第11話 ユウキ(6)
「服のサイズ、大丈夫?」
カーテンの中で着替えるユウキに女性が声をかけた。
「あ…えっと、これでいいですか?」
カーテンの中からおずおずとユウキが出てくる。
上は肘くらいまでの袖のTシャツ、下は青い生地のショートパンツだ。
これがTシャツと呼ばれる衣服であるというのは、目の前にいるハルカという女性が教えてくれた。
「ぴったりね!すっごく似合ってる!」
ハルカに笑顔でそう言われて、ユウキは何だかこそばゆいような気持になった。
「こんなにぴったりした服着るの初めてで、何か――」
そう言いながら所在なさげに腕を動かしたり、足を上げたりしてみる。
今まで来ていた服は麻布を筒状に縫い合わせただけの簡素なものだったが、今着ている服は適度にぴったりと体にフィットしていて、ユウキのすらりとした四肢を引き立てていた。
「あはは、そうよね。でもよく似合ってるよ」
背中まである長い髪の毛を翻して、ハルカはごそごそと靴を取り出そうとしていた。
「あ、そうだ。お腹は痛くない?」
靴をユウキに渡しながらハルカが思い出したように問いかける。
「……ちょっと痛い、かも、です」
生理から来る重く鈍い腹部の痛み。動けないほどではなかったが、波のようにそれは強くなったり弱くなったりしていた。
「じゃあこれも渡しておくね。痛み止め。つらくなってきたら飲んでね。1回に2粒だから」
そう言いながらユウキの手に銀色の包装紙の小さな包みを渡した。
ユウキは深々と頭を下げる。
「ありがとうございます、その」
「いいのよ。良く逃げてきたね」
ハルカは穏やかな笑顔でユウキの顔を上げさせる。
腰近くまである黒く長い髪に、涼やかな目元はどことなく姉のカオルに似ていた。
ハルカより少し袖が短い黒いTシャツを着ており、海の色のような青い長ズボンを履いている。すらりとしつつもその豊かな胸を村の人たちのように隠さず、堂々と体のラインを出していた。
ハルカの左のこめかみ近くからほほ、唇の端に掛けて大きな切り裂かれたような傷跡が残っており、よく見るとTシャツから出た腕にも無数の傷跡があったが、それでもユウキから見てハルカはとても美しい女性だと思った。
八景島は横浜と橋でつながれた島である。
島側には巧妙に岩に擬態したバリケードが張られており、ドスケベ解放同盟の者だけがその隙間から出入りしていた。
島の中にはかつては遊戯施設などで栄えただろう廃墟が今なお残っており、タカシたちドスケベ解放同盟はその廃墟を利用してアジトにしていた。
ユウキがタカシとコウタロウに支えられアジトに到着すると、数名の男性がタカシの元へ駆け寄った。
忙し気なタカシをその場に残してユウキは傷の手当と着替えのためにハルカに迎えられたのだった。
「あなたが着てた服、血がついちゃってるから洗ってから返すわね」
ハルカが丁寧に服をたたみながら言う。
「あ――すみません」
今となってはそれは、ユウキにとって唯一の母との思い出だった。
確かに布はボロボロだったが、ユウキの背が伸びる度にそれを夜な夜な1針ずつ縫い直してくれた服だ。それを汚れているから捨てるのではなく、洗って返すというハルカにまた頭を下げる。
「ほら、顔あげて。生理用品はなくなったら言ってね」
ハルカはユウキの頭をくしゃくしゃとなでながら笑った。その温かい手のひらにユウキの眼から涙がこぼれそうになった。
「着替え、終わったか?」
部屋の外からコウタロウの声がする。
「終わったらタカシさんが来てくれって」
ほんの少しだけ、びくり、とユウキの心臓が跳ねた。
「ハルカに虐められなかったか?」
タカシの元へコウタロウやハルカとともに赴くと、開口一番イタズラっぽい笑顔でタカシはユウキに問いかけた。
「こんなかわいい子にそんなことするわけないでしょ」
笑いながらハルカがそれに抗議する。
そのやりとりは、ふたりの間に信頼があるのだとわかる空気が流れていた。和やかでゆったりとした空気。
タカシが本題を切り出す前に、ユウキはしばらくためらった後、意を決して声を出した。
「あの……私、その、皆さんにドスケベなこと、しなきゃいけないですよね」
コウタロウが目を丸くし、ハルカが眉を上げる。
「その、そういうこと、よくわからないですけど……命を助けてもらって、だから」
「ドスケベ解放同盟は」
ユウキが必死に言葉を選ぶのを遮って、穏やかにタカシは言った。
「ドスケベを解放し、自由にするのが目的だ。その中にはドスケベを見ない、という自由も含まれる」
言葉の意味がよくわからず、ユウキはタカシを見る。
タカシはなるべくユウキにわかりやすい言葉を選びながらドスケベ解放同盟について説明した。
ドスケベを開放するということは、ドスケベによって、ドスケベの被害が生まれる場合もあるということ。
だからこそ、このドスケベ解放同盟ではドスケベを見ない・選ばないという自由も存在するということ。
自分や他の人に対して、その人の好きなことを否定してはいけないということ。
しかし自分がされて嫌なことは拒否していいということ。
もしも誰かに無理やり嫌なことをされた時はすぐに他の人に言うこと。
「重ねていうが、君の身体と心、感情は、君自身だけのものだということだ。」
タカシは言葉を続ける。
「だから、君自身がやりたいと思うこと、知りたいと思うことはどんどんやっていいし、知っていい。もちろん、日々の仕事の手伝いはしてもらうけどね」
やさしく笑ってタカシはユウキを見つめた。
「わ、たし」
へなへな、とその場にへたり込むユウキに慌ててハルカが体を支える。
「私、村で、レジスタンスには、ドスケベなことをされるって、それしかできないんだって」
そう、ドスケベアーミーたちは常日頃言い続けていた。
レジスタンスたちはドスケベに支配されているため、新しく入ったものは男女問わず性的な暴力を受け、辱めを受けると。
その言葉に少し悲し気にタカシは頷く。
「……そういう組織も、確かにあることは否定しない」
ハルカもそっと目を伏せ、何かを思い出しているようだった。
「だが、俺たちはそんな組織にしたくないし、そんな組織はドスケベアーミーと変わらないと思ってる。だから……信じてほしい」
ユウキを見つめる瞳は静かに燃えていた。
「タカシ、いいやつでしょ」
アジトの中を案内しながら、おもむろにハルカは言った。
「はい」
ユウキは大きくうなずく。
「まだ何もわかんなくて怖いって思うかもしれないけど、タカシは絶対にあなたを守ってくれるから大丈夫」
そう言ってハルカは半ば無意識に頬の傷に触れていた。
タカシが自分を拾ってくれた時のことが、ふとよぎった。
無機質な唸り声を上げて、ドスケベアーミーたちの車が一列に走る。
「次の村が終わると、横浜に入ります」
ドスケベアーミーの報告にアーマード倫理観は目を細める。
「思ったより早かったな」
にたりと笑ったその顔は横浜のその先を見つめているようだった。
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