さぁ、ゲームを始めよう(5/6)

 八月二日午前十一時。新国立競技場のモニタールームではちょっとした騒ぎが起きていた。予期していたサイバー攻撃が発生し、サイバーテロ対策チームの何人かが対応に追われている。その裏では、爆発事件を阻止しようとインターネットの技術を駆使して警察と連携している。


 代々木公園陸上競技場には、本日競技に参加する予定の選手達がトラックを走り、その感触を確かめている。もう会場の変更が不可能な段階まで来ていた。オリンピック運営の者達はすでに、この代々木公園陸上競技場で競技を行うこととして動いている。


 選手達がウォーミングアップを行うすぐ近くでは、警察犬が付近の安全確認をしている。複数の警察犬が代々木公園全体を探索して爆発物の有無を確認する。犯行予告の時間まであと一時間となっており、爆発物を探す警察官の表情は厳しい。


「……という感じで、まだ爆発物は見つかっていません。警察犬の反応を見るに、代々木公園である可能性は低いかと思います。他に手がかりなどはありませんか?」


 爆発物捜索の現場にいる東新からの声が新国立競技場のモニタールーム内に響く。現在、サイバーテロ対策チームは東新と電話でやり取りしている。スピーカーを使用することで、所属員全員が東新の声を聞くことが出来るようにしていた。


 新国立競技場の方では、本日行う予定だった陸上競技の会場が変更となった他にこれといった手がかりはなかった。犯行予告を直接受けた良亮は精神的な疲労で休んでいる最中だ。このままでは良くないと、その場にいた誰もが感じ始めていた。


「代々木公園に陸上競技場があるのを知ってたら、そこに意図的に変えても違和感ないんスよね。実際、過去の東京パラリンピックで使われてたみたいっス。でも関係者に連絡されたとして、それが今日の観客に連絡されてるかってなるとわかんないっスよね。だって関係者に送られたメール、犯人が意図的に流した偽物でしたもん」


 誰もが手がかりの無さに困っていた時、欠伸混じりの声がモニタールームに響いた。中途半端な敬語は、机に突っ伏した男性から聞こえてくる。


「新国立競技場の観客席、駅、他に観客が集まりそうな場所……なら、威力を確かめるのに最適っスよ。さすがに選手狙うのは他国を巻き込むことになるし、狙うならオリンピック見に来た観客で、閉会式に向けたデモなんじゃないっスかね。関係者が狙われると思い込んで、客席とか全然調べてなかったっスけど」


 明るい茶髪が頭部の動きに合わせて揺れる。突っ伏していた男性が上半身を起こし、大きく伸びをした。わざとらしさのない爽やかな笑顔が、サイバーテロ対策チームの皆に向けられる。発言者は先程まで寝ていた良亮だった。


「誰か、パソコン貸して欲しいっス。最後まで足掻くっスよ」


 絶望的な状況の中、良亮の妙に明るい声が場の雰囲気を変えていく。周りの者達は良亮の意図もわからず、その指示に従うことしか出来ない。


 つい先程まで青白い顔をしていたはずの良亮は今、平常時の顔色に戻っていた。笑顔を浮かべる余裕が生まれ、パソコンを前にして軽く手首を回す。首をぐるりと一回転させ、キーボードの上に指を乗せた。


 良亮の指が、ピアノを弾いているかのようにリズミカルにキーボードを叩いていく。液晶画面に表示されているウインドウはオリンピック関係者専用サイトだった。彼が書き込んでいるのは関係者全員で共有する掲示板のような場所だ。


「アクセス履歴とか、変なのあったっスか? と言っても俺、晃一さんほどは詳しくないんスけど」

「めぼしいものは特にないです」

「じゃあ、ちょっと手伝ってほしいっス。緊急チームは偽メールの出処を探る、何人かは関係者サイトの確認、何人かは次のサイバー攻撃へ備える。競技日程や周辺の会場の空き状況も確認頼むっス。あと、画像解析というかウイルス解析というか、その手に詳しい人はちょっと来てほしいっス」


 良亮の変化に戸惑いながらも、彼らはすぐに指示に従った。サイバーテロ対策チームは大きく四つに分かれ、各々の作業を進めていく。電話越しに聞こえる良亮の声に戸惑う東新の吐息がスピーカーから零れた。


 本来であれば、良亮は下手に動けないはずだ。だが今、良亮は自らの行動に伴う危険を顧みずに動いている。つい数時間前まで犯人に怯えていたのが嘘のように、楽しそうに笑いながら。


「東新さん、新国立競技場内システムの一部が何者かにハッキングされました。現在対応を行っています。……犯人は、監視カメラから俺らを監視してるんスよ。音声までは、向こうに伝わらない。だから『遠くから見ています』だったんスよ」

「だからってそんなあからさまに――」

「根拠ならあるっス。今は言えないっスけど、とりあえずもう動いて大丈夫っス。とにかく、代々木公園じゃなさそうなんで、別を探してください。今、俺も手がかり探すんで」


 良亮が必死に東新に呼びかけるその後ろでは、サイバーテロ対策チームの者達が持ち前のパソコン技術を駆使して手がかりを探している。仲間内で呼び合う声とパソコンを操作する音が電話越しに東新の耳に届く。


 犯行予告とされる時間まで一時間をきった今、仮に爆発物を見つけたとしても人を逃がす余裕はない。だが現在頼れる手がかりは良亮の元に届いた犯行予告だけ。逸る気持ちを抑え、東新はただ祈ることしか出来ない。

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