今できる最善を(4/7)

 狭い取調室にいた海人は、慌ただしい警官の動きに口角を上げた。規則正しい呼吸音と隣の部屋から聞こえる話し声がやけに耳につく。


「良亮、だっけ。起動システムにログイン出来たの?」

「だったらなんだ」

「……起爆時間は『二〇時二〇分』」

「は?」

「システムが起動する時間だよ。その時間までにプログラムを止められたら、そっちの勝ちだ」


 どうでもいい物事であるかのように語られたのは、テロが起きる予定時間。それは、今良亮達サイバーテロ対策チームが必死に解読を試みているプログラムが起動する時間でもある。思わぬ収穫に、取調べを担当していた警官が立ち上がる。


 海人は警官の顔を見上げ、クスリと笑った。取調べ中の容疑者とは思えない表情を見せる海人。その目は堂々と警官を睨みつけ、下から見上げているというのに、相手を見下しているかのような威圧感を放つ。


 物怖じしていないのは間違いない。複数の警官に入れ替り立ち替り問い詰められても口を閉ざし、気が向いた時だけ口を開いて言葉を音に乗せる。少しでも恐怖心があれば、このような態度をとれるはずがない。


「起動システムとやらを止められなかったらどうなるんだ?」

「どうなるって……動画の通りだよ」

「動画?」

「ウイルスがばらまかれる。少なくとも会場にいる関係者は感染するだろうね。観戦に来た客も感染、なんつって」

「ふざけるな! 詳しく――」

「教えるわけないじゃん。止められたら教えてあげるよ、ウイルスの答え。絶対にわからないと思うけど。聞いた話じゃまだ誤解してるみたいだし」


 海人がわざとらしく声を上げて笑う。その笑い声が警官をより苛立たせた。警官の手が海人に向かって伸び、その胸元を掴もうとする。しかし既のところでその手が引っ込められる。


 行き場を失った指先が虚しく空を引っ掻いた。拳を握るも、その拳が海人に振るわれることはない。深呼吸で怒りを沈め、どうにか理性を保つ。


「柴崎海人、システムエンジニア、二十五歳。幼い頃は児童養護施設で親と離れ離れの生活を送る。その後、親に引き取られるも現在は別居」

「へぇ、そこまで調べたんだ」

「お前のいた施設には、恵比寿和泉もいたようだな。で、動機はなんだ?」

「その程度の情報で言うと思ってんの? ……まだ言わない。良亮達が俺達を止めてくれたら、助けてくれたら! 全て話すよ」


 警官に過去について述べられるもあまり動じない海人。それどころか、調べた情報では物足りないらしく、がっかりした表情まで見せている。わざとらしく肩を落とすと、手錠のついた手首で顔を隠した。


 手錠越しに顔を覗かせ、ニヤリと笑う。その両手は、神に祈りを捧げるかのように組まれている。笑みの下に隠された本心には誰も気付かない。




 必要最低限のものが並ぶ取調べ室。小さな窓から差し込む光は限られており、次第に正常な時間感覚が失われていく。取調室の小さな椅子では物足りない体を持つ男性が、困ったように視線を壁に向けた。


「恵比寿和泉。旧名は武藤裕司。養子縁組の時に改名までしたのか。養子になるまでは、柴崎と同じ児童養護施設にいたようだな。現在はオリンピック・パラリンピック運営委員会として働いている。間違いないな?」

「うん、合ってる。武藤の姓は無かったことにしてほしかったけどね。あんまり良い思い出がないんだ」

「関係者サイトのアカウントが乗っ取られたのは意図的か? それとも偶然か?」


 こちらの取調室で聴取されているのは、恵比寿和泉としてオリンピックの運営に携わっていた裕司。海人と同様に警官の口から過去について告げられるも、裕司は驚かなかった。姿勢を正すとその口を開く。


「元々教えてたんだよ、乗っ取られたんじゃない。で、カモフラージュのためにマルウェアとかいうのを入れたの。乗っ取ったのは別の関係者のパソコンだし。……あっ」

「他のパソコンにもハッキングを仕掛けていたのか。誰のパソコンだ?」

「わかんないよ、ハッキングしたのは僕じゃないもん。サイバーテロ対策チームの誰かだと思うけど。たぶんサイバーテロ対策チームの二人、じゃないかな」

「お前は共犯者だろう?」

「パソコンは全然だから海人達に任せてたの! 恵比寿和泉としてログインするのだって、海人達がいなかったら大変だったんだから」


 海人とは違い、警官が尋ねたことには知らないことであれなにかしら言葉を返す裕司。答える際には情報を隠そうとせず、些細な失言から犯人グループのことを知ることが出来る。当の本人は失言に気付く様子すら無いが。


「海人達、ということは他にもパソコンに長けた奴がいたんだな? 柴崎の他に何人いたんだ?」

「えーと……な、何人だろうね?」

「柴崎とあと一人といったところか」

「なんでわかるの!」

「……柴崎達がお前に詳細を伝えなかった理由がよくわかる。ここまで馬鹿正直じゃ、伝えるだけリスキーだもんな」


 警官に指摘されてようやく失態に気付いたらしい。必死に誤魔化そうとするもわざとらしさが目立つ。口では誤魔化せても顔や発言から嘘を見抜くことは容易だ。


 裕司と海人の接点は幼少期に過ごした児童養護施設だけのようだ。施設を出た後にはそれといった接点がない。何故彼らがこのタイミングで再び交流を持ち犯行を実行したのかは、依然としてわからないままだ。


「一体何を隠しているんだ?」


 何かを隠していることは明白なのに、肝心の隠している内容は見えてこない。取り調べを担う警官達は揃いも揃って首を傾げることしか出来ない。解決の糸口が見えないまま、時間だけが淡々と過ぎていく。

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