第14話

「さてと……どこから話せばいいのかしらね」


 よく整理された部屋の真ん中でテーブル越しに向かい合った大隈は困ったように頬杖をついていた。


 その仕草から珍しく本当に困っていることが想像できた。


 無理に急かしてもしょうがないので、大隈が話を始めるまでなんとなく周囲を見渡すことにする。


 いつものファミレスから車で十分のところに大隈のマンションはあった。 


 ボロイといえるほどに古くは無く、綺麗といえるほどに新しくはない。 

 

 うまく表現するのが難しい……それくらい特徴の無い建物だ。


 そんなマンションの二階の真ん中、二LDKの部屋が大隈の住居だった。


 そして大隈の住んでいる部屋はその外観と同じようにシンプルで特筆すべきものが無かった。


 玄関には靴箱があり、その先にはもう一つドアがあってプライベート空間と家の入口が仕切られている。


 そのドアを開いた先には右側にキッチンがあり、一つのコップと数枚の皿が置かれているのが見えた。


「一人暮らしだからそれで事足りるのよ」

 

 外着をハンガーにかけながらどうでもよさそうに大隈は言った。


 そのキッチンの向かい……入ってきた場所から見て左側は六畳程の広さで、シンプルな色合いの絨毯が敷かれ、その真ん中には小さなテーブル、おそらくは衣類を入れているであろう小物入れ、そして申し訳程度の小さなテレビが一つあるだけだった。


 まったく部屋に無いわけでもないけれど、居住者の個性や好みを主張するような物が一つもない。 


 たとえるならテレビ番組のセット……もしくはとりあえず必要最低限のものだけを揃えてみただけの場所。


 そんな部屋だった。


 その奥は扉で仕切られているが、おそらくは寝室であろうが居間と同じようなものだろう。  


「寝室にはベッドが一つだけよ」


 視線に気づいたんだろうか、無機質に部屋の主が答えた。


「……ふん、そうかい」


 ぶっきらぼうに答える。


「ああ、そういえばちゃんと見たら片付けなきゃだめよ?」 


 そういってテーブルの上にばさりと何かを置く。


 それは卒業文集だった。 


「見回りをした先生がね、あなたが図書資料室から慌てて出てきたって話してくれてね……愛想は良くしておくものね」


「…………」

  

 皮肉と捉えて無言で返す。


 その仕草ですら愉快なのか、口角をグニャリと上げるあの嫌な笑いで返す。


「さてと、それじゃ本題に入ろうかしら……、あの人と出会ったのは高校生の時でね、入学したその日のうちに名前を知っていたわ……顔を知る前にね」


 自嘲するような笑いを浮かべ、大隈は話を続ける。


「美人だったし……それに成績も人当たりも良くて、どの部活の勧誘もまず最初に彼女のところにやってきたって噂よ」

 

 いったん話を切って、過去を思い出すように視線を上に向ける。


「そして私があの人と初めて出会った時……今でも忘れないわ、私が演劇部の入部用紙を出しに来た時にちょうど彼女もそれを出しに来て部室の前で一緒になったのよ……あら、あなたも演劇部なの?よろしくねって……いま思えば私はそれからあの人に魅了されていたのね」


「…………」


 昔話をする大隈の表情はあまり楽しげではなかった。


「昔の私を見た?」


 コクリと頷くと、ふっと笑う。


「笑っちゃうわよね……あれでも高校生になったんだからとそれなりに見栄えを気にしはじめていたころなのよ」


 自虐的な言い方にどう返していいかわからない。


「あんな姿だし性格も根暗だし……部の中ではその他みたいな扱いを受けてたわ、でも対照的にあの人は違った。まるで美しく着飾られた装飾品のように綺麗で、芸術品のようにあがめられてていて、そして皆に好かれていたわ……まるで瀬能さんようにね」


 優香の名前を出されて一瞬ビクリと肩が跳ね上がる。 

 

 そしてそれが大隈のある種の嫌がらせ? もしくはからかいだということにも気づいている。 

 

 手のひらに転がされるように、大隈の言葉に反応させられている……俺は一体いつまでこいつの思い通りにされるんだろう。


 ジワリと湧き出る羞恥と悔しさの苦味に耐える。

 

「だから私はあの人が嫌いでね……当然でしょ?どうして同じ人間でこんなにも差があるのだろうと劣等感を刺激されていたわ」


 俺の表情を察したのか、クスリと笑いながら……、


「ビックリすること?魅了されるのとあの人が好きなのかは別の話よ、実はね……今でも私はあの人のことが果たして大好きだったのかわからないの、彼女の言うとおりにこんな誓いを立てても……ね」

 

 そう言うと大隈は立ち上がり、シャツのすそをめくりあげる。


「な、何を……」

 

 しているんだと言う言葉は最後まで言うことが出来なかった。


 シャツをめくりあげて、あらわになった大隈の腹部は無数の傷痕でズタズタとなっていた。


「驚いた?私が自分でつけたのよ、彼女に命令されてね」

 

 何か鋭利な刃物のようなもので切り裂かれていたそれは人間の皮膚とは思えないような状態になっていて、生々しい縫合跡や一部ケロイド状になっている箇所もあった。 

 

 人間は理解の範疇外のものを見せられるとやはり何も言えなくなるようだ。 


 うめき声すらあげられず、でもそこから目を離す事ができない。 


ただただ呆然と視線を固定されて身じろぎすら出来ないでいた。


「村瀬祐理恵って人はね……誰からも愛されていたけれど誰も愛してはいなかった人間だったの……ううん、それは違うわね、誰も愛せないから彼女なりの愛情表現を自ら作り上げていたというのが正しいの……かしら?」


 愛おしそうに傷痕を撫でながら、大隈は困り果てたような、悲しそうな表情をしていた。


 ここまでのことをするほどに村瀬という人間に魅了(愛しているとは限らないようだが)されていた大隈も彼女のことを理解しきれていないようだ。


 狂気とも思えるその行動、そして記憶には無いが確実に俺自身に刻まれている『村瀬祐理恵』の異常性に圧倒されながらも、俺は大隈の気持ちが理解できた。


 やはり俺と大隈はどこか似ている。 


それが確信できた。


 もちろん優香は俺に大隈のようなことを望むはずは無いだろう、だが仮に優香がそれを望んだのなら俺も間違いなく同じ事をするだろう。


 たとえその真意が分からなくても……だ。


 なぜなら俺も『瀬能優香』という存在に魅了されているからだ。


「そ、それで……村瀬祐理恵って今は……どこに?」


「死んだわ、交通事故でね……私が誓いを立てた夜にトラックに跳ねられて……バラバラになってたそうよ」


 言い放つ大隈に俺はどう反応していいのかわからなかった。


 今まで大隈が話してきた村瀬祐理恵との特殊な関係は単純に友人といえるようなものではなかったし、親友という響きとは明らかに違うものだった。


 だが、少なくとも大隈の中では村瀬祐理恵という存在が未だに風化せず、彼女の心の中に消えずにいるということは理解できる。


 だからこそ大隈の淡白な態度がわからなかった。


 大隈と村瀬との関係は俺が知っている言葉では表現できないものだ。


 それは気持ちの強さとも大きさとも美しさとも違う。


 別次元のなんとも言いがたい代物で、理性と本能がドロドロと混ざり合った『人間であるがゆえ』の何かだった。


  

「……あっさりと言うんだな」


 素直に抱いた感想が口から出る。 そんな俺の言葉に対する答えは……、


「……あら、人間って死ぬのよ、簡単に……そして唐突にね」


 言い切る大隈はまるで紙切れのように無機質に見えた。


「私がそれに気づけた時にはあの人は死んでしまった。それだけよ……そして」


「……そして?」

 

「私は空っぽになってしまったわ、今でも……たぶんこれからもね」

 

 無表情で大隈はそれだけポツリと答えてくれた。



 それから数時間後、俺はいま優香の家の前に立っている。 時刻はもう日付を越えて大隈のマンションにいたのは昨日になっていた。


 もちろんこんな時間では優香も優香の両親も寝ているだろう。 


 二階の優香の部屋を見上げると、電気は消えている。


 しかし彼女の部屋の灯りはここ数ヶ月間一度もついていないことを俺は知っている。


 衝撃的な大隈と村瀬との過去を知り、そして村瀬の死を聞かされて驚いている俺にやっと最後に今日、彼女のマンションを訪れることになった理由を大隈は教えてくれた。


「何故あなたがあの人のことを忘れていて、でも強烈に覚えていたのかは知らないわ……でもね、実はあなたと瀬能さんのことを私は彼女が生きていた頃からそれとなく知っていたのよ」


 昔話を終えた大隈はシャツをスカートに戻しながらやっと俺の疑問に答えようとしてくれた。


「ど、どういうことだ?」

 

 すでに余裕は無く、喉がカラカラになって唾すらうまく飲むことすら出来ない。


「さっきも話したでしょ?村瀬祐理恵って人はね、人を愛せないから自分なりの愛情表現を作り上げていたって……昔、彼女が私を足蹴にしながら言っていたのよ、いま貴女のスペアを作ろうとしてるって……」


「ス、スペア?」


 問い返す俺に興味無さげに答える。


「そう、スペアよ……私は彼女のおもちゃで崇拝者にされた……いや、なったんだけどね、そのときに言われたのよ『貴女だけじゃ不満だからもう一人男の子をスペアとして育ててる』ってね……そしてそのときにもう一つ面白いことを言ってたわ」


 今度は出会った頃のようなサディスティックな笑みを浮かべてこちらを見る。


「『その子には将来、私のような美人に育つ可能性のある女の子がいるからとりあえずその子のことを好きになるよう命令しておいたの』そういってあの人はニッコリと笑った後に私に『だから貴女も努力しないと要らなくなるから頑張りなさい』ってナイフを渡して帰っていって……その日にあの人は死んでしまった」


「そ、それって……まさか……」


「ええ、そうよ、それは君、そしてその女の子というのは……」


「ゆ、優香」


 搾り出すような声にニコリと笑い、


「ビンゴ~!彼女は最後にもう一つ言ってたわ……『きっとその子はその女の子のことを好きだと思いこんでて、もしかしたら互いに好きになって付き合ってるかもしれないわね、そしたら急にその男の子の前に立って、その女の子の前で彼女のことを否定させるの……作り上げた思い出も何年も抱き続けていた気持ちが偽者だと否定されて……、きっとその子もその女の子も素敵な表情をするかもしれないわ、ねっ?凄く楽しみで……ゾクゾクするでしょう?』  


 村瀬の声を真似ているのか、普段とは違う感じで俺に言う。


「お、俺……が優香のことを……命令……されて……好きに……なった?」


 自分がどんな顔をしているのかはわからない。


 だが大隈は凄く嬉しそうに、また一番可愛らしく笑いながら俺を見ている。 


 そしてその表情が自分の記憶の底に残っていた村瀬祐理恵の笑顔と重なった。


 そのことによって大隈の言っていることが真実で、俺がそういう命令を受けていたという事実が正しいことを理解してしまった。


「嬉しいわ……やっとあの人の最後の『遊び』を叶えることが出来た」


 まるで何年も目指していた夢が叶ったかのような態度で大隈は満面の笑みを浮かべ、打ちひしがれている俺の前ではしゃいでいる。


 ふと表情を変え、今度は真剣な顔で、


「さて、これが私の知っている真実よ、実は私がこの学校に来たのもそれが目的だったの……すぐに見つかるかしらと思っていたけれど、あの演劇のコンクールで優勝した映像を見たらすぐにあの人が言っていた女の子が瀬能さんだと気づけた。そして彼女のそばでうろちょろしている男の子もすぐに見つかった」


 それが……俺か。  

 

 これが大隈が俺達の前に現れた理由……そしてあの時の質問の真相。


 ……俺が優香を傷つけて……そして、そこまで堕ちるまでに強く望んだ気持ちが他人に命令されていただけのことだった……つまり、偽者だった。


 いや自体はそれだけじゃない。 


 今までの俺の人生……それ自体が大隈が言うところの村瀬祐理恵の『遊び』の延長だったなんて……。


 力なくうな垂れる俺を見て、ひとしきり笑い、はしゃいだ後に大隈が俺の髪を掴んで無理やり上げる。


「…………」

 

 何も言うことが出来ず、気がつけばボロボロと涙を流していることに気づいていた。

 

 そんな俺を大隈がじっと見据えながら問いかける。


「それで……これから、どうするの?」


 残酷な質問の……俺の答えは……。


 



 すでに優香の家の前に立って三十分以上たっている。 


 無性に優香に会いたいような気がする。


 だが会ったときにどんな顔をしていいのかわからない。


 なにより今、彼女に声をかけられてしまったら俺は今までの自分の所業に耐えられなくなるだろう。


 自分の気持ちだから、十年以上も作り上げてきた他の誰でもない優香を愛しているというこの想いも全てが、とある一人の怪物による戯れに過ぎなかったなんてあまりにも残酷すぎる。


 そしてそんな戯れによって優香を傷つけ、そしていまそのことによって彼女自身を苦しめているという事実に俺は耐えることが出来ない。


 会いたい、会えない、でも会いたい、でも会ってはいけない、交錯する想いは何重にも捩れて、俺の心臓を捻じ切ろうとしている。




 そして幾十、幾百、幾千、幾万の葛藤の末、俺は………………………その場から逃げ出した。

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