森の奥で眠る者たち

白藤結

前編

 むかしむかし、ある村に一人の美しい赤子が生まれました。丸々としたほっぺたに、吸いつくような肌。赤子はみな可愛いものですが、この娘は他の赤子よりもたいそう可愛らしかったのです。

 それだけではありません。その娘は自らの涙を飴玉に変えるという、とても不思議な力を持っていました。娘が泣く度に、生み出される飴玉。それは、決して飢えることがない、ということを示してます。


 母は喜びました。父は喜びました。村の者たちはこぞって一家に擦り寄りました。

 けれども、幸せは長く続きません。


 娘が三歳になった頃です。まず倒れたのは母でした。その次に父、そして村人たち。みんなみんな、倒れていきます。

 原因は少女にありました。彼女の生み出す飴玉。それには中毒性があり、緩やかに、みなの体を蝕んでいったのです。

 みなが少女の飴玉を求め、更にはそれ以外を一切食べようとはしなくなりました。そのせいで、どんどん倒れていき、やがて死人も出ました。


 そんなときのことです。村に一人の商人がやってきました。彼は明らかに異常な村の様子に、そばにいた者に尋ねました。「いったい、何があったのだ」と。すると村人は答えました。「全て、あの少女のせいだ! 彼女の飴玉が食べたくて食べたくて仕方がない! ああ、もう彼女に関わりたくないのに!」

 そこで、商人は少女を連れて村を出ました。村人の願いを叶えるためです。そして、深い深い森の奥に少女を置き去りにして、立ち去りました。


 それだけのお話です。



△▼△



 チュンチュン、と小鳥の鳴き声が聞こえる。優しい風が、少女の美しく長い金髪を揺らした。それと共に、ピンク色のワンピースもふんわりと膨らむ。

 とても美しい少女だった。陽光に輝く、丁寧にくしけずられた金色の髪に、ぱっちりとした緑の瞳。真っ白な肌は焼けることを知らず、顔立ちもとても整っていた。年は十二だが、どことなくそれに似合わない色香を醸し出していた。


「おうい! どこにいるんだい、ユーフェミア!」


 遠くから聞こえてきた声。少女はクスリ、と笑った。ああ、困った声が可愛らしい。


「おうい! ユーフェ――」

「ここよ! ここよ、マルク!」


 ユーフェミアは叫んだ。やがて、マルクがやって来て。


「な、なんて所にいるんだよ!」


 彼は赤くなって堪らず抗議の声を上げた。思った通りの反応に、ユーフェミアはクスクスと笑う。やっぱりマルクは可愛らしい。

 ユーフェミアは木の枝の上に座っていた。ワンピースの裾がはためいて、きっとマルクからはまっさらな足が見えていることだろう。商人のため、礼儀をきっちりと教えられたマルク。そんな彼には少女の足を見ることさえ不埒な行為だった。


「大丈夫よ、マルク。あなたしか見た人はいないわ」

「そ、それはっ!」


 カァ、とさらに赤くなるマルク。耳まで真っ赤にして、視線をあちこちに彷徨わせていた。だけどしばらくして何かを決意した表情を浮かべると、ユーフェミアを見つめる。


「ゆ、ユーフェミア、僕は――」

「ユーフェミア! マルク君!」


 母の声だった。ユーフェミアの母の声。


「時間ね。戻りましょう」


 ユーフェミアはそう言って、木からするすると降りた。揺れるワンピースから、白磁のような肌が覗く。


「あ、あの、ユーフェミア……」

「マルク、あなたはそのままでいてね・・・・・・・・


 それは、これからもずっと愛し続けてくれ、ということだとマルクは思った。だって、僕がユーフェミアの特別だということは、明らかだから。だから、「うん、もちろん」と返事をした。

 それを聞いて、ぱっとユーフェミアの顔が輝いた。そして手を彼の首に回して、ぎゅ、と抱きしめる。


「約束よ。約束よ、マルク。絶対、あなたは変わらないでね」


 マルクは再び頬を紅潮させると、「う、うん」となんとか言葉を紡いだのだった。




 二人がユーフェミアの家に着くと、甘やかな香りが漂ってきた。机の上には出来立てのパイが置かれている。


「マルク君、ごめんなさいね、ユーフェミアを探しに行かせてしまって」

「いえ、大丈夫です」


 申し訳なさそうな母の言葉に、マルクは落ち着いた物腰で答えた。実際、ユーフェミアと二人きりで話せたのだから、ある意味役得。

 そんなマルクに「優しいわね」と母は言うと、キッとユーフェミアを睨んだ。


「それに比べて、ユーフェミアは。みんなに心配をかけないよう、ちゃんとどこかへ行くときは知らせなさいって言ったでしょう? また、誰にも知らせずに出かけて」


 怒りと安堵と、多くの感情が絡み合った声。ユーフェミアは「はーい」とやる気のない返事をする。全くもう、と母はため息をついた。

 もう、何度も繰り返されたやり取り。いつもユーフェミアは何も言わずに消えて、みなが心配して、そんな頃に彼女は帰ってくる。みんな怒るけれども、安堵の方が大きいから、あまり強くは叱らない。だから、ユーフェミアも勝手に出かけるのだ。


「ほら、早く食べなさい。今日のおやつはパイよ」

「なにパイ?」

「りんごパイよ」

「やった!」


 母のその返事を聞いて、ユーフェミアは顔を輝かせた。りんごパイ。大好物だ。

 そんな無邪気なユーフェミアの様子に、母は笑みを浮かべていた。我が子が愛おしくて仕方がない様子。

 ユーフェミアはすぐさまマルクの手を取り、「早く食べましょう!」と机へ向かって行った。マルクは顔を赤らめてユーフェミアについて行く。とても微笑ましい光景だった。


「まずは手を洗いなさい。それからよ」

「はーい。行くわよ、マルク」

「う、うん」


 母の言葉に頷いて、二人はテーブルではなく別の部屋に向けて歩き出した。

 手洗い場はすぐそこ。そこまでの移動の間に、ふと、ユーフェミアは思い出した。


「そう言えば、マルクは明日出発するんだよね?」


 ぽつりと、ユーフェミアは呟くように尋ねた。「……うん」とマルクは悲しげに頷く。


「……さみしくなるね」

「……本当に」


 静かな沈黙が降りる。「だけど、」とマルクは言った。


「だけど、また戻って来るから。それで、十五歳になったら、そしたら一緒に来てくれる?」


 不安げに、マルクはユーフェミアを見た。揺れる瞳。だけど、その瞳の奥には確固たる決意があった。

 ユーフェミアはへにゃり、と表情を崩す。そして、とても嬉しそうに言った。


「もちろんよ。一緒に行きましょう」


 その言葉にマルクも嬉しそうに笑う。彼女とこれから先ずっといられるのが、嬉しくて、幸せで。


「約束だよ」

「うん、約束」


 そうして、二人は指を絡めた。

 至ってどこにでもある、普通の光景。だけどその奥底では、小さな小さなズレが生じていた。誰も気づくことのないズレが。



△▼△



 カラカラと音を鳴らして遠ざかっていく荷馬車。ユーフェミアは馬車の影が見えなくなるまでずっと、大きく手を振り続けた。それはマルクも同じで。荷馬車の上で手が揺れてるのが見える。

 ……やがて、荷馬車が影も形もなくなって。母が「帰るわよ」と告げた。


「……うん」


 寂しげな声で、ユーフェミアは返事をした。

 実際、今までのマルクがいない生活はユーフェミアにとってとても退屈なものだった。可愛くて、愛らしいマルク。彼がいないと、世界から色が失われてしまったよう。

 ユーフェミアは、皆から愛されている。だけど、ユーフェミア自身は、愛されるだけじゃ満足できない。だから、ユーフェミアはマルクのいない生活に満足できないのだった。


「あ、」


 ユーフェミアは声を漏らす。彼女の視線の先には、金色に輝く蝶。蝶はひらひらと舞いながら、森の中へ入って行く。

 綺麗。ユーフェミアは素直にそう思った。そして、母が自らのことを気にせずに家へ戻って行くのを見ると、そのまま蝶を追いかける。


 ひらひらと森の奥へ奥へと飛んでいく蝶。ユーフェミアはただひたすら追いかけた。何故だかは分からない。だけど、追いかけなきゃ、と思ったのだ。

 小走りに薄暗い森の中を進んでいると、先の方に眩しい光が見えてきた。そして、蝶は光の中へ飛び込む。

 そのおかげで今までずっと見えていた蝶が見えなくなった。慌ててユーフェミアも光の中へと足を踏み入れる。


 視界が光に塗りつぶされて。一瞬後、そこは広大な花畑だった。森の中に、ぽっかりと空いた空間。そこが全て色々な花で埋め尽くされている。

 むん、と漂う甘い香り。蕩けてしまいそう。

 そう思ってユーフェミアが笑みを浮かべていると、小さな黒い影がぽつん、と遠くにあるのが見えた。その影に、胸がざわつく。何だか、そう、早く行かなきゃいけないような……。


 ユーフェミアは駆け出した。足が地面に触れる度に、花々が花弁を散らす。色とりどりの花びらが小さく舞う様子は、全く気に留められなかった。

 少しずつ大きくなっていく影。ユーフェミアはしばらくして、その影が獣のものだと分かった。だけど、足は止めない。止めることができなかった。


 ユーフェミアの隣を、二匹のリスが駆けて行った。彼らの向かう先も、どうやら同じらしい。ふふ、とユーフェミアは笑った。何だか、楽しい。


 ……やがて、黒い影――もとい獣たちの元へついた。クマは寝そべっていて、ユーフェミアより少し前に着いたリスたちは、何故かウサギと戯れている。

 とても、穏やかな空間。

 だけどそれだけじゃなくて。それ・・が視界に入った途端、ユーフェミアは目を奪われた。


 長い長い黒い髪に、ほんのりと焼けた肌。川面を思い出させるような、落ち着いた蒼の瞳。ユーフェミアよりも小さな、とても美しい少女だった。彼女は花の上に座って、笑顔で動物たちに何かを与えている。

 綺麗。ユーフェミアはそんなありきたりな言葉しか思い浮かばなかった。それほど、彼女は少女に魅了されていたのだった。


 ふと、少女の瞳がユーフェミアに向けられた。ドキリ、と跳ねる心臓。なんだか熱くて、手が震えてしまう。何かを言おうとしても、言葉が出なかった。


「あ、……」


 つい、と少女の目線が逸らされた。よく分からない不安に駆り立てられて、ユーフェミアは慌てて声を絞り出す。


「あの!」


 思っていたよりも大きな声が出て、ユーフェミアは驚く。それは少女もだったようで、水面のような瞳を見開いてこちらを見ていた。

 ああ、だけど、どうしよう。呼びかけたのはいいものの、どんな話をしようか考えてなかった。「あー」やら「うー」などの声を出しながら、ユーフェミアは考える。ドキドキと響く鼓動の音が、とても邪魔。……だけど、それほど嫌ではなかった。


「あの、その……えっと、そうだ! あなたの名前は?」


 ようやく捻り出した問いかけ。少女は可愛らしく、コテ、と首を傾けた。

 可愛い。マルクよりも可愛くて、愛らしくて、ドキドキする。赤くなった頬をそのままに、ユーフェミアはじっと少女を見つめた。

 けれども、少女が名前を教えてくれることはなかった。


「あなあ、……な、ぁえ?」


 可愛らしいぷっくりとした唇から紡がれた言葉は、とても不明瞭で、予想外なものだった。ユーフェミアは頭が真っ白になる。「え」と零れ落ちた言葉が、やけに大きく響いたような気がした。


「あなた……喋れないの?」

「しぁ……?」


 ユーフェミアは呆然としながらも、ゆっくりと考える。彼女が喋れなくて、こちらの言葉を理解していないのは明白。その事実に、胸が痛んだ。

 言葉を交わしたかった。彼女のことをもっと知りたかった。そんな思いがぐるぐるとユーフェミアの胸で渦巻く。

 しばらく考えて。ユーフェミアは気がついた。


「そうよ。喋れないのなら、喋れるようになってもらえればいいのよ」


 うん、それがいい。ユーフェミアはしゃがみ込んで、少女と目線を合わせる。嬉しそうに、だけど真剣な眼差しで少女の瞳を見つめた。


「私の名前はユーフェミアよ。あなた、名前はないのよね? だったら、そうね……ルル。ルルにしましょう! あなたは今日から、ルルよ!」

「うぅ?」


 少女──ルルは何も分かっていない様子で、首を傾げた。



 それが二人の少女の出会いだった。

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