ぼくたちのリメイク
木緒なち/MF文庫J編集部
プロローグ 2016年、秋から その1
「いやあの、ですから僕に連絡されても困るんですよ。社長の行きそうな場所とか聞かれても僕の方が聞きたいぐらいで。え? お店? プロペラ通りにあるキャバクラにはよく行ってたみたいですけど、そこもお金が無くなってからは全然。実家? えーと、
チラッと時計を見る。午後2時を回ったところだった。
「ええ、ええ、もし電話あったらすぐ教えますから。社長に恩義とかそういうのほんとないんで。給料も半年出てないですし。家賃滞納でアパート追い出されたから3ヶ月前から事務所に住んでるぐらいですし。はい、ええ、わかりました。では」
ガチャッと受話器を置く。
「ふう……」
ため息をつきつつ、かたわらに声をかける。
「社長、電話終わりましたよ」
声をかけたあと、数秒くらいしてから、机の下でふとんを
「いやあ、
飛び出てきた小太りのおっさんが、両手を高々とかかげて満面の笑みを浮かべた。
「あの人さあ、昔ヤンキーだったって
「社長」
僕は大げさにもう一度ため息をついてみせると、
「いい加減ちゃんとお話ししたらどうですか? このまま逃げ回ってても、いいことなんかひとつも」
「わかってる! わかってるんだ橋場くん! 僕もこのままじゃ、借金5千万とともに重い石を抱えて
「だったら」
「でも信じてくれ! 別のラインで進めているマンガ誌のプロジェクトがうまくいけば、即金で3千万が入ってくる! ただそれまでは彼らに見付からないようにしないと、企画自体をなかったことにされてしまうんだよ!」
「はあ」
ここはゲーム会社だ。そしてこの社長はゲーム会社の社長だ。なのにどうして、マンガ誌がどうとか言いだしているのだろう。どうせ
「この企画はすごいんだよ! 史上初、紙媒体とネット媒体で同時創刊! スマホでもPCでも同じ作品が無料で読めて、しかも作家は元々週刊少年ザンプで執筆経験のあるベテランぞろい! 事前登録だけでもすでに5千人を突破しているんだ!」
そう言って、頼みもしないのに見せてきたタブレットには、どう見ても10年前、いや、20年前のセンスで作られた、見慣れたどころか見飽きて苦笑しか浮かばないようなウェブサイトが映し出されていた。
「社長、これマネタイズは?」
「マネタイズ? マネタイズってなんだ?」
リアルに頭を抱える。
「提携してる出版社は?」
「ないよ、ひとつも」
「単行本にして売るとか? 収益はどうやって得るんです?」
「そんなの有料会員制にして課金させればいらないって!」
有料と言わずに集めた事前登録者は、そうとわかった時点で離れる。それどころか炎上するかもしれない。その可能性を考えないのだろうか。
「無謀ですよ、既存の収益モデルを参考にして、両立させないと……」
「そんなの、おもしろい作品を作ればなんとかなるって!」
「なりませんから!」
大げさに机をバン!と
「ひっ、ちょっとやめてくれよ、そうやって机叩くの。乱暴はよくないよ」
「その向こう見ずで知識がなくてすぐに
「そ、そんなに
「言いたくもなりますよ! だって、原画家さんは? シナリオライターは? プログラマーは? それどころか一所懸命資金繰りしてくれてた経理の人だってもういませんよね? みんないたのに、もう
「そうだね……みんないなくなっちゃったよね……いるのは
「逃げ遅れたんですよ、僕は」
「いやあ、でも先月の『プリけつっ!~プリティーな彼女のケツ談~』は、君のおかげでなんとか出せてよかったよ! あいかわらずギリギリでもなんとかしてくれて本当に助かる。その力を、次の新規事業にもぜひ
「……その前にやることがたくさんありますけどね」
会社
そのどれもが、クリエイターからの未払い督促や、クライアントからの連絡不備を
「とにかく、もう夢ばかり追いかけるのはやめてください。アイデアが
はあ、とため息をまたひとつつく。
「まあ、こうなったからには不本意ではありますけど社長についていきますから、せめてきちんと借金に向き合って、次の作品をしっかりと」
言葉の
「って、え、しゃ、社長っ!?」
さして広くもないフロアを見回すも、そこにはもう誰もいなかった。
「どこに逃げたんだあの人……」
キョロキョロと2、3度首を回したタイミングで、
「ギャ────ッ!! ゆ、許してくださーい!!!」
驚くほど情けない叫び声が、ビルの外に響き渡った。
慌てて席を立ち、窓から外を見る。
「てめえ、こんなとこにいやがったか! まさかと思って張ってたら案の定だったな」
上下黒ジャージの男がふたり、社長を
「いや違うんです、うちの社員が泣きついてきたんでかわいそうに思ってそれで」
「うんうん、わかったわかった、わかったからね、だからおとなしく車に乗ろうね」
「いやだーっ! やめてーっ! 車嫌い~~~~っ!!!」
そろいの金属バットで押しこむようにして、白いワゴン車の後部座席に社長を
重苦しいエンジン音とともに、車は社長を乗せて西へと向かっていく。
その影が消え、排気ガスの
太陽は少しずつ、地平へと下がりはじめていた。
「……これで、正真正銘の無職か」
◇
しかし、入った会社は、社長の夢ばかり壮大で中身がなかった。
絶対に連れてくると言われていた有名原画家はメールを送って5分で断られ、結局、僕が店員時代のツテで土下座して頼み込んだ女性の原画家さんは、社長からセクハラまがいのメールを連発されたあげくに
よくあるといえばよくあるかもしれない、絵に
「ほんと……なんだったんだろうな、あの会社」
人が1人消え、2人消えしていく中で、僕は常にその仕事を穴埋めしていった。原画家がいなくなったら見よう見まねで何とかその絵をしあげ、グラフィッカーの受け皿が無くなったら色を塗り、販促だと聞けばポップを作り、動画編集ソフトに苦労しながらなんとかPVをでっちあげた。音声収録もスクリプトもプログラムも、どの工程においても触らなかったところはひとつもない。
しかし、結果としてゲームは未完成のまま終わった。社長が大いばりで契約してきたプログラムが、バグだらけだったのだ。5回目の修正でどうにかゲームが安定して動くようになったころには、もはや
結果、僕の財布には5千円札1枚だけが残った。後には何も残らなかった。
それで
行く先は実家。
結局、あれから社長は帰ってこなかった。結局、給料は未払いのまま家賃も払えず、オフィスの入っていたビルからも立ち退きを求められ、どうしようもなくなって帰ることにするしかなかった。
謝罪のために連絡をした何人かの業界人には、うちに来ないかと誘ってくれる人もいた。残ろうと思えば業界にも残れたかもしれない。
でも僕は、もうすっかりうんざりしていたのだ。
エロゲ業界の仕事の楽しさよりも、あんな社長の下で働くことしかできなかった自分の見る目のなさにほとほと嫌気が差していた。
単に疲れてるだけかもしれないけど、こうする他は考えられなかった。
「ん、通知……?」
そのとき、ポケットに入れていたスマホがブルッと震えた。
メールの着信だった。
送信元は、ニコニコ動画。
「あ、9時からメーカー生放送やるんだ」
仕事柄ということもあったけれど、僕はいくつかのエロゲメーカーのコミュニティに登録していた。そうしていると、新番組が公開されるたびに通知される。今回は業界でも大手のサクシードソフトの生放送だった。
イヤホンを
「新企画発表……? 何かあったっけ、ここ」
サクシードソフトは潤沢な資金を持つ
ただ、その安定と引き替えにクリエイターやスタッフも毎回ほぼ固定されていて、アンチから「新鮮味に欠ける」と言われるのも定番化していた。
しかし、どうも今回の発表は雰囲気が違う。
「まさか、完全に新しいラインなのか……?」
ファンであろう視聴者もかなり驚いているようで、画面上のコメントからは動揺や不安がうかがえた。
「お待たせしました! それでは新企画の発表です!」
広報担当としても有名なヒゲ面のプロデューサーが笑顔で告げると、画面はPVへと切り替わる。
明らかにお金のかかった、アニメーションの多用された動画だった。僕があのときでっち上げでなんとかしたPVとは、比べものにならないほどレベルが高い。
「えっ!?」
注目の制作者クレジットが流れるシーンで、僕は思わず立ち上がってしまった。
周りの座席の人から、
しかしそれにも構わず、僕は手にしたスマホから目が離せなかった。
画面には、大きくクレジットが表示されていた。
『キャラクターデザイン:
『シナリオ:
『主題歌:
その名前を覆い尽くすかのような、大量のコメント。
「ウソだろ……さすがサクシードソフトだ」
つぶやき、座席にドサッと腰を下ろした。
秋島シノ。イラストレーター。僕のいたメーカーのオファーを断った有名原画家よりも、さらに数段上のランクにいる超有名女性イラストレーター。TVアニメのキャラクターデザインも経験し、先日ついに初めての個展を開いた。最近発売された画集は、今の僕のいちばんの宝物だった。
川越京一。ライトノベル作家。今期のアニメで最高評価を得て、ラノベファン向けのムックでも2年連続で1位に輝いた、『
N@NA。シンガーソングライター。ニコ動の歌ってみたでアニソンやボカロ曲を中心に活動して人気に火がつき、今やメジャーレーベルに所属してヒット曲を連発している。ライブチケットはプレミア化し、オークションサイトで10万円を超えるのもザラとか。
僕も、彼らのファンだった。秋島シノが原画を担当したゲームはグッズのコンプリートは当たり前として、設定資料集も隅から隅まで読んだし、『哀ブラ』は1巻が出た時からずっと新刊で買いそろえていたし、N@NAのライブも苦心してチケットを手に入れ、腕が筋肉痛になるまでサイリウムを振った。
要は、超メジャーなクリエイターだということだ。
番組ではさっきのヒゲPが出てきて、もうアニメ化とコミカライズと
この後、3人並んでの
「はぁ……」
発表された3人のクリエイターには、超有名でトップクラスという以外に、もうひとつの共通点があった。
実は、この3人は同い年で、同じ芸術系大学を卒業していた。
彼らは在学中からすでに頭角を現していた。この学年は彼ら以外にも第一線で活躍した人材がたくさんいて、業界では『プラチナ世代』として知られている。
「プラチナ世代のトップランナーそろえてゲーム作りだなんて……夢みたいな話だな、ほんと」
社長のセクハラで原画家が逃げ出すとか、あまりに次元が違いすぎて笑えてくる。
昔からゲームが好きだった。
小中学校の
だけど、夢はやがて現実を前にして薄れていき、普通の大学の普通の学部を出て、思い出したようにゲーム会社の採用試験に応募するもことごとく落ち、気がつけば特にやりたいわけでもない仕事に就いていた。
だから、エロゲ会社のディレクターになれた時は、正直嬉しかった。
いくら小さなタイトルとは言え、あの
友達から借りて深夜にボロボロ泣きながらプレイしたあのエロゲを。好きなヒロインの中古のタペストリーをバイト代はたいて買ったあのエロゲを。雨で凍える中、発売イベントに並んでまで買ったあのエロゲを。自分が作る側に回るんだ。作り手になることができるんだ。
結果は、社長の夜逃げに荷担するバッドエンドだったけど。
「でも、仕方……なかったんだよ」
ひどい終わり方だったけれど、あの社長だってゲームに夢を見ていた人だったのはまちがいない。だからこそ意気投合し、ブランド設立にも協力した。その思いがあったからこそ、最後の一人になっても会社には残ったし、石にかじりついてでもゲームを発売させた。
だけどすべては遅すぎた。
「皆様、バスはもうすぐ
車内にアナウンスが流れる。ごそごそと身支度して、トイレに行く準備をする。
クリエイター3人の発言に、日本中のいろんな人たちが注目し、できあがるゲームを想像して、何より期待するんだろう。
それに対して、サービスエリアのトイレに向かう僕に気を留める人は、
プラチナ世代の3人には、2つめの共通点があった。
1988年生まれ。
──彼らは僕と、同い年だった。
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