5. さぁ、ゲームを始めよう

さぁ、ゲームを始めよう(1/6)

 八月一日、正午過ぎ。サイバーセキュリティ対策チームは混乱していた。原因は複数ある。一つは複数のハッカーによる同時サイバー攻撃への対応。もう一つは閉会式に何かを仕掛けるとされている犯行予告に関連したもの。良亮は連続して発生した緊急事態の対応に追われていた。


 誰もがノートパソコンを立ち上げ、素早くキーボードを叩いている。そこに会話の類はなく、指示出しの声すらしない。あるのはパソコン作業をこなす物音だけ。クーラーが効いている部屋だというのに、関係者達は滝のように流れる汗を止められない。


 サイバー攻撃の方は競技開始時間と同時に始まった。現在もハッカーとサイバーテロ対策チームのネット上での戦いは続いており、異変を表に出さないようにするのが精一杯の状態である。一瞬の油断が大きな損失を招くこの状況に、余計なことを考える余裕はない。


 今回は以前のDDoS攻撃とは異なり、攻撃の種類が多種多様である。このことから、ウイルスを使用した一個人の攻撃ではなく、偶然ハッカー達が行うサイバー攻撃のタイミングが重なったと考えられた。こんな事態、ありえないことではないが極めて珍しい。


 周りの関係者達がサイバー攻撃への対応を行う中、良亮だけは違うことを行っていた。パソコン上に開かれているのは、毎日のように書き込まれているネット掲示板の犯行予告。さらにそれとは別に、東京オリンピック・パラリンピック関係者専用掲示板の方の書き込みも表示されている。


 関係者掲示板には一つだけ、異質な書き込みがあった。明らかに関係者が書いたとは思えない犯行予告が書き込まれているのだ。書き込んだユーザーは「恵比寿和泉」。開会式の時に犯人に利用されていたアカウントである。


「オリンピックを中止しないならば、八月九日の閉会式に死人が出るだろう。開会式の日を境に、東京は死の国となる。国民を助けたければ、オリンピックを中止しろ」


 毎日のようにネット掲示板に書き込まれていた犯行予告がついに、盗まれたアカウントを使用して関係者全体に発信された。しかし、ここまでして犯行予告を見せつける意図がわからない。良亮には犯行予告を何度も書き込む必要性が感じられなかった。


「京橋さん。犯行予告について、お話したいことがあります」

「俺にっスか? 人間違いじゃなくて?」


 モニタールームの静寂を破ったのは、スポーツ選手顔負けの筋肉を持った四十代男性、東新である。晃一に変わって緊急チームを束ねている彼に呼びかけられ、良亮はまず自分の耳を疑った。


「京橋さんはあれを見ているので、知る権利があると思いました。ちょっと、耳をかしていただけますか?」


 東新の言葉に、つい数日前に見た映像が頭の中で再生される。謎の発疹に苦しみ、死んでいく人々。全身血だらけの人や四肢を失った人は出てこない。映像は何かの患者の経過を記録したものであり、R指定されるほどの内容ではない。それでも、良亮にとっては忘がたい映像で、出来ることなら思い出したくない内容である。


 良亮は犯人が送ったきた映像の第一発見者であった。良亮に動画が送られたことをきっかけに動画の解析が行われたのだ。望まない形ではあれ関わってしまった以上、動画の答えを知る権利がある。深いため息が良亮の心情を物語っていた。




 東新が耳元で、犯人から送られた映像が示すものについて告げる。たったそれだけなのに、良亮には何時間も話を聞いているように感じられた。告げられて答えに、ポカンと開いた口が塞がらない。呼吸すら忘れそうになる。


 東新が教えてくれた答えは、この手の話題に詳しくない良亮にも聞き覚えのあるものだった。それどころか、東京オリンピック・パラリンピック関係者には事前に警告されていた内容の一つでもある。良亮の中で何かが音を立てて崩れていく。


「それって、もしかして……」

「続きは今夜、五十嵐さんのところで話しましょう。先程連絡がありまして、五十嵐さんが無事に目を覚ましたそうですので」


 良亮の口を東新の指が優しく挟み込む。軽く合わされただけの唇は魔法にでもかかったように動かない。東新の指が離れてもまだ唇はくっついたままだ。


「……マジ、ですか?」


 口を開くまでに多少の時間を要した。掠れた声で問いかけるも、良亮の頭の中には疑問符が浮かんでいる。


「ええ、本当です。早速、パソコンを欲しているらしいので届けなければ」

「晃一さん、本当に目覚めたんスね。無事でよかった。俺、俺……」

「喜ぶ余裕はないですが。犯行予告について、五十嵐さんから話があるそうなので、それを聞いてから動きましょう。これはもう、我々警察が動くべき案件ですので」


 連日のように書き込まれている犯行予告はもはや、ただの悪戯とは言えなかった。今回、恵比寿のアカウントを利用して関係者向けにも発信したことからもそれは明らかだ。そして犯人はおそらく、恵比寿のパソコンから情報を盗んだ犯人と同一人物である。


 良亮には犯行予告に対して出来ることはほとんどない。良くて、非常時に備えて他のオリンピック関係者に連絡する程度。情報を伝えた後は普段通りにサイバー攻撃と戦うことしか出来ない。


「こんなマジなやつに巻き込まれるなんてな」


 東新が離れてから作業に戻った良亮。その口から零れたのは、オリンピック開催前には想像も出来なかった現状に対する思いだった。悲しみ、憎しみ、悔しさ。様々な負の感情が混ざりあい、胸の奥の方で確かな存在感を放っている。

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