限られた時間の中で(2/5)

 打ち合わせはなかなか進まなかった。犯人に対する警戒心の差、得られた情報の差が対策を講じる上で邪魔となる。さらに、閉会式の段取りを再確認しながら対策を話し合うことになり、非常に効率の悪い会議となっているのだ。


 閉会式の流れを一通り確認し終える頃には、部屋の時計が十六時を示していた。約六時間、昼食も取らずに行われた打ち合わせで決まったのは、閉会式の各プログラムにおける演出の変更と撮影手段だけ。当然、このまま閉会式に挑むわけにはいかない。


「ねえ、晃一さん。このままじゃヤバイッス。どうするんスか?」

「とりあえず会議が終わるまでは頑張れ。終わり次第、俺が上に話をつける。サイバー攻撃は甘く見ていたら痛い目に遭うからな」


 長引く会議に精神的な疲労が溜まり、ついつい隣にいる晃一に声をかけてしまう良亮。このまま打ち合わせに参加したところでサイバー攻撃の対策までは出来ない。早々にみきりをつけた二人は、適度に相槌を打ちながら会議が終わるのを待つことしか出来ない。


 晃一と良亮の専門はパソコンの知識と技術である。演出における機材の扱いや出演者の繋ぎ、閉会式の流れなどとは無縁のサイバーテロ対策チーム。「閉会式に伴うテロ対策」という名目で召集されたのはいいが、二人の存在はこの会議室では若干浮いていた。


「……五十嵐、京橋。犯人は爆発を起こすつもりなのか?」

「へ? そんなの、犯人にしかわからないっスよ。でも、天然痘ウイルスをばらまくこと、爆発を起こすこと。この二つは警戒して損はないっス」

「京橋さんと同じ意見です。犯人がどのように爆発物を仕掛けるかにもよりますが、爆発物処理班や探知犬の導入を考えています」


 急に話を振られ、良亮の口から奇声が飛び出した。慌てて咳払いで誤魔化して言葉を紡げば、晃一がフォローに回る。コソコソ話しているのが見つかったのかと身構えるも、ただ疑問に感じたことを聞きたかっただけらしい。


 天然痘ウイルスと爆発については、あくまで犯人が送り付けてきた動画やこれまでの行動から連想される内容である。それを本当に実行するかは誰にもわからない。だからこそ、事前の話し合いが大切になってくるわけだが。


「なんとしても五輪旗の引継ぎと聖火の消灯で失敗するわけにはいかない。閉会式でウイルスがばらまかれたなんてことになれば、日本は世界中から非難されるだろう」

「閉会式と並行して不審物を探すようにしてはどうでしょう? 怪しまれるかもしれませんが、事が起こるよりは……」

「そもそも東京スタジアムの爆発で、良くも悪くも注目を浴びているんだ。これ以上恥をかくわけにはいかん。不審物を探してると知られれば、それこそ何を言われるか……」


 会議室では、関係者は大きく二つに分かれていた。実際の犯行を阻止するために、第三者に疑われてでも不審物を捜索しようとする者。悪評を防ぐためにも当日は何事もないように振る舞いつつ犯行の阻止を試みようとする者。犯行を阻止したいという気持ちは同じだが、両者では事前準備の内容が大きく変わってくる。


 八月二日に起きた東京スタジアムでの爆発事件は世界中で大きく報道されていた。安全を売りにしてきた日本で起きた失態に、世界中から様々な声が寄せられたのは言うまでもない。次に事件が起きれば、日本という国の評判は大きく下がるだろう。最悪のタイミングで起きた事件に、関係者達は揃いも揃って頭を抱えていた。




 結局、打ち合わせという名の会議が終わったのは二十時のことだった。日が沈むのが遅いとされる八月ではあるが、この時間になると流石に空も暗くなってくる。ぽつりぽつりと灯り出した街頭に、良亮がわざとらしく大きなため息を吐いた。


 良亮と晃一がいるのは、新国立競技場から出てすぐの広場。会議室では食事もせずに話し合いが行われており、耐え難い空腹が二人を襲う。夜空の下で情けない音を立てるお腹に、顔を見合わせて笑わざるを得ない。


「今からでも入れるお店ってありますかね?」

「探せばあるんじゃないか? せっかくだし、原宿の方まで行って、ご飯でも食うか?」

「いいっスね! 俺、ちょっと相談したいことがあったんスよ」

「俺に丸投げしない案件なら、聞いてもいいぞ」

「あざっス」


 このまま個々で夕飯を買ってホテルに戻ることも出来る。実際、普段は多くの関係者がそのようにしている。睡眠時間とプライベートの時間を確保することは、仕事をこなす上で重要だからだ。だが今日の二人はそんな気分にはならなかった。


 良亮がスマートフォンを取り出してお店を検索し始める。スマホを操作しながら歩きそうになる良亮を、晃一の手が引き止めた。東京オリンピックは今、先日の爆発事件のせいもあって良くも悪くも注目されている。この状態で歩きスマホなどという面倒なトラブルは避けたいのが本音だ。


「あ、国立競技場駅の近くに色々あるっスよ。ここからそう遠くないし、行きましょ!」

「急に元気になるな、お前。会議中は死にそうな顔してたくせに」

「だって俺ら関係ない話でずっとグタグタだったっスよ。サイバーセキュリティが絡むなら、もっと真面目に意見したっス」

「その心変わりも最近したばっかだろ?」

「っスね。俺、正直、ちょっと甘く見てたんスよ。色々あって、今はちゃんとしなきゃって考えてるっス」


 良亮は本人が自覚しているとおり、最初の頃は非常に頼りなかった。サイバー攻撃が実際に起きるとも思わず、何事もなく終わると甘く考えていたのだ。それが今では様々なことを考えて行動するようになり、ようやくチームリーダーらしくなってきた。これは、晃一にとっては非常に嬉しいことである。


 しかし良亮の成長を喜んでばかりもいられない。閉会式の日に何かが起きるのはほぼ確実である。卓越したコンピュータ技術を持つとされる犯人。それに対抗出来るのは、サイバーテロ対策チームしかいない。


 ようやくご飯にありつけるとテンションの高い良亮に、晃一は苦笑いを隠せない。あと二日でどれだけのことが出来るだろう。当日はいかにして犯行を防ぎつつ閉会式を進行するか。晃一の頭の中では、拭いきれない不安が次から次へと浮かんでいく。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る