02 災厄の少女

 同じ村に住む少女アニスは、幼い頃に母親を亡くして父親と二人で小さな家に住んでいる。

 父娘の仲が良くないのは有名で、だらしのない父親は妻を亡くしてからは酒に入り浸り、娘に暴力をふるっていた。リヒトは彼女の腕や腹に暴力の跡を見たことがある。

 もしアニスが大人しく繊細な少女なら、話はここで終わりだったろう。

 しかし彼女は結構過激な少女だった。


「アニス、思い留まれ! 剣を村長さんに返してこよう!」

「うるさいわよ、レイル! そこをどきなさい!」


 羊を畜舎に帰してから歩いてきたリヒトは、村はずれの一角に立ち込める剣呑な気配に眉をひそめた。

 見ると、同じ羊飼いの少年レイルが長剣を持った少女の前に立って説得している。

 剣を持った少女は癖のある紅茶色の髪をふり乱し、葡萄色の瞳に激しい怒りを込めて少年をにらみつけていた。


「今こそ積年の恨みを果らして、あのクソ親父を地獄に叩きこんでくれるわ!」

「ひえぇ……」


 少女の勢いに押されてレイルが一歩下がる。

 情けない姿だが止めに入っただけ大人達よりマシだ。リヒトは密かに友人に感心していた。


「大丈夫、レイル?」

「あ、リヒト!」


 声を掛けると二人はリヒトに気付く。

 レイル少年は少女の前から退却すると一目散にリヒトの背後に逃げ込んだ。


「よし、アニス! あとはリヒトがお前の積年の恨みを聞いてくれるそうだ!」

「途中まで恰好良かったのになー、レイル……」


 バトンタッチされたリヒトは半眼になる。

 アニスは自分の身の丈の半分以上ある剣を持って、リヒトに向き直った。ずっと岩に固定されていた割には錆びておらず、刀身は鈍く光っている。

 いかにリヒトが図太い神経を持っていても、目の前で刃物を構えられていると常にない緊張を感じた。


「……リヒト。あんたも私を止めに来たの?」

「いいや」

「リヒト?!」


 後ろでレイルが驚きの声を上げる。

 黙っていてくれ、情けない友よ。


「僕は見物に来ただけだよ。娘が父親を切り殺す現場なんて、そうそう見られるものじゃない。どうぞ好きにやってくれ」

「ふ、ふふふ。さすがリヒト! 話が分かるじゃない!」


 剣を持ったアニスは高らかに笑った。

 一気に機嫌が良くなった彼女に、リヒトは続けて言う。


「だけどアニス、殺した後の証拠隠滅はどうするつもりだい? このままだと君が殺人犯だって皆にばれる。衛視に捕まって魔女裁判を受ける君なんて見たくないよ」

「それは……」

「僕は君が心配だ、アニス。たとえ今が父親に復讐する絶好のチャンスだとしても、父親と同時に君まで将来を閉ざされるのは不公平だ。君の父親は君が将来を棒に振ってまで殺すような男じゃない」


 淡々と言葉をつむぐリヒト。

 口では好きにどうぞ、とは言ったが、できるなら彼女に殺人を犯して欲しくはなかった。平和な農村が血みどろに染まるなんて、平穏を愛するリヒトには耐えられない事態だ。絶対に避けたい。

 ここはアニスに思い留まってほしいところだが。


「ふふっ、リヒト、心配してくれてありがとう。でも大丈夫よ。目撃者を全部消せば、問題なくなるでしょう」

「え?」


 思わぬ返答に、リヒトはまばたきした。

 おかしい。

 剣を手にしたアニスの瞳に宿る狂気の色に気付いて、リヒトは警戒を強めた。

 確かに不安定なところのある少女だったが、ここまで極端なことを言い出すような性格ではなかったはずなのに。


「私を助けてくれなかった大人は、ぜんぶ全部、殺してあげる! あ、リヒトとレイルは別ね、私と話をしてくれたもの。でも他の子供は殺すわ。見てみぬ振りをした全員、殺し尽くす!」


 夕焼けの光を反射して剣が不気味に光る。

 堂々とした殺人宣言を受けて、さすがのリヒトも動揺を隠しきれずに声が震えた。


「そ、そんな剣があったって、皆殺しなんてできるものじゃないだろ。いったいどうやって」


 言いながらリヒトは、疑問に思った。

 アニスは村娘として平均的な、どちらかといえば痩せた体型で、筋力も並である。そんな彼女が長剣を片手で持っているのは異常ではないだろうか。


「私、やっと気付いたの。ずっとクソ親父に良いようにされるしかなかった。けど、私の中に力を貸してくれるモノがいたんだって」

「何を言って……」

「さあ、私の魂に眠る天魔よ! 顕現せよ! 我が復讐のためにその力を振るうがいい!」


 少女の周囲に異様な気配がたちこめる。

 剣をかかげる少女の瞳が深紅に染まった。

 遠巻きに様子を見ていた人々が声を上げる。


「天魔だ! あの子は天魔の力を暴走させてしまったんだ! 教会に連絡を、はやく……!」


 伝説によれば、かつてこの世界には、魔王の一派と神に仕える天使の戦いがあった。壮絶な戦いの末に相討ちになったとされる彼らだが、現在の人間達の間にその転生者が生まれることがある。

 数百年の時を経て人間の間に生まれる転生者は、必ず前世の記憶を持っている訳ではない。ただ、ふとしたはずみに覚醒することがある。

 特殊な能力を持つ転生者を、人は「天魔の能力者」と呼んで畏怖していた。


「お黙りなさい」


 アニスが長剣を軽々と振るう。

 剣から衝撃派が放たれて、走ろうとした村人をまとめて薙ぎ倒した。


「逃がさない! 誰ひとりとして逃がしはしない! 禁忌薔薇庭園シークレットガーデン!」


 少女の影から赤い光が生まれ、植物の茎のように伸びて、地を這って行く。それは薔薇のように刺を持ちながら、花弁のように優雅に広がった。

 あっという間に周辺の地面一帯が赤い光の線で埋め尽くされる。

 リヒトとレイル以外の村人達は、苦痛の声を上げて地面に倒れこんだ。


「いったい……?!」

「私の力のかてとなってもらったのよ。一石二鳥じゃない?」


 アニスは楽しくて仕方がないといったように口の端を吊り上げて笑う。


「我が天魔は、禁忌の園の主にして魔の上級たる薔薇吸血姫ロゼリウム! さあ、人間達よ、私の恨みを思い知るがいい!」


 伝説では、ロゼリウムは魔王に仕えた吸血鬼の姫である。人間たちを捕らえて血をすすり、流血のバスタブを作ったという恐怖の逸話が伝わっている。

 夕暮れに沈む農村に、少女の宣言は終末を告げる鐘の音のごとく響き渡った。



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