プロローグ 2016年、秋から その2

     ◇


 実家に戻って早々、部屋の片付けをいいつけられた。

 というのも、とうきようとついでいた妹のが知らないあいだに離婚して、シングルマザーになって帰ってくるらしい。それで僕の使っていた部屋を2人の部屋にしたいとか。兄は失職、妹は離婚。そろってらんばんじようというしかない。

 とはいえ無職には反論もできず、しぶしぶ片付けを始めた。

「あれ、ここにあったのか、これ……」

 棚に押し込んであったひとつの段ボール箱。それを開けると、途端に過去がよみがえってきた。

 妄想ゲームタイトルの設定を書き付けたノート、毎日いていればくなるというスレを真に受けて5日まで描いて終わったスケッチブック、ハマったラノベやマンガ。

 でも、あるはずのものが、ひとつだけ見付からない。

「ん? あれ……どこ行ったっけか」

 箱をひっくり返して、どこにも見付からない。机の中も、本棚のすきにも、まったくもって見付からない。

 うろうろしていると、手元のスマホが鳴った。

「あれ……電話だ。もしもし?」

「あ、お兄ちゃん? 部屋の片付けごめんな~、今ちょっとええかな?」

 電話の向こうは、東京に嫁いでも一向に関西弁が抜けていない妹だった。

「ええよ、なに?」

「あんな、こっちの荷物整理してたら、お兄ちゃんのものが混じっててな、もし探してたら悪いなと思って電話してん」

「僕の? なに?」

「合格通知。大切にしてたやろ?」

「……うん、探してたわ。持ってきてもらえると助かる」

「ええよ、じゃあまた後でな~」

 通話を切った。そのまま、ベッドの上に横になった。

 天井をジッとながめる。この天井は、あの高校生のころから何も変わっていない。

「なんであの時、受験したんだろうな……」

 普通の成績で普通のランクだった僕は、関西圏の普通の大学をいくつか受験した。

 ……と同時に、何を血迷ったのか、まったく別の領域の大学も併願した。

 おおなか芸術大学、映像学科。だれもが知ってる国民的アニメの監督の出身校で、超有名マンガ家の半生をもとにして大ヒットしたマンガ『アカイホノオ』の舞台で、世界的ゲームメーカーのじんてんどうにも多数のクリエイターを輩出していたその大学にも、願書を出したのだ。

 通称大芸。変わり者が多く、生徒の5分の1が中退するともいわれる常識外れの大学。そして、あの3人のクリエイターの出身校もここだ。

 絵コンテやシナリオの試験もあり、未知の問題用紙を見て頭を抱えた。記念受験だからと、別段その結果を気にすることもなかったんだけど、

「受かったんだよな……なぜか」

 そう、僕はなぜか、合格していたのだ。

 もちろん、当時は大変喜んだ。でも、ランク高めの第一志望に受かったことで、僕は芸大に進むことはなかった。

 もし、芸大に進学して、あの3人と同級生になっていたら。

「ははっ、別に何もなってないか」

 大芸に入ったからといって、有名になると決まったわけじゃないけど、「もしかしたら」「ひょっとしたら」の話は、クソみたいな生活を送る今の僕にとっては魅力的に映る。

「……そうだな、もしそうなったら……」

 一度も会ったことのない彼らとともに、学生生活を送っていた自分を想像する。

 物作りについて語り合い、議論をし、怒り、泣き、笑い。

 互いに作った物に刺激を受け、自分もそれに奮起して何かを作って。

 そして、そして。

 そこで、妄想をめた。

「だから、なんだってんだよ……!」

 目頭が熱くなって、急に視界がぼやけた。

 鼻の奥から何かが一気にこみ上げてくる。

「もう、遅いんだよ」

 すべては10年前のあの日で終わったんだ。

 何もかも中途半端なまま夢を追いかけた結果が、今の僕だ。どうしようもない社長のどうしようもないメーカーしか拾ってくれなかったのが、今の僕だ。

 必死で頑張ったつもりだった。でも何もできなかった。悲惨な条件にもかかわらずがんばりましょうと言ってくれた原画家にも、無理なスケジュールを苦笑いで引き受けてくれたグラフィッカーにも、満足にこたえることができなかった。

 中途半端のまま世に送り出されたゲームは、僕の人生そのものだった。

「僕の人生、ほんとなんだったんだよ……」

 自虐的に笑って、そっと目を閉じる。

 あのときに、戻れたら。


 受験していたころを思い出していた。

 当時は妹もまだ中学生で、僕が大学受験をするということで、散々盛り上がっていたんだっけ。

 合否の通知が郵送で届くたびに、ポストで待ち構えていた妹は、まっすぐ僕のところに持ってきていた。まるで自分のことのように、不合格には肩を落としてらくたんし、合格なら僕と手をつないで小躍りして喜んでくれた。


 階段を上ってくる音が聞こえる。

「ん、帰ってきたかな?」

 その音で、目を開けた。

 時間を確認するため、スマホに手を伸ばそうとした、瞬間。

「お兄ちゃん!」

 バン!と大きな音を立てて、部屋のドアが開いた。

「なんだよ、びっくりさせ……って、なんだお前、その格好」

 今年で24歳、子供もいる我が妹は、なんとセーラー服姿で、そこに立っていた。

「え? いや、制服やけど……」

 それが何か? という感じで答える妹。

「いや、そーじゃなくってさ……コスプレ?」

 前のだんがそういう趣味だったっけ? そんな話は聞いたことがない。

「何をアホなこと言うとるんよ、それより、これ!!」

 こちらの言葉などどうでもいいと、厚手の封筒を差し出す。

「お兄ちゃん、おめでとう! 合格やて!!」

 ……………………え?

 いや、紛れ込んでいた合格通知を持ってきてくれって、確かに言ったけど。

 そんなに大げさに渡すか? コスプレまでして?

「お前さ、さっき電話で……」

 言いつつ、スマホを探す手が止まった。

 スマホがない。

 代わりにあったのは、何世代も前のガラケー。

 頭の中が混乱しはじめる。

「え、ちょっと待って、待てよ!」

 改めて部屋を見回す。

 ベッドの横に置いてあるテレビはブラウン管。ゲームハードはPS2。

 全巻そろえていたはずのゼロ魔は7巻までしかなく、アスタリスクも、はがないも、本棚には影も形もなかった。

 慌てて、壁に掛かっていたカレンダーに駆け寄る。

「……お兄ちゃんどないしたん? 急に芸大受けるとか言うし、受かったら受かったでなんか変やし、そういや、なんで急に言葉も標準語になっとるん?」

 もう、の声も聞こえてはいなかった。

 度重なる違和感の数々は、最後に見た数字が、最もによじつに答えを示してくれた。

「2006……年……」

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