ぼくたちのリメイク

木緒なち/MF文庫J編集部

プロローグ 2016年、秋から その1

 さいたま県の北部にあるいる市。駅から徒歩5分の場所にある雑居ビルの2階で、僕は受話器を片手にかれこれ30分近く話していた。

「いやあの、ですから僕に連絡されても困るんですよ。社長の行きそうな場所とか聞かれても僕の方が聞きたいぐらいで。え? お店? プロペラ通りにあるキャバクラにはよく行ってたみたいですけど、そこもお金が無くなってからは全然。実家? えーと、やまだったかいしかわだったか、なんかあの辺です、たしか」

 チラッと時計を見る。午後2時を回ったところだった。

「ええ、ええ、もし電話あったらすぐ教えますから。社長に恩義とかそういうのほんとないんで。給料も半年出てないですし。家賃滞納でアパート追い出されたから3ヶ月前から事務所に住んでるぐらいですし。はい、ええ、わかりました。では」

 ガチャッと受話器を置く。

「ふう……」

 ため息をつきつつ、かたわらに声をかける。

「社長、電話終わりましたよ」

 声をかけたあと、数秒くらいしてから、机の下でふとんをかぶっていた生き物がモゾモゾと動きだす。

「いやあ、はしくん名演技だったね~! ほんとありがとう、超ありがとう!」

 飛び出てきた小太りのおっさんが、両手を高々とかかげて満面の笑みを浮かべた。

「あの人さあ、昔ヤンキーだったってうわさがあって、顔はすごくこわいし目もいつも笑ってないし、苦手なんだよね。こないだも金返せないならがんきゆうをわたせって」

「社長」

 僕は大げさにもう一度ため息をついてみせると、を半回転させて社長に向き直った。クライアントからのスケジュール遅延をとがめる電話を処理して、それを社長に伝えるのはいつも僕だ。ため息のひとつやふたつ、つきたくもなる。

「いい加減ちゃんとお話ししたらどうですか? このまま逃げ回ってても、いいことなんかひとつも」

「わかってる! わかってるんだ橋場くん! 僕もこのままじゃ、借金5千万とともに重い石を抱えてとうきようわんに沈むだけのつまらないフィナーレを迎えるだけだ!」

「だったら」

「でも信じてくれ! 別のラインで進めているマンガ誌のプロジェクトがうまくいけば、即金で3千万が入ってくる! ただそれまでは彼らに見付からないようにしないと、企画自体をなかったことにされてしまうんだよ!」

「はあ」

 ここはゲーム会社だ。そしてこの社長はゲーム会社の社長だ。なのにどうして、マンガ誌がどうとか言いだしているのだろう。どうせだれかに吹きこまれたのに違いない。

「この企画はすごいんだよ! 史上初、紙媒体とネット媒体で同時創刊! スマホでもPCでも同じ作品が無料で読めて、しかも作家は元々週刊少年ザンプで執筆経験のあるベテランぞろい! 事前登録だけでもすでに5千人を突破しているんだ!」

 そう言って、頼みもしないのに見せてきたタブレットには、どう見ても10年前、いや、20年前のセンスで作られた、見慣れたどころか見飽きて苦笑しか浮かばないようなウェブサイトが映し出されていた。

「社長、これマネタイズは?」

「マネタイズ? マネタイズってなんだ?」

 リアルに頭を抱える。

「提携してる出版社は?」

「ないよ、ひとつも」

「単行本にして売るとか? 収益はどうやって得るんです?」

「そんなの有料会員制にして課金させればいらないって!」

 有料と言わずに集めた事前登録者は、そうとわかった時点で離れる。それどころか炎上するかもしれない。その可能性を考えないのだろうか。

「無謀ですよ、既存の収益モデルを参考にして、両立させないと……」

「そんなの、おもしろい作品を作ればなんとかなるって!」

「なりませんから!」

 大げさに机をバン!とたたく。

「ひっ、ちょっとやめてくれよ、そうやって机叩くの。乱暴はよくないよ」

「その向こう見ずで知識がなくてすぐにだまされる計画性ゼロの性格のせいで、まともな人がみんな辞めていったんでしょう? 違います?」

「そ、そんなにひどいことをストレートに言わなくてもいいじゃないか」

「言いたくもなりますよ! だって、原画家さんは? シナリオライターは? プログラマーは? それどころか一所懸命資金繰りしてくれてた経理の人だってもういませんよね? みんないたのに、もうだれもいないですよね?」

「そうだね……みんないなくなっちゃったよね……いるのははしくんだけだよ」

「逃げ遅れたんですよ、僕は」

「いやあ、でも先月の『プリけつっ!~プリティーな彼女のケツ談~』は、君のおかげでなんとか出せてよかったよ! あいかわらずギリギリでもなんとかしてくれて本当に助かる。その力を、次の新規事業にもぜひかしてくれないか!」

「……その前にやることがたくさんありますけどね」

 を逆方向に半回転させ、液晶モニターの方へ向き直る。

 会社あてメールの受信箱には、未読状態のメールが山ほどある。

 そのどれもが、クリエイターからの未払い督促や、クライアントからの連絡不備をとうする内容ばかりだ。

「とにかく、もう夢ばかり追いかけるのはやめてください。アイデアがいてくるのは良いんですが、本来なら、社長の立場にある人は一番現実を見てなきゃいけないはずなんですよ。わかりますか?」

 はあ、とため息をまたひとつつく。

「まあ、こうなったからには不本意ではありますけど社長についていきますから、せめてきちんと借金に向き合って、次の作品をしっかりと」

 言葉のちゆうで、ふっ、と視線を上げると、もうそこには社長の姿はなかった。

「って、え、しゃ、社長っ!?」

 さして広くもないフロアを見回すも、そこにはもう誰もいなかった。

「どこに逃げたんだあの人……」

 キョロキョロと2、3度首を回したタイミングで、

「ギャ────ッ!! ゆ、許してくださーい!!!」

 驚くほど情けない叫び声が、ビルの外に響き渡った。

 慌てて席を立ち、窓から外を見る。

「てめえ、こんなとこにいやがったか! まさかと思って張ってたら案の定だったな」

 上下黒ジャージの男がふたり、社長をりようわきから抱えていた。

「いや違うんです、うちの社員が泣きついてきたんでかわいそうに思ってそれで」

「うんうん、わかったわかった、わかったからね、だからおとなしく車に乗ろうね」

「いやだーっ! やめてーっ! 車嫌い~~~~っ!!!」

 そろいの金属バットで押しこむようにして、白いワゴン車の後部座席に社長をほうり込むと、バン!と音を立てて、ドアはあっけなく閉められた。

 重苦しいエンジン音とともに、車は社長を乗せて西へと向かっていく。

 その影が消え、排気ガスのにおいが消え、あたりが静寂に包まれてもなお、僕はその行き先をジッと眺め続ける。

 太陽は少しずつ、地平へと下がりはじめていた。

「……これで、正真正銘の無職か」


     ◇


 はしきよう、28歳。

 県の西側にある地方都市で生まれ育って、地方の私立大学を卒業。ゲームメーカーの開発職を志望して就職活動するもことごとく落ちまくり、やっと受かったカー用品販売店の営業職を皮切りに職を転々とする。その後、ゲーム作りの夢が忘れられず、あきばらのゲームショップ店員として勤めていたころに知り合ったとあるメーカーの社長に誘われ、夢をかなえるべく26歳にしてエロゲブランドのディレクターを務めることとなった。

 しかし、入った会社は、社長の夢ばかり壮大で中身がなかった。

 絶対に連れてくると言われていた有名原画家はメールを送って5分で断られ、結局、僕が店員時代のツテで土下座して頼み込んだ女性の原画家さんは、社長からセクハラまがいのメールを連発されたあげくにちゆう降板。やっぱり社長がコネがあると豪語していた有名ライターからは返信すらない上に『クッソ失礼な依頼メール来たwwww』とSNSにアップされる始末。ライターは結局見付からず、社長の書いたプロットという名の妄想文をもとにスタッフ総出で書くこととなり、リソースも確認しないままぶっつけ本番で制作に入ったために開発は超難航、結局発売時期を逃して半年、一年と延期を重ねた。

 よくあるといえばよくあるかもしれない、絵にいたようなエロゲ残酷物語だった。

「ほんと……なんだったんだろうな、あの会社」

 人が1人消え、2人消えしていく中で、僕は常にその仕事を穴埋めしていった。原画家がいなくなったら見よう見まねで何とかその絵をしあげ、グラフィッカーの受け皿が無くなったら色を塗り、販促だと聞けばポップを作り、動画編集ソフトに苦労しながらなんとかPVをでっちあげた。音声収録もスクリプトもプログラムも、どの工程においても触らなかったところはひとつもない。

 しかし、結果としてゲームは未完成のまま終わった。社長が大いばりで契約してきたプログラムが、バグだらけだったのだ。5回目の修正でどうにかゲームが安定して動くようになったころには、もはやだれもこのゲームに見向きもしなくなっていた。

 結果、僕の財布には5千円札1枚だけが残った。後には何も残らなかった。

 それでまでの深夜バスのチケットを買い、すぐさま乗り込んだ。

 行く先は実家。

 結局、あれから社長は帰ってこなかった。結局、給料は未払いのまま家賃も払えず、オフィスの入っていたビルからも立ち退きを求められ、どうしようもなくなって帰ることにするしかなかった。

 謝罪のために連絡をした何人かの業界人には、うちに来ないかと誘ってくれる人もいた。残ろうと思えば業界にも残れたかもしれない。

 でも僕は、もうすっかりうんざりしていたのだ。

 エロゲ業界の仕事の楽しさよりも、あんな社長の下で働くことしかできなかった自分の見る目のなさにほとほと嫌気が差していた。

 単に疲れてるだけかもしれないけど、こうする他は考えられなかった。

「ん、通知……?」

 そのとき、ポケットに入れていたスマホがブルッと震えた。

 メールの着信だった。

 送信元は、ニコニコ動画。

「あ、9時からメーカー生放送やるんだ」

 仕事柄ということもあったけれど、僕はいくつかのエロゲメーカーのコミュニティに登録していた。そうしていると、新番組が公開されるたびに通知される。今回は業界でも大手のサクシードソフトの生放送だった。

 イヤホンをつなぐと、まもなく放送が始まった。

「新企画発表……? 何かあったっけ、ここ」

 サクシードソフトは潤沢な資金を持つ老舗しにせで、安定した3本のラインで交互にソフトを制作している超優良メーカーだった。

 ただ、その安定と引き替えにクリエイターやスタッフも毎回ほぼ固定されていて、アンチから「新鮮味に欠ける」と言われるのも定番化していた。

 しかし、どうも今回の発表は雰囲気が違う。

「まさか、完全に新しいラインなのか……?」

 ファンであろう視聴者もかなり驚いているようで、画面上のコメントからは動揺や不安がうかがえた。

「お待たせしました! それでは新企画の発表です!」

 広報担当としても有名なヒゲ面のプロデューサーが笑顔で告げると、画面はPVへと切り替わる。

 明らかにお金のかかった、アニメーションの多用された動画だった。僕があのときでっち上げでなんとかしたPVとは、比べものにならないほどレベルが高い。

「えっ!?」

 注目の制作者クレジットが流れるシーンで、僕は思わず立ち上がってしまった。

 周りの座席の人から、げんそうな視線を向けられる。

 しかしそれにも構わず、僕は手にしたスマホから目が離せなかった。

 画面には、大きくクレジットが表示されていた。

『キャラクターデザイン:あきしまシノ』

『シナリオ:かわごえきよういち

『主題歌:N@NAなな

 その名前を覆い尽くすかのような、大量のコメント。

「ウソだろ……さすがサクシードソフトだ」

 つぶやき、座席にドサッと腰を下ろした。

 秋島シノ。イラストレーター。僕のいたメーカーのオファーを断った有名原画家よりも、さらに数段上のランクにいる超有名女性イラストレーター。TVアニメのキャラクターデザインも経験し、先日ついに初めての個展を開いた。最近発売された画集は、今の僕のいちばんの宝物だった。

 川越京一。ライトノベル作家。今期のアニメで最高評価を得て、ラノベファン向けのムックでも2年連続で1位に輝いた、『あいぎやくのブラッディーソード』の作者。最近では一般向けの文芸小説にも取り組み、高評価を得ている。

 N@NA。シンガーソングライター。ニコ動の歌ってみたでアニソンやボカロ曲を中心に活動して人気に火がつき、今やメジャーレーベルに所属してヒット曲を連発している。ライブチケットはプレミア化し、オークションサイトで10万円を超えるのもザラとか。

 僕も、彼らのファンだった。秋島シノが原画を担当したゲームはグッズのコンプリートは当たり前として、設定資料集も隅から隅まで読んだし、『哀ブラ』は1巻が出た時からずっと新刊で買いそろえていたし、N@NAのライブも苦心してチケットを手に入れ、腕が筋肉痛になるまでサイリウムを振った。

 要は、超メジャーなクリエイターだということだ。

 番組ではさっきのヒゲPが出てきて、もうアニメ化とコミカライズとかわごえ本人によるノベライズが決定済みで、発売直後から次々に展開していくとうれしそうに発言していた。

 この後、3人並んでのあいさつがあるみたいだったけど、僕はそこで生放送を切った。

「はぁ……」

 ぼうぜんとして、ため息をつく。

 発表された3人のクリエイターには、超有名でトップクラスという以外に、もうひとつの共通点があった。

 実は、この3人は同い年で、同じ芸術系大学を卒業していた。

 彼らは在学中からすでに頭角を現していた。この学年は彼ら以外にも第一線で活躍した人材がたくさんいて、業界では『プラチナ世代』として知られている。

「プラチナ世代のトップランナーそろえてゲーム作りだなんて……夢みたいな話だな、ほんと」

 社長のセクハラで原画家が逃げ出すとか、あまりに次元が違いすぎて笑えてくる。

 昔からゲームが好きだった。

 小中学校のころは友人たちと毎日のようにゲームの話に没頭していた。なけなしの小遣いをめて、すべてゲームにつぎ込んだ。傑作に感動した翌日は、決まって妄想タイトルの設定をノートに書き連ねた。将来は絶対にゲーム会社に入るぞと決めていた。

 だけど、夢はやがて現実を前にして薄れていき、普通の大学の普通の学部を出て、思い出したようにゲーム会社の採用試験に応募するもことごとく落ち、気がつけば特にやりたいわけでもない仕事に就いていた。

 だから、エロゲ会社のディレクターになれた時は、正直嬉しかった。

 いくら小さなタイトルとは言え、あのあこがれだったゲームを作れるのだ。

 友達から借りて深夜にボロボロ泣きながらプレイしたあのエロゲを。好きなヒロインの中古のタペストリーをバイト代はたいて買ったあのエロゲを。雨で凍える中、発売イベントに並んでまで買ったあのエロゲを。自分が作る側に回るんだ。作り手になることができるんだ。

 結果は、社長の夜逃げに荷担するバッドエンドだったけど。

「でも、仕方……なかったんだよ」

 ひどい終わり方だったけれど、あの社長だってゲームに夢を見ていた人だったのはまちがいない。だからこそ意気投合し、ブランド設立にも協力した。その思いがあったからこそ、最後の一人になっても会社には残ったし、石にかじりついてでもゲームを発売させた。

 だけどすべては遅すぎた。

「皆様、バスはもうすぐしずおかに到着いたします。サービスエリアでは10分間の停車をいたしますので……」

 車内にアナウンスが流れる。ごそごそと身支度して、トイレに行く準備をする。

 いまごろ、あの番組では華やかな会見が開かれているんだろう。

 クリエイター3人の発言に、日本中のいろんな人たちが注目し、できあがるゲームを想像して、何より期待するんだろう。

 それに対して、サービスエリアのトイレに向かう僕に気を留める人は、だれ一人いない。

 プラチナ世代の3人には、2つめの共通点があった。

 1988年生まれ。

 ──彼らは僕と、同い年だった。

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