万別、ここ日本では黒髪以外は白髪程度しか見かけないのに対して金髪や赤茶色、時には白髪とも異なる銀髪のような髪の持ち主と出会うこともありました」
負けじと蘭太郎が話を続けた。
「くわえて、日本語とは異なる言葉を話しており、まず我々と通訳なしに話すことは困難です」
「イスパニア語か?」
信長が語尾をあげて断片的に質問した。
頭は決して強くない優一郎が「い、いすぱに?」と戸惑うがそこは博識な蘭太郎がフォローする。
「宣教師らが話すような言葉でございますので、やはりそうかと」
信長が蓄えられた顎髭を撫でながら、蘭丸に何かを指示する。
そうすると、いそいそと蘭丸は外へ出て行った。
「……あの、彼は……?」
優一郎が消えていった蘭丸の背中を見つめながら恐る恐る問う。
「お前たち、今日はここに泊まれ」
信長が扇子で優一郎と蘭太郎を指しにやりと笑った。
「い、いやしかし、我々のような」
下賎な民が、という優一郎の精一杯の謙遜は第六天魔王には不快でしか無かったらしい。
眉を顰めた信長の纏う空気が、急激に冷えていく。
「お前たちでは無く、お前たちの話に興味があるから泊めるのだ。泊まれと言ったら泊まる以外の選択肢がお前たちに与えられていると思うか?」
厳しい信長の物言いに、優一郎がすくみあがる。
慌てて蘭太郎が「無論にございます!」と信長に応えた。
優一郎も我に返って、がくがくと頷く。
信長は二人の答えを聞いて満足したのか、「蘭丸にはお前たちの部屋を用意させに行かせたのだ」と先ほどの優一郎の疑問に遅れて答えた。
「ではもう、今宵は下がれ」
信長が扇子を使って入ってきた襖を指差す。そこにはいつの間にか無表情の蘭丸が正座をして待機していた。
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