さぁ、ゲームを始めよう(2/6)
夜の十九時を過ぎた頃。良亮と東新はサイバー攻撃への対処で疲労した体を引きずり、晃一のいる病室を訪れていた。昨日と同様に、服装と所持品から病院内を歩く様々な人に二度見をされる。疲労のせいで足元がおぼつかず、時折看護師に声をかけられた。
どうにか晃一の寝ているベッドに辿り着くも、声より先にお腹が音を立てる。実は、サイバー攻撃の影響が落ち着いたのは十八時を過ぎてからだった。あまりの忙しさに食事する余裕はなく、今になって空腹が襲いかかる。情けない腹の音が病室内に無様に響く。
「なんだお前ら、情けねぇな」
ベッド脇にパイプ椅子を置いて座る良亮と東新。晃一はそんな二人をベッドから見下ろしてクスクスと笑う。左腕には昨日と同じように点滴の管が刺さっており、ベッド左側の点滴台へと伸びている。見た目こそ弱々しいが、晃一の笑顔はそんな弱々しさを感じさせない程に眩しい。
普段より多く寝たからだろうか。目の下に色濃く出ていたクマは少しだけ、その存在感が薄くなっている。倒れる直前まで病的に青かった顔は少し赤みを帯びるようになった。疲弊した晃一ばかりを見てきた良亮はそんな些細な変化に気付いて涙ぐむ。
「晃一さん……無事で、よがっだ」
「おい、泣くな。まだ早い。野郎の涙見ても嬉しくねぇって」
「あれ、晃一さんって意外と口悪いんスか?」
「これが素だ。ボロが出ねぇように敬語にしようとしたのに。……で、東新。お前が来たってことは、解析結果が出たんだろ? どうだった?」
新国立競技場にいた時に比べ少しだけ口が悪い晃一。時折歯を見せて笑うその姿だけを見ればとても入院患者には思えない。頭の回転も鈍っておらず、点滴の管が刺さっていない方の手を東新に伸ばし、パソコンを寄越すようにとせがむ。
東新はふらついた体で、落とさないようにと胸元に抱えていたパソコンを晃一の手に握らせる。その刹那、晃一は目にも止まらぬ早さでパソコンを立ち上げていくつかのアプリを起動した。起動中の僅かな時間でパソコンの動作に変化がないかも確認している。
「解析結果は、寺田さんからのメールを読んでください。あまり良くないです」
「メール……あぁ、これか。……へぇ。バイオテロだろうとは思ってたけど、これは予想外だ」
「私も驚きました。本当にこのバイオテロを実行するのだとしますと、状況は良くないです」
良亮がいることも忘れ、晃一と東新は動画の解析について話し始める。知らない人の名前が出てきたり、テロの可能性や今後の予測について話したり。二人の会話は良亮の理解の範疇を超えている。会話に入れない良亮は人知れず小さなため息を吐いた。
犯人が良亮に送ってきた動画は、とあるウイルスに感染した患者の経過を記録したものだった。そのウイルスは自然界では撲滅され、あっても一部の国がサンプルとして保有しているもののみ。そのために予防接種を受けた者はおらず、そのウイルスの免疫を持つ国民はいない。そのウイルスの名は――。
「天然痘、でしたっけ。ワクチン接種とかって無理なんスか?」
「正確には天然痘と思わしき、だ。天然痘にしては何かがおかしいらしい。残念ながら、天然痘のワクチンを保有してるのはアメリカや韓国くらいだろう。良くてロシアも入るか。日本は天然痘ワクチンの備蓄をしていない。だから、ウイルスがわかった所でテロを阻止するくらいしか出来ないんだ。人工合成するにしたって時間がかかる」
良亮の言葉に晃一が苦い表情で答える。犯人が閉会式で使用するとされるウイルスの種類がわかったところで打てる手は限られている。だが、晃一と東新が真剣に話していたのは、天然痘への対処だけが原因ではない。
「良亮。天然痘について、関係者向けの資料になんて書かれてたか覚えてるか?」
「えーと、『ソ連が作った生物兵器が流出してる可能性があるため、注意が必要』だったっス」
「その通りだ。それが流出したとして、日本に来るにはそれなりの経路があるだろうな。だとしたら、事は旧ソ連絡み、下手すりゃ外国が絡んでくる」
「が、外国っスか!」
これから起きるであろう犯行に外国が絡んでいるかもしれない。良亮は病室にいることも忘れて声を上げた。病室に相応しくない大声に周りからの視線が突き刺さる。
晃一の右腕が良亮の頭を軽く叩いた。東新の太い腕が良亮の首に巻きつく。「すんません」と良亮が掠れ声で呟いた時には、東新によって羽交い締めにされていた。今にも泣きそうな顔で晃一に助けを求めるが、晃一は手を貸そうとしない。
「とにかく、油断は禁物だな。はたして本当にばらまくのか、動画はただのフェイクか。やたらと犯行予告をして注目を集めているのも気になる」
「私から寺田さんに伝えます」
「悪いな、東新。それと良亮。声の大きさには気をつけろ。いいな?」
犯人が何故毎日のように犯行予告を書き込んでいるのか。動画をネット掲示板には貼らず、良亮にだけ送り付けたのは何故か。犯人達の本当の狙いは何なのか。一連の動きに対する疑問は尽きない。
良亮達サイバーテロ対策チームに出来ることはサイバー攻撃を防ぐことだけ。良くて、サイバー攻撃を元に実際のテロを予期して対策を促すことくらい。この案件はもう、イバーテロ対策チームだけで抱え込むべきものではない。
オリンピック閉会式まであと八日。限られた時間の中で出来ることは少ない。それでも最善を尽くすしかないのである。パソコンを見つめる晃一の顔は何かの覚悟を決めているようであった。
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