魔の手はそっと忍び寄る(5/5)

 照明が消され、カーテンで外からの光も遮断された部屋。足元すらまともに見えないその部屋で、健太はパソコンと向き合っていた。キーボードを叩く音だけが室内に響く。だがその音もついに途切れ、部屋は静寂に包まれる。


「よし、交渉成立だ」

「マジで?」

「ああ。今、『木馬』を仕込んだパソコンで犯行予告も終えたよ。映像、見るか?」

「いや、いい。俺はもう一つの犯行予告をしなきゃだからな。それに、醜い映像なら見にくいからごめんだね」

「……うん、笑えないね。海人はパソコンより先にダジャレの腕を上げるべきじゃないかな?」


 健太の言葉に真っ先に食いついたのは、健太と同じくパソコンと向き合っている海人。相変わらず、少しも笑えない洒落を呟いては楽しそうに声を上げて笑う。しかしパソコンに向いたままの瞳だけは真剣そのもの。


 パソコンと向き合って頭を回転させる健太と海人。そんな二人とは対照的に、頭脳ではなく実際に体を動かすことで作業に貢献している者が一人、この部屋にはいた。彼、裕司は暗い部屋の中で動き回り、目ではわからないゴミを手探りで見つけては捨てている。


「裕司、仕事だ」

「仕事? 僕、頭使うのは無理だよ?」

「ちょっと危ない物を運ぶだけだ。七月二十九日に羽田空港まで行ってくれ。そこで物を受け取って、ここに運ぶんだ」

「いいよー。それなら大丈夫。迷ったらごめんね」


 仕事を任されると知り、裕司の声が弾む。よほど嬉しかったのだろう。ゴミ探しをやめ、その場で何度か飛び跳ねる。裕司がジャンプする度に部屋が揺れた。床に積もったホコリが宙を舞う。


「で、本当にやるわけ? 裕司が受け取ったら、もうあとには引けないぞ」

「やるよ。オリンピックをぶち壊す。そして日本を混乱させる。必要な物は揃った。あとは、俺達が覚悟を決めるだけだ。わかったな、海人?」

「はいはーい。そんじゃ、俺は作業に戻りますよーっと。あとちょっとで送れそうなんだよね、メール」


 海人に問われても、健太の答えは変わらなかった。眉一つ動かすことなく、表情の消えた顔で海人を見つめる。その視線に耐えかねて、海人はパソコン作業へと戻っていった。




 海人は思案顔でキーボードを叩く。文字を打っては消し、を繰り返している。出来上がった文章を読んではまた消し、書き直す。思ったような文章が書けないからだろうか。ついにはパソコンを睨みつけながら言葉にならない声を上げ始めた。


 彼が開いているのは、ただのメール画面。ありふれたメールアプリのメール作成画面。彼が迷っているのは難解なプログラム言語ではなく、メール本文の内容であった。彼を悩ませる原因は、これから行おうとしている物事に関係している。


「ねぇ健太。文章おかしくないか見てくんない?」

「いいけど。…………これじゃ脅しが足りないよ。個人情報っていう弱みを握ってる。それを示すために、こいつの個人情報の一部を本文に取り込まなきゃ。これでも一応サイバーテロ対策チームなんだ。ただの脅しには乗らないだろうよ」

「マジか、めんどくさっ! 本文書いて、さっきの醜い映像を添付して、送ればいいんだよな」

「『醜い』は余計だけどな」


 健太にダメ出しをされ、仕方なく文章を書き直し始める海人。尖らせた口元はパソコンに今にも接触しそうだ。これでもかと顔を液晶画面に近付け、キーボードの方は配置を見ずに指先を動かしてタイピングを行っている。


「ねぇ、兵器? 武器? ウイルス? というか例の危険物の名前ってどーすんの?」

「一応『生物兵器』になるかな。まぁ、詳しく書かなくていいと思うよ。専門家に見せればわかるだろうし、今の段階から手札を示して足跡を掴まれるのもね」

「それでいいのかよ」

「いいんだ。この手のメールを受け取って、素直にすぐ人に伝えると思う? 自分のミスが招いた結果なわけだし、しばらくは罪悪感を持つでしょ。時間稼ぎはそれで十分だ」

「健太がいいならそれでいっか。そんじゃ、送るよー」


 健太からの言葉を受け、少しだけ本文の内容を編集する。編集作業を終えると郁人は、祥太に見せることなく送信ボタンをクリックした。パソコンのデジタル時計は「十一時三〇分」を示している。作成したばかりのメールは、速やかに送信済メール一覧へと移動した――。

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