第12話
「はい! そこで東田君はもっと大きく動いてちょうだい……うん、そうよ……そんな感じね、そしてシーン5から始めるから、スタンバイして下さい!」
離れたところからでもよく通る声が聞こえる。
「大隈先生って副顧問だよね?演技の指導までしてるの?」
「なんか元々はこの学校の演劇部だったんだって……」
「そういえば、赴任してきたときに何人かの先生に声かけられてたもんね」
大隈がこの学校の出身だって?
確かに妙に芝居がかったことをするところはあったが……。
「大隈先生って何歳だっけ?」
話していた二人に声をかける。
振り返った部員達は一瞬、? というような顔をしたが、すぐに表情を戻して、
「ああ……近藤君、確か十年位前に卒業したらしいから二十台後半じゃないかな」
「そうか~、ありがとう」
お礼を言った後にその場を離れる。
これ以上あの場に居てもしょうがない。
会話が続かず俺も彼女達も居心地が悪い感覚で曖昧に笑いあうだけだろう。
『ああ……』の後の僅かな逡巡が俺と彼女達との距離感を表している。
かつての俺は『瀬能優香という光』の隣で蠢いていた虫けらだった。
もう少し柔らかく言い換えれば、『近藤恭介』は『瀬能優香』のおまけでしかなかったのだ。
それ程までに彼女の存在は大きかった。
比喩でも誇張表現でも俺の誇大妄想染みた狂信でも無い。
優香は小さいころから様々な人たちを魅了してたのだ。
俺はそれを小さいころからずっと見ていた。
子供であったが故に大人達の言葉が本心で言っていることに気づき、また自我の確立が未熟であった幼児の俺はそういうものだと頭で理解する前に心で理解した……いや理解させられたというのが正しいだろう。
そういえばそう思い始めたのはいつからだっただろうか?
はっきりと認識したのは今年の春だったことは確かだ。
あまりにも当たり前に存在していて疑問にすら思わなかったのだろうか?
自分自身のことなのによくわからない。
まあそんなことはどうだっていいか……。
タイミングよく目的地に着いたので思考を切り替えるとしよう。
学校の施設、三階にある『そこ』の前に立ち慎重に引き戸を引く。
幸いなことに鍵はかかっていなかった。
入室する前に視線を上に動かし、無意識にその場所の名前を心の中で読み上げた。
「図書資料室」と。
引き戸を開けて慎重に進入すると、本と独特の匂いが鼻腔を刺激する。
そしてそっと戸を閉め目的の棚へと迅速に向かう。
早くしないと稽古が終わってしまう。
大隈に俺が居ないことに気づかれてしまうとまずい。
さすがにすぐにはこの場に向かったとは気づかれないだろうが、それでも何かの拍子にこの場所に居たこと、もしくは先ほどの会話を知られれば目的にも気づかれてしまうだろう。
他の先生、もしくは生徒に見つかっても適当に言い訳をすれば問題は無い。
確かに図書室では無く図書資料室に用があるのは珍しいが、探してる本が無かったから資料室にあると思ったとでも言えばいいだろう。
基本的に図書室に無い本は廃棄されていないのならば図書資料室にあるものなのだから……。
だが妙に勘の鋭いあの女教師ならばすぐに俺の目的に感づくだろう。
目的の物は必ずこの場所にある。
最新版が毎年春過ぎにこの場所に置かれるからだ。
それに運もあった。
大隈がアラフォーだったのなら、それは棄却されていたのだから。
「よし……あった」
目的の物は専用の棚に年代順に整理されて置かれていたので探す時間もかからなかった。
俺はその目的の代物、つまり卒業文集の年代をチェックする。
十年くらい前だそうだから数冊だけ取り出して慎重にページを開く。
まさか大隈がこの学校の卒業者でなおかつ演劇部のOGだったとは……。
この情報が大隈と俺の圧倒的な戦力差を覆すような機会になるかはわからないが、少なくとも魔王にひのきの棒で戦わされるような絶望的状況から胴の剣で戦えるくらいの希望にはなるだろう。
たとえ僅かでも大隈のことを知ることができたのなら弱みでも握れるかもしれない。
0と1の間にはその数字以上の無限の差がある。
なぜなら1は十をかければ十に、百をかければ百になる。
仮にかけなくても足すだけでも僅かなりとも増えるからだ。
だが0に万をかけようが0を億足そうが0は0なのだ。
世の中には知らなくていいことも確かにある。
当たり前ではあるが『知らなければ』『知る』ことも出来ないのだ。
たとえばそれが自分自身の夢や希望、根拠の無いプライドと自信がボロボロに崩されることもあるかもしれない。
あるいは自身の地域、国が抱えている問題や間違いに気づかされることもある。
『知る』ことによって夢を諦めるかもしれないし、今までのようには生きることが出来ないということもありえる。
もしかしたら『いっそ知らなければよかった』と思うこともあるだろう。
だが『知る』こと自体は絶望では無い。
夢を諦めるのも絶望するのも自分自身が決断することなのだ。
また『知る』ことが希望を生むことも更なる夢への覚悟を促すこともある。
『事実』は残酷なまでに世界に存在し、知ることによってゴロリと目の前に現れ、それに気づかされる。
そして俺はそう思うからこそ、俺自身の醜悪でドロドロとしたエゴを『知らせない』という行動を優香にしているのだ。
「……見つけ……た?」
確信がコンマ何秒かで半確信にはなったが、やっと卒業文集の中に大隈の名前が見つかった。
しかも演劇部の集合写真の中で……。
だが数十名の大所帯の隅に座っている大隈の姿は現在とはまるで違っていた。
やぼったい髪型に少しだけぽっちゃりとした地味で陰気な女がそこには写っていた。
陰鬱な雰囲気が写真越しからでも伝わってくる。
「本当に大隈……なのか?」
さすがに可能性は低いとは思うが同姓同名の可能性も無くも無い。
それほどまでに写真の大隈と現在の大隈とではあまりにイメージが隔てていた。
確かに大隈は美人な方ではない。
せいぜい十人並みといえるほどだ。
だが対応が柔和で他人を嫌な気持ちにさせることが無い……いわゆる癒し系というやつだろうか?
少なくともこんな世界を僻んでいるような瞳はしていない。
一応、念のため他の年代の卒業文集を確認してみようかと思ったところで、この根暗そうな女が大隈だと確信した。
強烈な吐き気と共に……。
大隈が写っていた写真は彼女が一年生の時の物だった。
なぜそう思えるのか?
添え物のように大隈が端に座っているその写真はかつて演劇部が何かの大会で優勝したときのようで、写真内の上部に祝 平成○○年 演劇コンクール優勝と飾られている。
写真の注釈にはご丁寧に名前と学年が記述されていた。
そして優勝杯を持ち、真ん中に座っている女を見た瞬間に胃がひっくり返ったかのような錯覚に口を抑えて俺は悶絶する。
見覚えがある。
俺はこの女に見覚えがあるのだ。
そしてそれはこの嘔吐感と倍速になった心拍数によればかなりネガティブな方向で見覚えがあるのだろう。
写真の注釈には村瀬佑里恵(一年)と書いてあった。
さっき俺はこの村瀬祐理恵という女生徒に見覚えがあると言った。
それも明らかに異常と思えるような反応を身体が示したことから俺がこの人を知っていることは間違いない。
だが見覚えはあるが記憶が無いのだ。
ニッコリとした表情とよく整った造形が画質の悪い写真上でも良くわかる。
そして文集をつぶさに見ていけばこの村瀬という生徒が学校内でもかなりの人気だと理解できた。
文集のあちらこちらに彼女の名前や写真が載っているのだ。
まるでこの文集自体がこの人の為に作られたのではないかという気さえしてくる。
卒業文集という公的な意味合いが強い一冊の本にまるで崇め奉られる独裁者のように彼女は圧倒的な存在感をだしている。
戸惑いながらも俺は文集の中の彼女の姿をいつまでもいつまでも覗き込んでいた。
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