第4話 決定事項と脅迫1

 ――翌日。


 瀬奈は自室のベッドで目覚める。仕事の時間で慣れているから、いつもと変わらず時間は6時半。カーテンの隙間から自然光を浴びて目を覚ましたから、目覚めはとても良い。


 パジャマのまま冷蔵庫に向かい、卵とベーコン、サラダ用のレタスとトマトを取り出して、コンロに向かう。IHにフライパンを当てて、加熱して、油を敷いて、ベーコンと卵を落とす。タイミングを見計らって、食パン一枚をトースターにかける。


 サラダ用の野菜を、包丁で切って、皿に盛りつけて、同時にベーコンエッグと焼いたパンを、サラダの乗った大きなプレートに一緒に盛る。


 小さなテーブルに運んで、フォークを用意する。そして、小さく「いただきます」と言って、食パンとベーコンエッグとサラダの朝食を食べた。


 できるだけ早いうちに平らげると、皿を洗って、食器乾燥機に入れると、シャワーに向かう。脱衣部屋で服を脱ぎ、シャワー室に入る。シャワー室のボタンを一度タップすると、白くきめの細かい肌に温かい雫が降り注ぐ。


 胸部と臀部でんぶ蠱惑的こわくてきに張り出て、その裏腹に腹部はモデルのように引き締まっている。雫が柔らかい肌に弾かれる様は、とても麗しい。


 再びボタンをタップして、シャワーを止めて、バスタオルで体を拭く。着替えに用意していたいつものカッターシャツと紺色のスーツを身に纏って、身支度をする。


 昨日の夜のうちに必要物を忍ばせていた小さめの肩掛け鞄を、左肩にかけて、垂直に垂らして、家を出た。


 時間にして七時半過ぎ頃、女性用のスーツを着こなして、自分のアパートメントの扉を閉めて、歩き出した。


 かなり面積のあるこのカリカチュアであるが、結局は人工島、広さは限りがある。それ故に、都市部と同じように横にではなく、縦に延びた建物が多い。それは、オフィス街であるエリアイーストに多く見られる建築様式であるが、彼女を含めた住人のほとんどが住むこのエリアサウスにもよく見られる。


 カリカチュアの中心部にある瀬奈の住む高層アパートを、エレベーターに乗って下降して、自動扉を抜けて、外へと出た。


 そして、少し歩いて、最寄り駅に向かう直通の動く歩道に乗って、駅を目指す。


 瀬奈はいつもと変わらぬ景色に目を見やる。自分と同じように動く歩道に乗る人や住宅街を歩く人はいるものの、自動車の姿は目に映らない。それは、カリカチュアの特にエリアサウスのルールに起因している。


 カリカチュアの中で、インフラの一つである電力というものは、島の地下で生産されていると言われている。水の力でタービンを回し発電する水力、波力発電や、地下に埋め込んだ機械から地熱を引き出して発電する地熱発電など、二酸化炭素を排出しないクリーンな発電システムを使い、島内の電力を賄っているものの、如何いかんせん資源には限りがある。

 その上に、島の特色上、電力の必要性は言うまでもなくて、どこで電力消費をカットするかと、設計段階で悩まされた。そして、結論がこの結果である。


 エリアサウスには巡回バスと島を繋ぐモノレール以外の交通インフラが存在しておらず、信号機など電力を消費しうるものを徹底的に廃された。故に、エリアサウスの街中に車やトラックの姿は見えない。

 まぁ、動く歩道の電力はどうなっているんだ、とも感じるのだが、騒音問題も解決しているから、得はしているだろう。


 動く歩道で、最寄り駅についた瀬奈はいつもとは反対側のホームに向かう。見計らったようにモノレールの車両が駅に着いて、乗り込んだ。

 降りる駅は先日寄った駅と同じ駅。時間にして、20分ほどの列車旅だ。


「エリアサウス、区画45ステーションです。お降りの方は、お急ぎください」


 電子アナウンスの女性の声にそそのかされて、瀬奈は駅を降りる。


 カリカチュアの中でも、都市部から離れているこの付近のエリアは、高級住宅街としても有名な地域である。

 見知った通りを抜けて、見知ったマンションに向かって歩いて、入って、見知った管理人の老婆に挨拶をして、エレベーターで高層へと向かう。


 18階の角部屋に歩いて向かって、一拍、息を整えて、インターホンを鳴らす。


 ピンポーン! …………ッ。


 自宅の中では、ちょうど今、寝間着のジャージから私服に着替えたばかりの青年が、自宅内のインターホンのカメラ画面に目をやった。


「……はい? どちら様ですか?」


 瀬奈の耳には、少し眠気の混じったようなやる気のない、歳の若い男の声が響く。


「あの……日向空さんのお宅で間違いないでしょうか? 担当編集の香月です。要件があるということで、お伺いしたのですが……」


 やる気のない声に、慇懃いんぎんな態度と優しい口調でそう伝える。


「…………あ、あぁ。そうでしたね。今、ロックを開けます」


 相変わらず、代り映えのしない声音の後に、内側から自動ロックが外される音が、カチャリとした。


「……どうぞ。勝手に入ってください」


 そう青年が言うと、インターホンの内と外を繋ぐ回線が切れる音が小さくなる。瀬奈は、おそるおそる言うことに従って、重厚な扉を手前に開き、部屋の中に入った。


 瀬奈は日差しが差し込み、明るくなっている真っ直ぐ伸びた廊下の先の部屋へ向かう。廊下には四つ扉があって、風呂場とトイレと二つの部屋があると予想がついた。


 歩を進めて、扉を開けると、カーペットの上に座るラフな格好の青年が一人いた。


 瀬奈自身、このマンションには管理人と仲良くなるほど、幾度となく訪れているのだが、実際部屋に入ったのはこれが初めてだった。と言うよりも、この部屋の主の自信が担当編集を務める作家本人には、実際に会ったのは片手の指を折って数えられるほどで、基本的には電話やメールのやり取りしかしていない。


 瀬奈も、未だ関係性にへだたりのある、一人暮らしと聞いていた、この作家の青年の部屋に、それ相応に汚いのではないか、と覚悟を決めていたのだが、存外部屋は清潔に――もしかしたら、自分の部屋よりも――されていて、マンションのショールームのようにシックにまとめられており、少し驚く。


 長方形に造られた壁の棚には、分厚いガラスに飾りがついた楯が一つ飾られている。そこには、第7回GK文庫新人賞大賞作品記念品、という文字が描かれている。名前の欄にはアマノソラというペンネームが書かれている。


 一頻ひとしきり、部屋を見渡して、瀬奈の方を少し険しい表情で見つめていた青年に、瀬奈は声を発した。


「……とりあえず、座ってください」


 指で、机を挟んだ青年の真正面を指され、瀬奈は「はい」と答えて、カーペットの上に正座で座った。


「……で、先生、今日私が呼ばれたのは一体なんでしょうか?」


 よそよそしい雰囲気は残るものの瀬奈は真っ向からぶつけるように問いかける。

 すると、先生と呼ばれた青年、日向空は立ち上がって。


「……お茶、飲みます?」


 と、返答した。それなりに覚悟を決めていた瀬奈は拍子抜けして、呆気にとられた。


「……はい、お願いします……」


 そう瀬奈が答えるしかないのは、明白だった。


 現在、キッチンで湯を沸かしているのが、瀬奈の仕事相手であり、人気ライトノベル作家の日向空ひうがそら――ペンネームでは『アマノソラ』を使用――その人である。


 黒い寝癖の抜けていないはねた髪と同じく黒い瞳の典型的な日本人の風体をしていて、中肉中背、身長は175センチくらいの男性である。今も着ているのだけれど、服にこだわりがないようで、ラフなシャツと灰色のパーカー、ジーンズを着用している。年齢は瀬奈よりも年下で、現在19歳の未成年だ。瀬奈が年下に先生と言っているのが少し違和感を覚えるけれど、初めて出会った時からそのままだから仕方がない。


「紅茶でいいですよね?」

「……あぁ、はい。お構いなく」


 空が、淡々と質問すると、少し戸惑いつつ、瀬奈が返す。

 空はティーパックを、手洗い場の下の棚から引っ張り出して、白いティーカップの中に入れて、沸かしたお湯を注ぐ。丁寧にカットした薄いレモンと細長い小袋の砂糖、小さめのスプーンをカップの下に敷いた皿に添えて、提供する。


「……お口に合うかわかりませんが、どうぞ」


 風貌に似つかわしくない紳士のような対応で、瀬奈の前のテーブルの上に並べた。自分の分の紅茶と茶菓子のクッキーをテーブルに出して、机を挟んだ瀬奈の前に座った。

 瀬奈は空に促されて、紅茶を一すすり。口に含んで、胃に流すと、再度切り出した。


「先ほども言いましたが、私への用とは何ですか? そもそも、何度もここに来ていたのに、一度も家に入れてくれなかったのに、急に呼ばれたので結構困惑しているんですから」


 口調を強めて、空に問う。空は紅茶のカップを皿に置いて。


「……そうですね、そろそろ話しましょう」


 と、何とも言い難い表情を浮かべながら言った。その表情が、瀬奈にとって、たまらなく恐ろしいことは言うまでもなかった。


「単刀直入に言ってしまうと、えーっと……水無月さん、でした、っけ……?」

「香月です! 香月! 香るに月で、香月です! 担当編集の名前くらい、覚えておいてください」


 流石に自分の担当である作家に、名前を間違えられるとは思わなかったので、大声で叫んで、訴えた。内心、かなり傷ついていること他ならない。


「……失礼しました。どうも僕は人付き合いが苦手で、名前を覚えるのも得意ではないんです。すみません」


 人気作家の思わぬ弱点に、瀬奈は浮かびそうになっていた涙を必死にこらえて、平静を取り戻す。


「……それで、話を戻しますが、香月さん、あなたにはプロのFCRBプレイヤーになってもらいます。これは、要望じゃなくて、決定事項なのでしからず」

「……えっ……はい?」


 唐突な空の言い草に、ポカーンとなってしまった瀬奈は、意味も分からずそう零す。


「だから、あなたはFCRBのプレイヤーになるんです。もしかして、カリカチュアに住んでいて、FCRBを知らないはずがありませんよね?」


 至極当たり前のことを言っているかのように、真顔の表情で空が言うと、瀬奈は頷く。


「もちろん、知っています。エリアセントラルで行われる、キャラクターを用いたバトルエンターテインメントのことですが、それに出場するとか、どうとか聞こえたのですが、聞き間違いでしょうか?」

「いえ。あなたには、僕と一緒に大会に出て、プレイヤーとして活躍していただきます。異論はありませんね?」


 瀬奈がその大会に出場する前提で話をしていて、全く噛み合っていない。瀬奈は迷惑極まりない話なので、顔を強張こわばらせて返す。


「異論、大ありです! 何を言ってるんですか! 私が出るなんて、考えられない!」


 声を荒らげて、瀬奈は伝える。それも当然という他ないのだけれど。


 ――FCRB、それはカリカチュアに住む者、そして、全世界にも今や知らぬ者はいないほど、世に広まったバトルエンターテインメントの略称だ。正式名称『Fantasy Character Real Battle《ファンタジーキャラクターリアルバトル》』という、カリカチュアが世界に誇るイベントだ。


 キャッチコピーは『夢を現実に』。その名の通り、架空の産物である二次元のキャラクターを現実に登場させて、作中ではありえない戦いを現実で再現するというものである。


 カリカチュアに来ることだけでも、かなりファンにとっては楽しいものであるが、その中でもFCRBは中核的な役割を担っている。


 ほぼ毎週、土曜、日曜で開催されるそのイベントには、毎回凄まじい数の集客を誇り、一度開催するだけで爆発的な利益を生み出しているため、カリカチュアの 経済を支えていると言っても過言ではない。


 そのイベントのプレイヤーになれと言う暴論を吐くこの作家に、瀬奈は溜息をついて言う。


「……そもそも、私はただの一編集者に過ぎないですし、出る意味がありません。どうして、私が出なくてはいけないんですか?」


 全くの正論に、空は口をつぐんだが、すぐに立ち直って不気味な笑みを浮かべた。


「……本当に断わっていいんですか?」

「はい?」


 空の含んだような笑みに瀬奈は少したじろいで、一言そう返答すると、空は口調をそのままに言った。


「あなたが断わるというなら、僕はGK文庫で、二度と作品を書きません。他の出版社からもお誘いが来ているんです。本気ですから」

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