05 魔王の剣
湖に繋がっている廊下の前には人がいるようだ。
リヒトは
夜の静寂の中、靴音がやけに大きく響き渡る。
暗い倉庫に入ってからリヒトは後悔した。
スサノオに教わった大聖堂の見取り図では、ここは行き止まりだ。どうやら緊張から、逃げ込む場所を間違ってしまったらしい。
突き当たりは壁になっていた。
壁には深い青のタペストリーが掛かっている。タペストリーには、白い刺繍が施されていたが、辺りが暗いのと布が古びている両方の理由から、模様がはっきり見えない。わずかに見えた模様は、翼をかたどっているようだった。
立ち止まっていたリヒトだったが、人の気配を感じて、慌てて手近な木箱の陰に隠れる。木箱には埃を被った刀剣や槍がまとめて放り込まれていた。ここは例の武器保管庫らしい。
カツンカツンと靴音が聞こえる。
追手が来ませんように、という祈りも虚しく、人の気配は真っ直ぐこちらに向かって来ていた。リヒト達が隠れている場所の近くで、足音が止まる。
「……そこの白いの、出てきな」
低い男の声がした。
白いの……?
ハッとしてリヒトは羊のメリーさんを見る。モコモコの羊毛が、ふんわり箱の陰から飛び出していた。
頭隠して尻隠さずとは、このことだ。
「メリーさん……」
「メエー(だって狭いんだもの)」
大事なメリーさんを危険にさらす訳にはいかない。
リヒトは覚悟を決めると、箱の陰から出た。
「お前は……ナイフを買ってた坊主?!」
「貴方は……値切りを勧めてきた怪しいお兄さん?!」
男と対面したリヒトは驚いた。
彼はジラフに来る前に街の武器屋で遭遇した、自称、女と子供に優しい正義の味方だった。出会った時は汚れた旅姿だったが、今の彼は白っぽい騎士風の制服を着込んで、腰に聖剣をさげている。
リヒトはソラリアの言っていた言葉を思い出していた。
「たしか、守銭奴の勇者ルークさん」
「誰だそんな恥ずかしい二つ名を坊主に教えた奴は?! 俺は光の勇者ルークだ!」
「自分で言ってて恥ずかしくありませんか」
「くっ」
歯噛みするルークに、淡々と突っ込みを入れるリヒト。
「知り合い?」
後ろからアニスがひょっこり顔を出す。
「駄目だ、アニス!」
「お……坊主が脱走を手引きしたのか」
制止は間に合わなかった。
アニスを見たルークは事情は分かったと言わんばかりに、目を細める。
「坊主。悪いことは言わねえから、そいつを置いて去れ。その娘は、天魔を暴走させる恐れがある」
「嫌です。ルークさんだって、勇者なら天魔の能力者でしょう。何故こんな非道なことを許してるんですか」
背中にアニスを庇いながら、リヒトは聞き返した。
女と子供に優しい正義の味方だと、彼はそう言っていたはずだ。
「同じ能力者だから、だよ。天魔には暴走しやすい奴がいる。その娘に宿ったのは血を欲する悪魔だ。可哀想だが、見逃す訳にはいかない」
ルークは言いながら、聖剣の柄に手を掛ける。
リヒトも腰のナイフに手を伸ばした。
武器庫の中に緊張が走る。
見たところ、ルークは武器の扱いに長けた熟練の勇者のようだった。威圧感にリヒトはじわりを汗をかく。初対面の時も、知らない間に背後を取られていたのだ。
「最初に会った時も思ったが、結構やるな、坊主。だが――」
「っつ!」
流れるように踏み込んできたルークが聖剣を抜く。
無音の抜刀。
彼の踊るような足さばきにつられ、間合いを取り損なって、リヒトはナイフを構えるのが遅れた。
キン、と金属がぶつかる音が響く。
聖剣の斬撃は重く、天魔の力を使っていても、受け止めるので精一杯だった。ルークは行儀悪く、剣を叩きつけながら蹴りを放ってくる。リヒトはナイフを手放すと、腕で彼の膝蹴りを受け止めた。
「ぐっ……」
「リヒト!」
受け身を取ったが、横に吹き飛ばされる。
戦闘を見ていたアニスが悲鳴を上げた。
木箱に倒れこんだリヒトは、体勢を立て直そうと膝に力を入れて立ち上がった。
その眼前に聖剣が突きつけられる。
「降参しろ、坊主」
ルークは抜き身の剣を持ったまま迫る。
剣の切っ先を見つめながら、リヒトは活路を探して口を開いた。
「……貴方は女性と子供に優しい、正義の味方じゃないんですか」
「これが正義だよ、坊主。その娘は外に出せば、血を求めて多くの人を殺すかもしれない。ここにいる方が、その娘のためになるんだ」
「暴走しない可能性もある」
「可能性はな。だが、少しでも危険があるなら駄目だ。人々は天魔を怖がる。危険を野放しにして事件が起きたら、教会の信用が地に墜ちる。そうなれば結果的に、天魔の能力者が悪者になっちまう」
彼は淀みない口調でリヒトの反論を封じる。
ルークの言っていることは正しいようにも聞こえる。問題の当事者が、幼馴染みの少女でなければ。
リヒトは顔を上げて彼を睨む。
「……冗談じゃない。そんな大人の建前は聞きたくありません」
「何だと?」
「貴方の言っていることは全部、できない事の言い訳に過ぎない。危険を無くすこともできず、他の人を説得することもできない。何が本当の幸せか分かっている癖に、そこに辿り着く道が遠く険しいから、諦めてるんだ。諦めて、皆がそうしてるからこれが正しいと言って、考えることを放棄してる。本当にアニスが可哀想だと思うなら、今、その手を差しのべろよ!」
「……!」
気圧されたように、ルークのかかげる聖剣の切っ先が揺れる。
リヒトは真っ直ぐ目を逸らさずに彼を見た。
「彼女をこんな暗い牢屋に放り込んで、一人にして、それが正義の味方のやることか? 本当に彼女の立場に立って最善を考えてくれた?」
「坊主、俺も手を尽くしたさ。けど、世の中にはしがらみってものがあって、人の価値観は変えようがないんだよ。この糞みたいな世界には、変えられないものが沢山あるんだ」
「しがらみ? 価値観? それがどうしたと言うんですか。貴方が言う通り、変えられないものがあるのだとしても、僕は諦めない。そんなものは、片っ端から断ち切ってやる!」
武器庫の中にリヒトの宣言がこだまする。
その途端、壁に掛かっていたタペストリーが燃え上がるような光を放った。朽ちた布に描かれていた、二枚の翼をかたどる紋章が浮かび上がる。その中心から、鞘に入った剣が現れた。
剣は流星のようにリヒトの前に飛んでくる。
驚愕して隙ができたルークの剣を払いのけながら、リヒトは飛んできた剣を掴み、鞘から引き抜いた。
「この
少年のかかげる剣は、北の空の中心に座する星のように光輝いた。
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