2. 今宵、聖火の裏側で

今宵、聖火の裏側で(1/6)

 二〇二〇年七月二十四日二〇時。収容人数約六万人の会場では今、臨時に席が増設され、八万人を収容可能としている。用意された席はすでに人で埋め尽くされ、開会式の雰囲気だけでも味わおうと入場口には多くの人が集まっていた。新国立競技場では今、歴史的瞬間が始まろうとしている。二〇二〇年東京オリンピック開会式が、いよいよ始まるのだ。


 新国立競技場内部の関係者用スペースでは、関係者達がその瞬間を今か今かと待ちわびていた。モニタールームでは関係者達が開会式に向けた最終調整を行っている。晃一、良亮を含むサイバーテロ対策チームはそのモニタールームの一画にてパソコンと睨み合っていた。


「ドローン、飛行準備に入ります」

「ドローン識別システム稼働。現在、会場近辺に他のドローンは存在しません。飛行させたドローンの識別準備、完了です」

「了解しました。ドローン、飛ばします」


 開会式の様子は、会場内に飛ばしたドローンによって撮影される。ドローンを飛ばすために「ドローン識別システム」を導入。飛行中のドローンを識別出来るようにした。サイバーテロ対策チームは開会式の間、オリンピックを標的としたサイバー攻撃に対応する。その一つに、開会式の間飛ばしているドローンの監視も含まれている。


 晃一の琥珀色の瞳は液晶画面を鋭く射抜く。細長い指が正確にキーボードを叩き、パソコン上にプログラムを構築していく。アルファベットと記号の羅列は、その手の職務に詳しくない者が見ればただのお遊びにしか見えない。指先が絶え間なく動き、次から次にプログラムを入力していく。


「こ、ここ、晃一さん! や、ヤバいっス!」


 晃一が作業をしていると、その隣で良亮が悲鳴を上げた。否、悲鳴を上げたのは良亮だけではない。モニタールームにいた関係者のほとんどが言葉にならない声を上げている。晃一は作業を中断し、パソコンから顔を上げる。そこで目にしたのは、信じ難い現実だった。


 ドローンからの映像を写すはずのモニターには、真っ黒な画面が表示されている。予備の撮影機材からの映像は問題なく、フルカラーでモニターに映っている。このことから、ドローンの方に何らかの問題が起きたのは明らかだ。


「何が起きました?」

「ドローンが制御不能になったっス。ドローン同士が衝突して墜落してるっス。これ、何が――」

「ドローンによる撮影を中止! 予備の撮影機材による撮影をお願いします! 観客にトラブルを悟られないように、ドローン墜落を演出であるかのようち振舞ってください。サイバーテロ対策チームはドローン識別システムで何が起きたのか確認。何人かは墜落したドローンを回収してこい。良亮はコーヒーでも飲んで、まずは落ち着け!」


 事が起きると想定していなかったからだろう。パソコンと睨み合っていた良亮は、液晶画面に表示された異変に気付いてひどく混乱していた。状況を打開しようと混乱したまま考えもなしにキーボードを叩き、その操作によってさらなるエラーが発生。気がつけば良亮のパソコンはエラーとその対処、そして対処ミスによる更なるエラーの発生、という負のループが生じていた。


 重複するエラーの表示とシステムエラーを映し出す良亮のパソコン。そのパソコンを良亮の手から取り上げると、晃一はその身体を無理やり立たせてその場から離れさせた。自分のパソコンの隣に良亮のパソコンを並べ、エラーに対処しつつ作業を続ける。




 ドローン識別システムで異常が確認されたのは、開会式が始まってまもない頃のこと。チーム構成員によって確認されたシステムの内容に、晃一の顔が険しくなる。ドローンの異常行動の原因はドローンの故障ではなく何者かによるサイバー攻撃だろう。開会式に使う予定だった全てのドローンが同時期に故障するというのは、まず有り得ない。


「これより、サイバーテロ対策チームは予定していた通り二手に別れる。一つは他のサイバー攻撃に備えるチーム、もう一つは有事の際に対応する緊急チームだ。使用する予定だったドローンの登録番号は控えてあったはずだ。緊急チームは大至急、ドローン識別システムに表示されていた登録番号の確認を。また、ドローン識別システムに生じた異変の原因を可能な限り追求しろ。俺は上に連絡を行う」


 予期せぬサイバー攻撃を受けてパニックを起こした良亮に代わり、晃一がその場の指揮を執る。これは、事前に決められていたことだ。良亮はサイバー攻撃が絡む事件に耐性がない。そのため、有事の際には警視庁所属の晃一が仕切り、警察と連携して犯人逮捕に尽力するのだ。


 晃一の言葉に、緊急チームの構成員三名がすぐさま動き出す。彼らは晃一と同じ警視庁所属のサイバー犯罪捜査官であり、オリンピック運営にあたってサイバーテロ対策チームに派遣された者達である。他の構成員は良亮と同様にオリンピック運営関連組織のセキュリティ関係者であり、有事の際の捜査権限はない。


「こんばんは。こちら、五十嵐晃一です。……はい、事件です。ドローンが何者かにサイバー攻撃を受けて制御不能になり、墜落しました。現在墜落したドローンの回収を行っています。……はい。このドローンについて調べていただきたいです。インターネットだけでは犯人特定は厳しいと思うので、是非犯人特定の手がかりを……。はい、お願いします」


 晃一は右手でスマートフォンを操作しながりも、左手でキーボードを叩く。その琥珀色の双眸が見据えているのは良亮のパソコン。晃一が捜査することにより、乱立していたエラーの表記はそのほとんどが姿を消していた。あと数分もあれば、良亮のパソコンは正常な動作を取り戻すだろう。




 モニタールームでは、すでに撮影用ドローンから別の撮影機材の映像への切り替えを済ませ、何事もなかったかのように映像が映し出されている。墜落したドローンは、演出の一環であるかのように扱い、次のパフォーマンスに移るためであるかのようにさも自然に回収されていた。ドローン墜落が演習ではなくサイバー攻撃によるものであると気付いた者は、数える程しかいないはずだ。


「一台だけ、予定にないドローンが存在します。最初から飛行させてはいますが、登録番号や製造番号が控えてありません。見た目はこちらが用意していたのと変わらず、他のドローンと一緒に電源を入れて飛ばしたものと思われます」

「異変が起きたのは、ドローンが会場に散らばってからです。そこから次々とドローンが制御不能となり、ドローン同士の衝突と墜落が発生しました」

「正体不明のドローンを中心として、ドローンの制御不能が発生したようです」


 緊急チームの方から報告が挙がると、晃一の眉間にシワが寄った。おそらく、報告にあった予定外のドローンがサイバー攻撃の原因だろう。会場で使う物と全く同じドローンを用意し、何らかの方法で会場に紛れ込ませた。となれば、事前に使用するドローンや開会式の予定が流出していた可能性が考えられる。


「至急予定外のドローンについて調べてほしい。会場内のパソコンがマルウェア感染してないかも調べよう。回収したドローンは鑑識へ運んでほしい」


 頭を回転させ、的確な指示を出していく晃一。冷房の効いた部屋にいるというのに、その額には玉のような汗が浮かんでいた――。

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