第2話 黒い羽
「空を飛びたい」という言葉は、きっと誰もが願ったことだろう。もちろん私もその一人だった。
もしいつか、それが叶うのなら……文明の発展がそれを叶えてくれるのかは分からないが、空中散歩で一日を費やしてみたいものだ。
空中散歩だけでは足りないな。
山々を飛び越えて遊んでみようか。
そして、その頂で、通りすがりの雲でも捕まえてみようか。
空を自由に飛ぶ鳥たちとも仲良くなれるかも知れない。
ガルト様に支えられることなく、自由に空を飛べる事ができたら、どんなにいい景色が見られることだろうか。
そんな生活が、1日でもできたのならば、どれほど幸せだろうか。
「……い」
誰かが私を止めたとしても、私がやめることなんて無いだろう。
「おい、ロゼ」
その声にはっとすると、私は空中に……ではなくて、地上にいた。
やはり現実はこうである。空を飛ぶことなんて、ほとんど不可能なのである。
出来ることは、今のように、こうして、ガルト様に抱えてもらって、空を飛ぶことだけ。
ガルト様のようなヴァンパイアでは無い限り、私は、自分の羽や力で空を飛ぶことなんて出来ないのだ。
ガルト様は、私の表情を伺うように、私の目を見つめてきた。
「夢でも見ていたのか」
これはどうやら私は本当に“空中散歩”をしていたのに、眠ってしまっていたようだ。
大変だ、私は、ガルト様のことを怒らせてしまったかもしれない。
私は、うまく働かない思考回路をフル活用して、先程までのことを思い出す。
私が眠ってしまう前、何をしていたのだろうか。
ガルト様に抱え込んでもらって、空へと飛び出して――
ああ、そうだ。私は、ガルト様に「空を飛びたい」と言ったのだった。
待てよ、だとしたら、私はきっと、ガルト様に嫌われたかもしれない。
それは嫌だ。ガルト様に嫌われたりしたら、私の命はないかもしれない。
どうしよう、どうしよう。
「ロゼ」
「はい!」
手汗がひどい。心臓が口から飛び出しそうだ。
ああ、私はきっと、怒られる……
「その夢、叶えてやろう」
「えっ?」
あまりの予想外のできごとに、声が裏返り、間抜けな返事になる。
しかし、今が、空耳でなかったのなら、ガルト様は、私の夢を叶えてくれると言っていたような……?いや、そんなことあるはずはない。
そう心の中で考えながら、ただぼんやりとガルト様を見つめていると彼は大きなため息をついた。
「だから、お前が空を飛べるようにしてやると言っているのだ」
空が飛べるようになる……!?それはまさしく先程、私が願っていたことじゃない!
「本当ですか!」
「ああ、そうだ」
いよいよ、私も空を飛べるのだ……!
期待に胸が躍る。さすがは、私のガルト様。
次の夜、ガルト様は珍しく外に行こうとはしなかった。さらには、私よりもずっと早く起きていた。今までに、1度もこのようなことはなかった。
「おはよう、ロゼ」
「おはようございます、ガルト様。今晩は随分と……早いお目覚めなのですね」
「ああ、そうだな……そんなことより、ロゼ、ちょっとこっちへ来い」
「はい、何でしょう」
私がガルト様の方へと近づくと、彼は、唐突に私の鼻に布をかぶせた。
そうして、そのまま、私に一杯の赤い液体の入ったグラスを渡した。
「これを飲むのだ」
そう言って、ガルト様は私を真剣な目で見つめてくる。
この液は何なのだろう。そう思いながら、ゆっくりとグラスを口元へと近づけ、どろりとしたその赤い液体を口へと流していく。
と、その液体を飲み込んだ次の瞬間、体中に戦慄が走った。
「うっ……! 」
体が痛い、特に背中が痛い。
あまりにもの全身の激痛に、うめき声が口から漏れ出る。
うずくまったまま、動くことが出来ない。
ガルト様はそんな私を上から見下ろすだけで、何も言わない。
ああ、私は、ガルト様に変なものを飲まされて、このまま死んでしまうのだろうか。
この中には毒でも盛られていたのか。
朦朧としていく意識のなかで、そんなことを考える……と。
「そろそろか」
そう言ってガルト様は私の額に手を置くと、突然痛みは治まった。
「……私に何をしたのですか!」
「自分の背中を見てみろ。そうすれば分かる」
「……背中?」
その通りにしてみると、何が起こったのかは、一目で分かった。
私の背中には、大きな黒い羽が生えていた。
悪魔のような、黒い羽。
ガルト様は、私の願いを叶えてくれたことは明白な事実だった。
「ヴァンパイアの血を飲んだものは、ヴァンパイアとなると言われている。これで今日から、ロゼは獣人のヴァンパイアとなるのだ。我のように、血を貪り、共に夜の空を旅するのだ」
今の私にとっては羽を手にする事が出来たのはとても嬉しいことだった。これさえあれば、それでいいのだ。
「私も、空が飛べる……!」
有頂天になって、思わず机の角に足をぶつけた。
もしかして、ガルト様に見られただろうか。そう思い、照れ笑いをしながらガルト様の方を見た。
しかし、ヴァンパイアになって喜んでいた私がガルト様の方を見ると、ガルト様は、とても厳しい目で私の事を見つめていた……
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