親喰らい

夢渡

養い子

 時計の針が五月蠅い。部屋を明るく照らす照明が寝不足の体に暗く重い影を落とす。浮いた金で買った趣味の音楽機器たちは、骨董品として塵を被っていた。

 住んで間もないはずの一室には清潔さの一辺も無く、扉を開けた先に広がるは腐海の森。我が家を照らす陽の花はちょっとした切っ掛けで枯れ果てて、種すら残さず飛び去って久しい。

 順風満帆だった私の家には──もはや私と子供達しか残っていない。





「やっぱり続き、書きませんか?」


 そう言われたのは何度目だろうか。私は気の無い返事を返しては、あてがわれた椅子に重くなった体を預けた。今日こそは私が頭を縦に振るまであの扉が開く事はないだろう。

 数年前とは身なりも貫禄も飛躍した私は、今新作の打合せとして簡素な部屋に押し込められていた。


 作品の投稿が遅れている訳ではない。事実、担当が手にしている原稿は私が四作目として書き終えた作品で、新作の打ち合わせとして机の上に寝そべっている。

 今回の作品も前作同様。手ごたえを感じた仕上がりにはなっているし、出版する側としても喜んで貰える作品のはずだ。


 だからこそ、愛想笑いの続きが分かる。彼は私──企業は私にデビュー作の続きを書いて欲しいのだ。文字通り人生を変えた私の子。魔法の羽で空を飛び、幸せを運ぶ青い鳥。

 そんな子供の成長を共に見て来た担当が駆り出されたのだ。断る術など残ってはおらず、苦渋の決断と引き換えにして息苦しい部屋を後にした。


 暖かい光をため込んで、最愛の家族が出迎えてくれる。よき理解者でもある妻子への対応もぞんざいに、そぞろなまま書斎の錠を下すと倒れる様にして腰を下ろす。


「続きなんてもの、あるわけないだろうッ!」


 そう、あるわけがない。あの作品はもう何年も前に

 私に脚光を浴びせたあの子は、数多くのファンに看取られ眠りにつくはずだった。


 好評の渦中にて彼らの何割かは続きを望んだ。喜ばしい事だ、作者冥利に尽きる。それだけ読者にとって作品が大きなものだったのだから。業界では駆け出しだった私も我が子の盛り上がりに浮かされて、言われるがまま、絆されるがままに物語を掘り下げ書き続けた。

 アニメ・ゲーム・実写化、グッズにコラボに増える二次創作。爆発的に増える顧客は比例して私の人生をも一変させる。

 衣食住はがらりと変わり、趣味につぎ込める金額の桁があがる。取材と称した海外旅行は妻と娘の良き思い出となってアルバムの枠を埋めていった。


 よくある話だ。悪いことなど何もなく、非の打ちどころなどあるわけが無い。顧客のニーズに応えた作品を世に放ち、喜びの声は形となって私の生活を潤すのだ。プロとして、一体どこに過ちなどあろうものか。


 何時ものように打ち合わせを終えて、暖かな家族に囲まれ意気揚々と書斎の椅子へ腰かける。登場人物の一人に焦点をあてて、本編では語られなかった物語。ifの話を次へと繋げ、新たな主人公が物語の後を継ぐ。

 掘り下げようと思えば過去さえも、書く事など幾らでも創り出せる。終わる事の無い物語、何処までも続く彼らの人生。書けないなどと言う絵空事は犬にでも食わせ手を休める事なく紡いでゆく。それがプロというものだ。


 ──ある日ふと、筆が止まる。連日続く作業からの疲れか、関節で不気味な音楽を奏でながら席を立つ。熱にうなされるまま書き続ける姿は妻にも心配されていた、進捗も悪くはないのでこれを機に家族旅行にでも出かけようかと珈琲を注ぐ。

 外の景色に視界を歪ませ、真新しいベランダの手すりに肘をつく。肺一杯に吸い込んだ外の空気は焙煎された湯気と共に季節の変わり目を告げていた。

 久しぶりに肌で感じた時間の流れは自分だけが時間を飛び越えた様な感覚を与え、冷静さを取り戻した私は季節風に背筋を震わせ、熱を求める様に部屋の中へと逃げ込んだ──そこへ向かわねば、自覚せねばならなかったから。


 部屋の扉を開く、椅子に座りひじ掛けを軸に椅子を回す。広いデスクの上に置かれた液晶には電源が入ったまま鋭い光が目を刺して──表示された私の原稿には、季節外れの雪景色が広がっていた。


 私の原稿、私の物語、私の作品。確かに書いたはずなのに、目の前のそれを私のものだと認識できない。画面を埋め尽くす文字の羅列は確かな彩を見せているのにも関わらず。著者の思考をすり抜けて、ただ広がるは無地の世界。

 そこにはもう、幸運の青い鳥であった面影は残ってなどいなかった。





 壊した時計の悲鳴が五月蠅い。最後に交換したのが何時だったのか忘れた照明はちかちかと音をたてて嘲笑う。デスクの上に鎮座する液晶には原稿など写っておらず、タイムラインで流れる作品への批評だけが今の私に生を実感させる。

 そう、私は気付いてしまったのだ。あれが最早私の作品で無い事に……巣立った鳥である事に。


 どのような作品であれ作者は必ず作品に終わりを決める。終端を決めて完成とする。作中の世界がどれほど広大であろうと、エンディングを迎えた登場人物達にどれ程長い人生があろうとも作者には関係ない。

 書き直す事は出来るだろう、付け足す事も幾らだって出来るだろう。だが作者は必ず作品を最高な形に向けて完成させる。

 だからこそ、創作者は一度完成とした作品に再び手を付けてはならない。


 世に飛び立った雛鳥は万人の下で羽化をする。作中で語られなかった、描かれなかった全ての余白は、観客が描くためのキャンパスだ。思い思いの彩を重ね、極彩色の翼を広げて高く高く空を飛ぶ。

 優雅な姿に首輪をはめて古巣の檻に戻したところで、雛鳥だった面影など何処にもない。私が彩る余白など残ってはいない。触れれば色あせてしまうから……


 プロとして、仕事として私の行いは間違っていない。望まれるだけの結果を上げて、喜ばれるだけの実績も残した。

 しかし私は創作者として失敗した。本来無かった余白を付け足し、彩を加えた景色はくすんだ色へと置き換わり。輝いていたキャスト達は総じて化け物へと姿を変えた。

 見ようによってはそれは一つの作品だろう。だが縫い目は瞬く間に綻びとなって見る者にとっては醜悪な姿を曝け出す。


 画面の向こう側ではまだかまだかと待ち望む彼らの反面、気付いた者・見るに堪えなくなった者が私の過ちを責め立てる。大事に大事に育てた我が子は変わり果てた姿になっても、古巣に戻された事を咎める事無く私の行為を受け止める。


「今まで有り難う、もう養わなくても良いのだよ。私はもう、お前の親では無いのだから」


 最後の贅沢で購入した丈夫で立派な縄を握る。あの子の首輪は私ではもう外す事が出来ないが、何れその大きく育った立派な翼で古巣の檻を開けるだろう。

 もしも最後に叶うならば、血肉となって共に飛べれば素晴らしい。


 自責となった体の重さは啄まれて形を無くす。

 耳障りな時計の音は──もうなにも聞こえない。


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