第10話 アーマード倫理観

銃声がけたたましく響き、ユウキの母の身体がその反動で踊った。

銃声が鳴りやむと、そのユウキの母だったものから赤い液体があふれ出る。

乾いた大地はまるで水に飢えた民衆のようにその赤い液体を飲み干そうとするが、それでも飲み切れなかった液体がゆっくりと円状に広がっていった。


その場に立ち込めた強い鉄の臭いに大人たちは声を上げることすらできなかった。

本能的に恐怖を感じたのだろう。子供が一人逃げ出そうと駆けだしたが、乾いた銃声数発響くと地面にもう一つ赤い水たまりができた。


「あ……ああ……」

村長は声を出そうとするが、その声は言葉にならない。

「なあ、村長よ。この女が娘を逃がしたことは、お前は知っていたのか」

笑顔で問いかけるアーマード倫理観に、村長は必死に首を横に振る。

「村の者誰も知らなかったと?」

舐めるように周りの村人を見回す。

「し、知らない」

「俺も知らなかった!」

「知りません!」

口々に人々が返答する。

その波が収まるのをアーマード倫理観は笑顔で見つめていた。

「なるほど、誰も知らなかったなら仕方ないな」

アーマード倫理観は、笑顔でつぶやき村長に近寄る。

村長がすがるような目でその顔を見る。

村人はみな同じ顔をしていた。誰もかれも、自分が助かりたい一心で張りつけられたようなすがるような目で自分を見つめているのを、アーマード倫理観は感じた。

圧倒的な力に対して、畏れ、恐れ、自分の力で何かを変えようともせず、自分は何もしていないと立証するためなら身内すらも差し出す、愚かな民衆。


アーマード倫理観が村長の前に立つと、ぐしゃり、と鈍い音がして村長の頭が爆ぜた。

アーマード倫理観の鉄の拳が村長の血で赤く光った。

「残念ながら、連帯責任だ」

その言葉を合図に、ドスケベアーミーたちから次々と銃声が鳴り響いた。

枯れた村の大地が次々に赤く染まる。

男も、女も、子供も、老人も。

ドスケベアーミーは逃げるものを残すことなく屠っていく。

「後は任せた。先に次に行く」

「逃げた娘はどうしましょう、探しますか」

ドスケベアーミーの一人が問いかけると、拳についた血を愉悦の目で見つめるアーマード倫理観は笑顔で答えた。

「よい、どうせ行先はわかっている」


アキは、西関東地区のある農村に生まれた。

それはアーマード倫理観が統治する遥か前のことだ。

アキはその他の農民と同じく、生まれたときからドスケベアーミーの指示のもと、許婚が決められ、日々農業に明け暮れる貧しい暮らしをしていた。

「やーい!ブス!不細工!!」

突然投げかけられた少年の声に、井戸から水くみをしていたアキは無感情にそちらを見た。

『不細工』はアキにとっては物心ついてから言われ慣れた言葉だった。

アキの鼻は奇妙に上向きに潰れ、頬骨は張り出し、目は開けているのどうかわからないほど細くはれぼったく、肌はあれた大地のようにでこぼことしていた。

自分は不細工だ、とアキはわかっていた。

自分が骨身に染みてわかっている当然のことをなぜこの少年たちは何度も何度も言ってくるのだろうとアキは冷めた目で見つめていた。

「やめなさいよ!」

怒鳴り声がし、蜘蛛の子を散らすように少年たちが逃げる。

振り返ると、アキの後ろには美しい少女が顔を真っ赤にして立っていた。

「リョウコ」

アキは怒鳴った少女に声をかける。

「だってあいつらアキちゃんのことを!」

リョウコはまるで自分のことのように怒っている。そんなリョウコを見てアキは少し頬を緩めた。

「いいんだよ、あたしブスだし」

「そんなことない、アキちゃんはかわいいよ」

リョウコが言うその言葉を聞いて、アキは所在なさげに苦笑いした。

「アキちゃんが言い返さないからあいつら調子に乗るんだよ」

そう怒りながら話すリョウコは美しかった。

美しい人は怒っている顔もきれいなんだなあとアキは感心していた。

「ありがと、あたし家に帰るよ」

まだ何か言いたげなリョウコを制し、アキは踵を返した。


リョウコはアキと同じ年に生まれた。

その美しい見た目と、優しく正義感溢れる性格は村の人気者だった。

そんなリョウコは何故かアキとよく一緒に過ごし、いつもアキに話しかけた。

麦の脱穀がうまくいかないこと、水汲みの時にいつも転びそうになること。訳もわからず母親に怒られたこと、小さな白い花が咲いていて綺麗だったこと。

アキは喋ることが得意ではないが、その話をじっくりと聞いて、どもりながらも答える。

麦の脱穀をするときの小さなコツや、水汲みの時は腰に力を入れると桶を倒しにくいこと。大人たちは今不作で気が立っていること、白い花はナズナという名前だということ。

リョウコはアキのたどたどしい言葉一つ一つをキラキラした瞳で食い入るように聞いた。そしていつも最後に同じ言葉を言うのだ。

「アキちゃんはすごいねえ!アキちゃんはすごく賢くてすごく素敵だよ!」

アキはいつもそれを聞くと所帯なさげに笑うのだった。

リョウコのほうが美人で明るくて、口下手で不細工なアキよりずっとずっと素敵なのだ。何故、そんな自分にリョウコはそこまで言ってくれるのか、アキはよくわからなかった。


重たい水桶を持ち直し、もうすぐ家につく、という時だった。

ある小屋の横を通りかかったアキの眼に、その軒先で少年たちと戯れる許婚の姿が映った。

アキより3つ上のすらりとしたその少年は、アキに気付かず少年たちと喋っていた。

「アキが許婚ってほんとにきついよな、あれと子作りできんのかよ」

そう言われた許婚は笑いながら答える。

「いやー、目をつぶってリョウコだと思ったら何とかなるかなって」

「リョウコなら美人でエロいからな」

ゲラゲラと下卑た笑いを少年たちは響かせた。

そして何か言葉をつづけかけた少年たちの一人が、誰ともなく少し離れたところで立ち尽くすアキの姿を見て隣の少年を肘でつつき、笑い声は静まる。

許婚の少年はバツの悪そうな顔をして、アキから目をそらした。

いつものように、気にしていないとアキが口を開こうとした瞬間、許婚は言った。

「そんな顔すんなよ、美人はエロいんだから仕方ないだろ」

少年たちは去っていき、アキはその場に残された。


アキは何か答えを得た気がした。

ドスケベは禁止されているのに美人はエロい。

自分はエロくないから忌み嫌われるのではないか。

自分は不細工で、エロくないから。

「おかえり、どうしたのアキ」

帰宅したアキの顔を見て母親が声をかけた。

しばしの無言の後、顔を上げたアキは感情の無い声で言った。

「あたし、ドスケベアーミーに志願する」


アキは、それから血を吐くような訓練を積み重ねた。

歳を重ねるにつれその背は男性を追い越すほどに伸び、その恵まれた体格もあってドスケベアーミーの中でアキはぐんぐんと頭角を現していった。

容姿に左右されず、己の実力だけでのし上がれるドスケベアーミーはアキにとっては最高の場所だった。

誰もあの村の少年たちのようにアキを見た目で貶めない。ただ実力があるかどうか、それを発揮できるかだけで判断されるその組織ははるかに村よりも居心地が良かった。

そしてドスケベキングの考えに触れるほど、アキはドスケベが、性欲につながるすべてのものが悪であるとの考えを確信した。

村の少年たちはドスケベに支配されてしまったのだ。

彼らはそこから変わろうともしない。ドスケベに支配される側なのだ。

だがその間違いは正さなければならない。

そのために支配する側に自分は立つのだ、とアキは思った。

愚かな民衆にドスケベキングがドスケベを禁止し、ドスケベの愚かさを力をもって説いてもあのザマであった。

ならば徹底的にドスケベから民衆を遠ざけ、ドスケベを排除して管理を強めるしかない。


西関東地区の長となったアキは、まず生まれ育った村に行った。

鋼鉄の鎧を身に着けた巨躯、それにかつて自分を馬鹿にした男たちは一瞬おびえたようだったが。

「……あれ、アキじゃねえか?」

「ほんとだ……」

殆どがアキだと認識した瞬間に小馬鹿にした表情に変わった。

「不細工が出世したもんだな」

「ってことはこの村もいい思いができるんじゃねえか?」

ぼそぼそとそんな声の中、村の中を歩く。

ああ、ここは何も変わっていない。アキはそう思った。その時。

「アキちゃん!」

足を止め、声のした方向を見ると、美しい女性が駆け寄ってきた。

「私だよ、リョウコだよ!立派になったんだねえ、アキちゃん!」

輝くような笑顔で女性はアキに声をかけた。

「リョウコちゃん」

アキの頬が緩む。

「アキちゃん、長いこと帰ってこないから心配してたよ。でも立派になったんだねえ!アキちゃんは賢いし努力家だからきっと頑張ってるんだって思ってた」

そのリョウコの声は、表情はあの頃と何一つ変わらない。

いや、それどころかあの頃よりもずっとずっと綺麗だ。

「本当におめでとう……やっぱりアキちゃんは賢くて素敵だよ」

弾んだ声に裏表はない。あの頃と同じようにリョウコはこちらにキラキラとした目を向けた。

その目を見て、瞬間的にアーマード倫理観は胸をかきむしりたくなるような衝動に襲われたが、それを深く息を吐いて静めた。

自分には、ドスケベを無くすためにやるべき使命があるのだ。

「リョウコ、今日はあたしみんなに知らせることがあって来たんだ」

そう言ってアキはリョウコに歩み寄る。

リョウコは不思議そうにアキの顔を見上げ、そのまま固まった。

鈍い衝撃とともに、リョウコの腹部は鉄の拳に貫かれていた。

拳の先は血にまみれ、背中から飛び出している。

それをゆっくりと引き抜くと、ごぼ、と口から血の泡を出しながらリョウコはその場に崩れ落ちた。

ひ、と周りの男たちが声にならない声を上げた。

「美しい女は、ドスケベであり、抹殺せねばならない」

低く、しかし大きな声でアキは言葉を続ける。

「あたしが西の将、アーマード倫理観である」

リョウコの血の臭いは、色は、倒れて血の気を失ったその顔は、それでも美しかった。

そしてそれらは確かに、アキに支配の快楽を与えていた。


「アーマード倫理観様、間もなく次の村につきます。」

ドスケベアーミーの声に車上のアーマード倫理観は目を開く。

逃げた少女の行く先もわかっている。

焦らなくてもいい。この西関東地区は自分が支配しているのだから。

「――次の村には確か、美しい少女がいたな」

南へと走る車の中で、アーマード倫理観は少女を殺すことを考え、今から起こる惨劇とその愉悦ににたりと笑った。

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