第11話 有角姉妹



 同じ頃、ナギの進むのと正反対の方向から、森の中を駆ける二つの人影があった。


 それらは、二人の華奢な少女達の姿であった。


 彼女達は、麻の質素な衣服をまとい、何も履いておらぬ白い素足を暗闇の中の様々な物で傷つけて赤く染めながらも、森の中を懸命に走っている。


 まるで、背後から襲い来る何かから逃げるような姿であった。




 彼女達の姿は人間のそれとは少々異なっていた。


 額には二本の湾曲した角のような物が生えており、また彼女らが暗闇に足を取られて転びそうになる度、腰の後ろでバランスをとるように左右に揺れているのは、蛇体のようにしなやかで艶やかな、黒い尻尾のようなものであった。



 カモシカのように細い足で強く地面を蹴って先導するのは、短髪で目元の切れ上がった、勝気な面立ちの少女であった。


 その背後で彼女に手を引かれ、よたよたと走っている長髪の少女の方は、前者に酷似してはいるが、その泣き腫らした目元が対照的に柔らかに垂れており、外見的にも明らかに性格の相違を示している。



 「頑張って、ラン。もう少しだから‼」


 先頭で手を引く姉のリンが、後続の妹を鼓舞する。


 ランは言葉を返す余裕もなく、ただ姉の後を付いていくだけで精一杯の様子であった。



 先導するリンが背後のランを顧みて、僅かに前方から目を逸らした瞬間であった。


 彼女は足元に伸びる木の根に気が付かず、そこにつまづいてバランスを崩してしまった。



 アッと声を上げてよろけた際、握っていた妹の手を離してしまう。


 ランも、姉の躓いた木の根でしたたかに爪先を突くと、あっという間に体勢を崩して転倒してしまった。



 リンは何とか転ばずに踏みとどまったものの、背後で妹が転倒した事に気が付いて、慌てて彼女のもとへと駆け戻った


 「ラン‼」


 リンが傍に寄ると、ランは地面に体のどこかを打ち付けたのか、痛みに顔を歪めていた。


 リンは妹に怪我がないか確認しようと身を屈めたが、その時、木々の向こうの暗闇の中に、赤い灯が揺れながら此方に向かって来ているのを見た。


 リンはゾッとして慌ててランを抱え起こす。


 「……お姉ちゃん、痛い――」


 ランは痛みを訴えるが、疲労と恐怖に消耗しているのか、その声が諦念を含んだような弱々しいものと成った。


 「うるさいっ‼ 我慢するのよ‼ 」


 リンは緊迫感がそうせしめたのか、未だかつて姉として妹に対して投げかけたことのない、恫喝するかのような強い語勢で叫んだ。



 リンは泣きべそをかく妹の肩を担ぐと、妹の怪我の有無などに配慮する余裕もなく、力一杯彼女を引き摺った。



 脚を踏み出す活力を失った妹の体は容易くは動かせず、リンは自分と同じ体格の少女がこれほど重いのかとまざまざと思い知らされた。



 そんな二人の背後からバタバタと近づく足音を、姉妹ははっきりと耳にしていた。


 もう、逃げ切る事は不可能であると悟りながらも、尚も姉は逃げる事を止めなかった。



 足音が肉迫した瞬間、姉妹の体は何かに弾き飛ばされるように、前方の地面へ投げ出された。


 肩を組んでいた姉と妹は散り散りとなって地面に倒れ伏し、地面に叩きつけられた勢いで肺腑から空気が押し出され、視界に火花が散った。



 リンは、苦痛に呻きながら背後を見ると、そこには松明を掲げた鎧姿の男が下卑た笑いを浮かべながら立っていた。


 リンは、男に蹴り飛ばされたのだと悟った。


 「やっと、追いついたぜ。手間かけさせやがって」


 男は苛立たし気に吐き捨てる。


 そこへ、もう一人松明を持った痩せた男が遅れて到着し、膝に片手を置きながら、ぜえぜえと荒い呼吸音を鳴らした。


「くっそ、どこまで逃げるってんだよ、こいつら」


 痩せ男は、松明の光に照らしだされた血色の悪い土気色の顔に、玉のような大粒の汗を浮かべながら言う。


 「おい、とっととこのガキどもを連れて帰るぞ」


 先に追いついた色黒の男は既に息を整え、痩せ男を急かすように言いながら、ランの方へ近づいた。



 疲労と痛みにまだ地面に顔を埋めていたランの、その豊かな茶髪を鷲掴みにすると、そのまま力任せに持ち上げた。



 ランは紙を裂くような細い悲鳴をあげた。


 リンは、痛む体に鞭打って立ち上がり、色黒の男に向かって飛び掛かった。


 男は、腕に纏わりついて来たリンの軽い体を、腕を振っていともたやすく弾き飛ばした。


 リンは小さく悲鳴をあげて地面に転げた。


 「おい、早くそいつも捕まえろ」


 色黒の男は、億劫そうに痩せ男へ命じると、痩せ男が下卑た笑みを浮かべながらリンに寄って来た。



 男がリンにその手を掛けようとした瞬間、シュッと風を切って、黒い何かが痩せ男の顔面に襲い掛かった。



 ギャッと声を上げて男が尻もちをつく。


 顔を覆った男の指の隙間から、つうと赤い筋が腕を伝った。


 男が掌を顔から離すと、その頬にパックリと、真っ赤な切れ込みが入っていた。


 痩せ男は、自身の手に付いた血を確認するやいなや、怒りに頬を痙攣ながらリンを見た。



 彼女の麻のスカートの裾から、しなる黒い尻尾が宙へ伸び、男のものと思われる血を浴びてぬめやかに照りながら、蛇が鎌首をもたげて威嚇するように、男へその鋭い切っ先を向けていた。


 「何もたもたしてんだ!」


 色黒の男が叫ぶと、痩せ男は地面から跳ね起き、憤った様子でずかずかとリンのもとへ歩み寄った。


 リンの尻尾が再び男を迎え撃とうとむちのようにしなるが、先程の不意打ちと異なり、すでに手を明かした状態の尻尾は、容易く痩せ男に掴み取られた。


「クソッ! このガキが!」


 男は怒りをぶつけるようにリンの尾を荒々しく握り、力一杯引っ張り上げた。



 リンは、尻尾に通う神経がブチブチと断ち切られるような激しい痛みを覚えて、甲高い悲鳴をあげた。


 リンの軽い体は尻尾を支えに、男によって軽々と宙へ持ち上げられた。


 ピンと張った尻尾によって、リンのスカートが捲れ、下着もまとっていない真っ白な臀部でんぶが露わになった。



 リンは痛みに耐えるように体をくの字に折り、痛みと羞恥しゅうちが織り交ざって、まぶたの縁から涙を露のようにこぼしながら悲鳴をあげるも、その半ば嬌声きょうせいのような声がむしろ男の嗜虐心しぎゃくしんを煽りたて、男は興がのったようにリンを宙で上下した。



 色黒の男に拘束されたランは、姉の痛々しい様子に、痩せ男へ容赦を懇願しながら彼女の元へ駆け寄ろうともがくのだが、色黒の男がそれをさせまいと髪を強引に手繰り寄せて沈黙させる。


 「おい、遊んでんじゃねえぞ!」


 色黒の男の怒声に、痩せ男はリンを地面にドスンと落とすと、空いた左手で腰に差してあったナイフを取り出す。


 「待てよ。こいつは俺の顔に傷を付けやがったんだ。切り落としてやらねえと気が済まねえ!」


 痩せ男はそう言うと、地面に俯せたリンの晒されたままの細い臀部を、革靴の底で力一杯踏みつけた。



 リンはその痛みに、声に鳴らない呻き声を上げ、更にこれから自らの身に起こる不幸を予期して、瞼に涙を溜めた。



 痩せ男が、ピンと張らせたその尻尾の蛇の鱗のような肌へ、ナイフの白い刃をあてがった瞬間であった。



 森の暗闇の中から、突然、小さな太陽のように白く輝いた光球が飛来し、痩せ男の胸部に直撃した。



 質量の塊に弾き飛ばされるかのように、痩せ男は悲鳴も上げずドッと風を鳴らして藪の向こうへすっ飛んで行った。



 色黒の男が光球のまばゆさに目をくらませながら、未だ何が起きたか理解できないでいるところへ、暗闇の中から獣のような俊敏さで駆けて来た影があった。


 漸く気が付いた男が迎撃態勢にうつる暇も与えず、影は男が盾としようとしたランをサッとかわすと、手にした棍棒のような得物を力一杯に振るって男の顔面をすくと捉えた。



 男は、自身の鼻と前歯がゴリゴリと粉砕させられるような感触を覚えながら、殴打の威力のまま地面へ叩き伏せられた。


 「ゴバァッ‼ ガァアッ!」


 男は地面に倒れ、砕けた鼻と歯から噴き出した血液をゴホゴホと地面に吐き出した。


 襲撃者はそんな男に対し追撃は加えなかった。


 男は、ひとしきり血を吐き出すと、遅れて襲い掛かってくるガンガンとした痛みに耐えながら、目前で自身を睥睨する襲撃者を見上げた。



 足元に転げた松明が照らすのは、ローブを纏った小柄な人影。


 フードから覗く肌は夜闇の中でもはっきりと分かる程に白く美しい、ナギのそれであった。

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