第6話 レッサーデイモン
「くそっ……。失敗しちまった」
マルシャスは月明りが照らす夜道を歩きながら呟く。
シェンナを海に突き落とすはずが、寸前で避けられて自分自身が落ちてしまったのである。
その時にアイノエから預かった笛を落としてしまった。
「どうすりゃ良いんだ……。このままだと、このマルシャス様は終わりだぞ……」
マルシャスは正直逃げ出したかった。
しかし、それは難しい事だ。
魔女であるアイノエから逃げれば、もっと恐ろしい報復が待っているに違いなく、また他に行くところがないからだ。
それにマルシャスは以前のようなコソ泥に戻りたくはなかった。
だから、何とかして許してもらわなくてはならない。
そんな事を考えていると目的地に着く。
たどり着いたのはアリアディア共和国でもっとも暗い場所である。
アリアディア共和国には三重の城壁がある。
これはアリアディアの都市が大きくになるにつれて、外へ外へと城壁を作っていったからだ。
もっとも、その都市の拡張は何十年も前に止まっている。
そして、今いる場所は全ての城壁の外にある。つまり外街だ。
この場所にはどんな者でも入る事ができて住む事もできる。
もちろん他所の国を追放された犯罪者も入る事が可能だ。
そんな外街には犯罪者達が集まって作った組織が沢山ある。
そして、犯罪組織の中には魔物を崇拝する邪教団も存在するのである。
この邪教団はアリアディアの多くの犯罪を統括している。つまりアリアディアの影の支配者とも言えるだろう。
市民権を持たず、何の後ろ盾も持たない者は自由戦士になるか、犯罪者になるしかなかった。
もっともマルシャスは腕っぷしに自信がなかったので後者を選ぶしかなかった。
やがて歩いていると大きな建物が前方に見える。
建物は木造だがかなり立派な造りである。
一見普通の食堂兼宿屋だが実態は犯罪組織の本拠地である。
この宿屋には地下がありそこに黒山羊の頭をした悪魔を祭る祭壇がある。
ここにアイノエがいるはずであった。
「うん?」
マルシャスが入り口に入ろうとすると誰かがいる事に気付く。
入口に立っているのは1人の男だ。
旅人には見えない。旅をする格好ではない。男が着ている者はどこにでもある一般的な物だ。
男は入り口をじっと見て何かを考えているようであった。
(何をしている? 娼婦目当ての客か?)
この食堂兼宿屋の従業員の女は娼婦を兼ねている。
その中にお目当ての娘がいるのかもしれなかった。
(大人しそうな顔をしているが、野郎は一皮剥けば全員スケベだ。間違いない。もしくは男娼が目当てかもしれないが、何となくそんな感じはしないな)
マルシャスは今まで何人もの同性愛者を見て来たが、その男はその者達とは目つきが違っていた。
しかし、同時に疑問に思う。
(何故中に入ろうとしないんだ?)
考えられるのはこの男は童貞なのだと言う事だ。
おそらく娼婦を誘うのは初めてなのだろう。だから勝手がわからず中に入れないのだ。
見れば育ちが良さそうな顔をしている。
良く見るとぶん殴りたくなる程の整った顔立ちであった。
そこで、マルシャスはある事を思いつく。
(こいつを連れて行けば少しは許してくれるかもしれない。この男には悪いが犠牲の羊になってもらおう)
ようするに人身売買である。
マルシャスはこれまでいくつもの犯罪に手を染めて来た。
今更他人を陥れる事に罪悪感はない。
男を魔女に引き渡し、それで許してもらおうと考えたのだ。
目の前の男を差し出したところで、どこまで許してくれるかわからない。
それでも、ブサイクな顔ではないので、それなりの需要はあるだろうとマルシャスは思う。
魔女達の生贄にするのも良し、薬漬けにして男娼にするのも良い。
もちろん、この男の身内が探すかもしれないが、良い家柄の者であれば、逆にこういった店に入ろうとした事を知ったら逆に隠そうとするだろう。
そうなれば捜査がマルシャスまで行き着く事はない。
だから問題はないはずであった。
「よお、兄ちゃん。そこで何をしてるんだい?」
マルシャスは優しく声を掛ける。
すると男は振り向く。
少し驚いた顔をしている。いきなり声を掛けられるとは思っていなかったのだろう。
「いえ、特には何も……」
男は答えにくそうに言う。
(思った通りだ。娼婦を買う事は黙認されているが本来なら禁止だ。真っ当な家に生まれた者なら躊躇するだろうぜ)
マルシャスは男の内心を推測する。
口では否定しているが、女が欲しいと思う感情は捨てきれない。
だからこんな態度なのだろうと考える。
「良かったらこの俺様が案内してやるよ。俺はこの店の関係者だからな。どんな娘でも紹介できるぜ」
マルシャスがそう言うと男は目を開き、考え込む。
「そういうことでしたら、よろしくお願いします」
男はニコリと笑う。
警戒している様子はない。
それを見てマルシャスはほくそ笑む。
「決まりだな。付いて来な、兄ちゃん」
マルシャスは男を連れて店に入る。
店の1階は食堂であり酒場である。
すでに日は落ちているので店の中には明かりが灯されて、酒場には多くの人間が飲みに来ている。
中には市民権を持つ者もいるだろう。
こういう娼婦がいる店が黙認されている背景には市民の支持があるからだ。
市民権を持っていようが持っていまいが人間の性質が変わるはずはないのである。
マルシャスは酔客と従業員の女や男を避けて店の奥へと行く。
振り向くと男は何も疑問を持たず付いて来ている。
(何てバカな奴なのだろう。この先には恐ろしい運命が待っているというのに)
店の奥に入り通路をマルシャスと男は共に歩く。そしてある部屋に入る。
部屋はただの倉庫である。
「ここは?」
男は倉庫に連れてこられたので少し困惑した顔をする。
「へへ、まあ見てな」
マルシャスは笑うと1つの戸棚に近づく。
そして、戸棚を横に動かす。すると地下へと続く階段が現れる。
「おおっ!」
男は驚きの声を出す。
「くく、驚いたか? ここから地下に入るけど良いか?中にはとびっきりの美女がいるぜ」
もちろんマルシャスは嘘は言っていない。
魔法で姿をごまかしているが、魔女達は美人揃いである。
男も満足するはずであった。
「良いですよ。なぜこんなに親切にしてくれるのかわかりませんが助かります」
男は礼を言う。
(どこまで馬鹿なんだ? 普通に考えりゃこんな薄暗い地下にまともな女がいる訳がないだろうが。少しはおかしいと思わないのか?)
マルシャスは男を心の中で馬鹿にするが、人を疑わなくても生きていける恵まれた環境で育ったのかもしれないと思い、心に黒い炎が生まれる。
(こんな奴を不幸のどん底に叩き落としたくなる。お前はこれから生贄になるんだよ)
マルシャスは心の中で笑うと、男と共に地下へと降りる。
石や床や天井がきちんと整地され地面が剥き出しになっておらず、地下はただ地面を掘ったのではない。
広い地下通路をマルシャスは男と2人で歩く。
壁には明かりが灯されているので暗くはない。
男は何も言わず素直に後に付いて来る。
やがて、広い場所にたどり着く。
部屋にはマルシャスの知る魔女達とローブを着た男達がいる。
マルシャスはそこで首を傾げる。
ローブを着た男達の方は初めて見るからだ。
(何者だ? アイノエ姐さんの知り合いか?)
マルシャスはローブを纏った者を見る。
先頭に立っている男以外は白い仮面を被っている。
仮面は簡単な造りで目と口の部分が少し空いているだけだ。
その白い仮面を被った者達から嫌な気配をマルシャスは感じるが、帰るわけにはいかなかった。
マルシャス達が広場に入るとアイノエ達がこちらを見る。
「ふん、逃げずに来たようだね。マルシャス。まあもっとも逃げられるはずがないさ。お前には呪いをかけてあるのだからね」
アイノエはマルシャスを見て言う。
「逃げるだなんて……そんな。ところでアイノエ姐さん。そちらの方達は?」
マルシャスは話題をそらすようにローブを着た男達を見る。
「ふん、お前が知る必要がないけど、特別に教えてやるよ。こちらの方は魔術師協会の副会長のタラボス殿さ。私達の協力者って所かねえ」
アイノエは唯一仮面を被っていない男を見て教えてくれる。
その言葉にマルシャスは驚く。
確かに男は魔術師の格好をしているが、まさか魔術師協会の副会長が協力者だとは思わなかったからだ。
「アイノエ殿。あまりそのように喋られても……」
タラボスは困った口振りで言う。
確かにあまり喋って良い内容ではない。魔術師協会の副会長が魔女と手を組んでいる事が知られたら一大事である。
しかし、マルシャスの知るアイノエは口が堅い方ではない。しかも、かなり抜けている所もある。
マルシャスの前でペラペラと重大な事を喋ってしまう。
「ああそうだね、すまないね。タラボス殿。それよりもそこの男は何者だい?中々良い男じゃないかい」
アイノエは男を見て言う。
「へへへ。そうでしょう。姐さん達にどうかと思いましてね」
マルシャスはそう言うと素早く男の後ろに回り短剣を抜く。
この男を突き出して、失態を許してもらわなくてはならない。
「動くなよ。兄ちゃん」
短剣を突き付けてマルシャスは低い声で言う。
(これで男も騙された事に気付くだろう。だが、もう遅い。逃がしはしないぜ)
マルシャスは男の反応を見る。
男は全く反応しない。騙されたはずなのにその様子が明らかにおかしかった。
「お前がゼアルだな! 聞きたい事がある!!!」
突然男は叫ぶ。
ゼアルと言う名を出すとアイノエとその周辺にいた魔女達が驚きの声を出す。
(ゼアル? 確かアイノエ姐さんと契約した悪魔の名だ。 なぜこの男は知っている?)
マルシャスは疑問に思う。
その男の視線はアイノエの方を向いている。
しかし、アイノエを見ている感じはしなかった。
真っすぐにアイノエの後ろの何もない空間を見ている。
「ほう……。俺が見えるのか?何者だ?」
突然部屋の中に野太い声が鳴り響く。
その時だった。アイノエの後ろから巨大な人影が出て来る。
姿はサテュロスに似ているがサテュロスと違い黒毛で頭部はより山羊に近い。そして前に見た事のあるサテュロスよりも筋肉質で一回り大きい。
悪魔がマルシャス達を見る。
「ひい!?」
その視線の圧力に耐えられず、マルシャスは床に座り込む。
タラボスも意外だったのか驚いた顔で黒いサテュロスを見る。
この中で驚いていないのは魔女とマルシャスと共に来た男だ。
マルシャスは隣の男を見る。
悪魔が姿を現しても何も驚いておらず、平然としている。
「会うのは初めてだな。ゼアル。一応ウルバルド卿からお前の事は聞いているよ」
男は悪魔に向けて言う。
(一体この男は何者なのだ!? 悪魔を見ても驚かないどころか平然としている)
そこでマルシャスは初めて男が只者ではない事に気付くと、寒気がして体が震える。
「ウルバルド様の事を知っているだと! 貴様! 何者だ?! ただの人間ではないな!!」
悪魔は叫ぶ。
「そうだね……。この姿になった方がわかりやすいかな」
男がそう言うと黒い炎が男の全身を包む。
そして黒い炎が消えた時、男が立っていた場所には漆黒の鎧を纏った騎士が立っていた。
「馬鹿な?! 暗黒騎士だと! まさかお前は?! ……いや貴方様は」
そう叫ぶと突然悪魔が跪く。
「その通りだ! ゼアル! お前の思う通りの者だ。聞きたい事がある! 答えろ! ゼアル!!」
暗黒騎士と呼ばれた男がそう言った時だった。
暗黒騎士から強力な風が発せられる。
「ぐ……」
マルシャスはその風を浴びた時、呻き声を上げて地面に倒れ込む。
体の奥底から言い知れぬ恐怖が湧き上がって来ていた。
足が震える。立っている事が出来ない。
顔を横にして見るとアイノエやタラボスもまた地面に倒れ震えているのが見える。
ゼアルと呼ばれた悪魔は倒れてこそいないが震えている。
だけどタラボスの後ろにいた仮面の男達は普通に立っている。
「ああ……」
そして、マルシャスが入って来た、この部屋の入口の方から声が聞こえる。
マルシャスは顔を逆側に向けると誰かが跪いている。
おそらく恐怖で足がすくんでいるのだろう。
そして、その顔を見てマルシャスは驚き呟く。
「シェンナ……」
入口にいたのは同じ劇団に所属するシェンナであった。
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