限られた時間の中で(4/5)

 良亮と別れた後、晃一は自室にてパソコンと向き合っていた。液晶画面には見慣れた黒地のウインドウが表示されており、晃一の指の動きに合わせて白いアルファベットや記号が刻まれていく。彼が何を企んでいるのかは彼にしかわからない。


 プログラムを構築しては消し、書き直し、そしてまた消す。同じ動作を何度繰り返しただろう。少しずつではある、黒地のウインドウの中では一つのプログラムが構築されつつあった。まだ完成形と呼ぶには程遠い代物だが、プログラムが形になっていく様子に晃一の口角が自然と上がる。


「今から許可を取ってたら間に合わない。こうでもしなきゃ、犯人を辿ることが出来ねぇ。理想は当日、あっちが痕跡を消す前にこっちが見つけること。一秒たりとも遅れればアウトだ」


 頭で思い描いていたプログラムが目の前で形となり始めているからだろうか。パソコンに向かって楽しそうに話しかける晃一の姿は、不気味の一言に尽きる。時折見せる笑顔は、悪戯を仕掛けた子供のように眩しい。


 リズミカルにキーボードを叩く指。その動きは時折止まり、額を強く押さえつける。書いて、消して書き直して、何度も書き直しては悩む。プログラムの構築にやけに時間がかかっているのは、今回構築しているプログラムが特殊なものだからであった。


 前例はほとんどない。数少ない類似したプログラムを参考に、晃一なりの書き方でプログラムを紡いでいく。作業に集中しているせいか、過度のストレスのせいか、睡魔は全く感じない。パソコンと並ぶように置いてあるブラックコーヒーの香りが鼻を刺激する。


 嬉々とした表情でキーボードを操作していると、スマートフォンが軽快な着信音を奏でた。目だけで発信者を確認するとすぐに作業を中断して着信に応じる。口が乾かないようにと義務的にブラックコーヒーを飲み干した。


「こんな時間にどうした?」

『やっぱり寝てなかったっスね。眠れなくてもいいんで、ベッドで横になるっス。晃一さんにまた倒れられたら困るっスよ』

「それだけのためにわざわざ電話してきたのか、良亮?」


 晃一に電話をかけてきたのは、先程まで一緒に食事を取っていた良亮だった。出会った当初こそ仕事に対する不真面目な態度や生意気な言動が目立ったが、今では当時を感じさせないほどにしっかりと職務を全うしている。


 だからこそ、わざわざ晃一に電話をかける理由が気になった。一度過労で倒れたとはいえ、晃一に対する心配だけで電話をかけてくるとは思えない。晃一が意図を問うた直後の沈黙が、何よりの答えだ。


 スピーカーに耳を近付けても良亮の声は聞こえなかった。代わりに荒い息遣いが聞こえる。時折呼吸に混じるように笛のように甲高い音が響いた。良亮に喘息の類の持病があるとは聞いていない。ストレス下で起きる一つの症状が晃一の頭に過ぎる。


「良亮! 落ち着け! 深呼吸だ! ゆっくり息をしろ!」

『……すんま、せん。……俺、今……メール、届きまして……』

「いいからまずは呼吸整えろ! 落ち着くんだ!」

『晃一さん……犯人、オリンピックじゃ、ないっスよ。目的、別に……ある、はずっス』

「わかったから落ち着け。俺も明日に備えるから。向こうがその気ならこっちにも考えがある。だから、安心しろ」

『俺にも、考え、あるっスよ。今、なんとか……プログラムの、基盤だけ、固めて……』


 良亮の症状は過呼吸だった。苦しいはずなのに、必死に晃一に何かを伝えようとしている。もっとも、荒い呼吸と甲高い呼吸音のせいで伝えたいことのほとんどが伝わっていないのだが。


 少しの間、息を吸って吐くだけの音が聞こえた。息を吸うとゆっくりと時間をかけて吐き出す。少しずつ甲高い呼吸音が減り、荒い息遣いではなくなっていく。症状が落ち着くのを待ってから改めて、晃一が話を切り出した。


「で、何が起きたんだ?」

『犯人からメールが来てたんスよ。で、読んで気付いたんです』

「何にだ?」

『犯行の狙い。オリンピックじゃないと思うっス。オリンピックは注目を集めるために利用してるだけっスよ。多分これ、逮捕を望んでるっス』


 ようやく聞き取れるようになった良亮の声は、晃一の体にやけに重く響いた。聞いたばかりの言葉を反芻し、目の前に表示されているウインドウを眺める。何度も書き直してようやく形になり始めた書きかけのプログラムは、ある目的のために作られたものだ。


「……良亮。明日、当日の流れを全員で確認するよな?」

『そうっスね。当日もサイバー攻撃受けるかもだし、開会式みたいになったら困るんで』

「明日、朝早めに来るか遅くまで残るか出来るか? お前に見せたいものがある」

『奇遇っスね。俺もっスよ。じゃあ、明日の……朝七時に新国立競技場モニタールーム、なんてどうっスか?』

「了解だ。急で悪いな。数時間でもいいから、ちゃんと休めよ? 俺も休むからな」


 書きかけのプログラムをテキストファイルに書き写し、その文字列を保存する。保存名には翌日の日付と「良亮に見せる」という言葉を入れた。パソコンを速やかにシャットダウンし、明日持ち歩くであろう鞄の中にしまい込む。


 一連の動作を終えると晃一は安堵のため息を吐いた。机上に置いていたカップに手を伸ばして口元へ寄せる。しかし、いくらカップを傾けてもブラックコーヒーの味はしない。すでに飲み干していたことを忘れていた。


「頭が回ってねぇな、俺。眠れなくてもいい。体だけでも休ませるか。ここで倒れるわけにはいかねぇもんな」


 プログラムに集中するあまり他のことに頭が回らない。通話を終えたスマートフォンが午前零時までそんなに時間が無いことを示している。大きく伸びをした晃一は、良亮に言われたように体だけでも休めることを決めた。


 閉会式まであと約一日。事態がどう動くのかは誰にも予想できない。

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