今宵、聖火の裏側で(2/6)

 オリンピック開会式が始まるのと同時刻のこと。照明のついていない暗い部屋では一つの動きがあった。クーラーも付いていない部屋を照らすのは、二台のパソコンから放たれる、目が痛くなるほどに強い光達。そんな暗く暑苦しい部屋には、各々のパソコンと正面から向かい合う若い男性二人がいた。


 一人はキーボードを叩き、パソコンにプログラムを打ち込んでいく。プログラム編集用のウインドウのすぐ後ろには、別のウインドウが表示されている。そこに映し出されているのは、どこかの場所を飛ぶドローンの識別情報だ。特定の人しか見られないはずのその情報を確認しながら、黒地のウインドウにプログラムを入力しては実行、を繰り返している。


「よーし、マルウェア感染大成功だ。会場内のドローンに標的を絞ってドロドローンと感染拡大中! あとは制御を奪ったこのドローン達を……こうして、衝突するように移動させれば……ワーオ」


 男性がプログラムを実行する度に、ドローン識別システムに映るドローンの位置が変化する。一台ずつプログラムを入力しているため、多少の誤差は生じる。だが、男性のプログラムによって動き出したドローン達は空中で確かに衝突し、そのまま床へと墜落していく。


 作業そのものに派手さはない。彼がしたのは、マルウェアに感染させたドローンのコントロールを支配し、空中で衝突するように高度や距離を計算してプログラムを入力しただけ。ドローンが墜落したからだろうか。パソコン上に示されるドローン識別システムから、ドローンを示すマークが一つ、また一つと消えていく。


「っしゃ! 全てのドローンを墜落させたぜ! さっすが俺! 健太の方はー?」


 ドローン識別システムを確認した男性がもう一人に呼びかける。もう一人の男性、健太は険しい顔でパソコンを睨みつけていた。表示されている液晶画面に変化はない。メールどころか通知一つなく、壁紙として使用されている世界遺産の画像が存在感を発揮している。


「お疲れ様、海人。うーん、そもそもスパイウェアが動いてないな。こっちはまだ感染してないみたいだね。ここから先は、感染するのを待つしかない。少し休憩するか」

「だな。とりあえず第一段階成功ってことで! さっすが俺。ドローンなんて脆弱なシステム使うからこうなるんだっての。ざまあみやがれ!」

「海人。まだ全てが終わったわけじゃないんだから、油断するな。変なミスをして身元が割れたらどうするんだ? 油断したら負けだ。わかってるだろ?」

「モチのロンよ」


 海人はお笑い芸人顔負けのハイテンションで歓声を上げると、誰もいない天井に向かってピースサインを見せつけた。そんな海人の様子に健太が苦笑いで応える。液晶画面から目を離す余裕があるのはまだ標的に何の動きもないからなのだろう。暗い室内がわずかな間、静寂に包まれる。



 どれほど時間が過ぎただろう。オリンピック開会式が終わってから数時間が経過した時のこと。海人が突然立ち上がり、足場を手で漁り始める。


 二台のパソコンから放たれる光だけでは部屋の全てを照らすことは出来ず、足場はもちろんのこと、部屋の内部構造すらもほとんど把握出来ない。部屋の暗さに加えてパソコン作業で疲労した目が視界を悪くする。海人の目には液晶画面以外の物が全くと言っていいほど見えていない。


 ぼんやりとした輪郭を頼りに手探りで何かを探す。感触だけを頼りに床に落ちていた説明書を拾い上げ、液晶画面の前において内容を確認した。どうやらドローンの説明書のようだ。説明書と言っても書かれているのは基本的なことばかりで、詳しいことはインターネットを介して取扱説明書を読んで確認するようになっている。


「にしてもだ。よく同じモデル、同じ色、同じ大きさのドローンを見つけたよな。一台ドローンが増えたところで気付く余裕もないだろうし。いざ気付かれたらその時は、自力で飛ばしてウイルス感染させるつもりだったし」

「それは僕が事前にハッキングして情報を盗み出したからだろう? 同じモデルを探すのは苦労したよ。結構苦労したんだよね、バレないように侵入するの。踏み台をいくつ経由したことか」

「そんなに経由したのか。ルートも変えた?」

「もちろん。今回のためだけに新規ルートを開拓して、台数も増やすっていう手間をかけたよ。そうじゃなくてもこまめにルートは変えてるけど。海人は変えないの?」

「バレそうな時は変えるけど、そうじゃない限りは使い回すな。踏み台にするのもめんどくさい。ああいうのは必要最低限でいい」


 「踏み台」はターゲットとなるシステムに侵入する前の中継点として利用されるコンピュータのことである。コンピュータに外部からのアクセスがあると記録が残ってしまう。そこで、自らがアクセスした記録を他者からのアクセスとして誤魔化すために「踏み台」を使用する者がいる。


 複数の「踏み台」を経由することで自らがアクセスした記録を辿りにくくする。しかし「踏み台」を使うデメリットもあり、健太と海人の二人はハッキング一つでも意見が違うようだ。


「今回はヘマしないでくれよ? 依頼された仕事だし、相手は世界的な競技大会だ。一歩間違えたら……」

「多分大丈夫だって。裕司もいるしな。いざってなりゃ逃げればいいっしょ」

「それじゃ困るんだって。今回は言い逃れ出来ないぞ。失敗は許されない。東京オリンピックをぶち壊すんだ。逃げの姿勢は捨てろ。もう、逃げられないんだから」

「健太は厳しいなぁ。とりあえず覚悟くらいはしておくよ」


 海人と健太、そしてこの場にはいない裕司という人物。この三人は東京オリンピックの妨害を企てているようだ。撮影用ドローンを乗っ取ってその支配権を握り、会場を混乱させる。それだけではなく、ドローンを墜落させる裏側で何やら別のことも行っているらしい。さらに、今彼らが行っているのは計画の一部でしかない。


 会話が弾む中、健太が向き合っていたパソコンから通知音がなる。その音に反応し、健太の身体がピクリと跳ね上がる。海人が健太の背後に移動し、健太のパソコンをのぞき込んだ。液晶画面に表示されたポップアップが知らせているのは、メールの受信である。メールの受信時刻は「二十三時三〇分」を示している。


「よし、動いた。対象がスパイウェアに感染したぞ! これで、今日の目標は全て達成だ」


 送られてきた内容を確認した健太がガッツポーズを見せ、声を上げた――。

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