第3話 探しもの
* * *
(うーん……おかしいわね……)
本棚に囲まれた空間の隅、閲覧用の長机の前で、ハーシェルは本の文字とにらめっこしていた。机の端には、黄ばんで角のすり減った本が重ねて追いやられている。
ハーシェルは王都の国立図書館に来ていた。
母の形見である瑠璃色の石――ラピストリアに関する情報を集めるためだ。
ラピストリアは通称、『王の石』と呼ばれている。アッシリア王国とナイル帝国がまだ一つの国であった時代のこと、石を扱う力を受け継いだ王たちが、その力を使って国を治めてきたからだ。石の力とは、あらゆる自然をあやつる力である。王は地上が乾けば雨を降らし、嵐が来ればそれを治めることができた。
しかし、石の使い道について意見が分かれ、国は二つに分裂。この時、石も砕けてなくなったというのが、おとぎ話「王の石」に記されている内容であった。
――しかし二年前、ハーシェルは衝撃の真実を知った。
誰かが作った「おとぎ話」とされていたそれは、すべて実際に起こった出来事であり、さらに石は砕けずに今も存在していたのだ。ハーシェルの母であるセミアが肌身離さず首に下げていた石が、その石だったのである。
だが、すでに石は誰かの手によって強力に封印されていた。力のない石はただの宝石類と同じ。そのため、ナイル王家は長い間石のことを気にかけていなかったが、当時七歳だったハーシェルが封印を解いてしまったことで、事態は一変した。
封印を解いたと勘違いされたセミアはアッシリアによって暗殺。あやまちに気づいたアッシリアは、今ではハーシェルの命を狙っている。二つの国は今でこそ冷戦を保っているが、いつ何が起こるか分からないというのが現状だった。
そして真実を知った今、ハーシェルには多くの疑問が残った。
国が二つに分かれたのは約千年前、石が封印されたのは約二百年前とされている。
では、千年前から石が封印されるまでの間、石はどこにあったのか。そして誰が、何のために封印したのか。なぜ、自分には封印を解くことができたのか。
アスリエル王たち石の存在を知る者に尋ねるも、その答えは誰も知らなかった。とても古い時代の話であるせいか、知識はすでに途絶えてしまっているらしい。
ならば本なら何か分かるのではと、ハーシェルは城の本を片っ端からあさった。だが、石についてはおとぎ話『王の石』以外、何ひとつ書かれていなかったのだ。
そこで、国中で最も多くの本が集まっている、ここ、王都国立図書館を利用するにいたったというわけである。
ここで見つからなければ、もう石に関する情報は一生得られないと思っていいだろう。ここには百年以上昔に書かれた本も多く収められている。何も見つからないはずはないのだが……
(やっぱりこの本にもない。どうしてどこにも書かれていないんだろう。昔の人なら、石の存在を知っている人がいてもおかしくないのに……)
ハーシェルはあきらめたように一つ吐息をつくと、厚みのある本を片側に閉じた。
椅子から立ち上がり、机の上に乱雑に重ねていた本を一つ一つ本棚に戻していく。国の成立に関するもの、古代史に関するもの、世界各国の伝説に関するもの。
もしかして、探し方から変えた方がいいんだろうか……。
物思いにふけりながらすべての本を戻し終えるころ、一人の老人が本棚の側を通りがかった。
「おや? 今日はもうお帰りですか?」
数冊の本を両腕に抱え、図書館の司書、兼館長である老人が棚の間で立ち止まった。しゃんと伸びた背中は安定感をもって本を支え、鼻の上には半月形の眼鏡が引っかかっている。
「ええ、最近口うるさい従者が城にいて。遅くなると面倒なのよ」
ハーシェルは本を棚に収めながら答えた。
司書は困ったような顔をした。
「しかし、城を抜け出すのもほどほどにされませんと。周りの方が心配されますよ」
「いいのよ別に。きっと、口で言うほど気にしてないわ」
そうですかねぇ……と司書は疑わしげに言う。
「それより、」
トン、と最後の本を棚に戻し終えてハーシェルは続けた。
「私がここに来ていること、誰に聞かれても絶対に言わないでね。バレたら即立ち入り禁止にされちゃうわ」
むしろ待ち伏せされるかも、と深刻な表情で言うハーシェルに、司書はやんわりと言った。
「分かっているのでしたら、少し控えてはいかがかと」
これでも最近は控えている方だ。従者が何も聞かず、ただ黙ってついて来てくれるような性格であれば、こそこそする必要はないのだが……。
生真面目なくせっ毛の若者を思い浮かべて、ハーシェルはわずかに面倒くさそうな表情を浮かべる。
「何をお探しなのか存じませんが、おっしゃっていただければ、私が適当なものを見繕って城にお届けしますよ? 何も、あなた様がわざわざ足を運ばれる必要はないのでは」
司書が気をきかせて言った。ハーシェルの安全と労力を考えてのことだろう。それか、一人でふらふらほっつき歩くなと言いたいのかもしれない。
「いいえ、遠慮しておくわ。城の外には、私が好きで出てるんだもの。それに、何でも人にやってもらうのもどうかと思うし。そういうのは、城の中だけで十分よ」
ハーシェルは肩をすくめた。
司書はやれやれ、というふうに苦笑した。
「そうですか。まあいいでしょう、あなたがそうおっしゃるのなら」
司書は、このさっぱりとした性格の姫が嫌いではなかった。それに、この広大で物静かな図書館でのよい話し相手となっていることも確かだ。
ハーシェルは椅子にかけていたマントを取り、木綿のワンピースの上から羽織った。マントのフードを深くかぶる。
「じゃあ、また来るわね。そのときはよろしく」
よろしく、というのは人払いのことだ。
司書には、手が空いているときには、なるべくハーシェルの周囲に人を寄せつけないようにしてもらっていた。この国の王女の顔を知っている者は少ないが、念のためだ。
「はいはい、いつでもどうぞ」
司書は孫に接するような口調で言った。
ハーシェルは図書館を出た。夕暮れどきの街は人通りも穏やかになり、昼間よりゆっくりと時間が流れているように感じる。
今日はいつもより時間短縮したものの、あの側近がたとえ数分だろうとハーシェルの不在に気づかないわけがない。かと言って特に早足になるわけでもなく、ハーシェルは市場通りの石畳をのんびりと歩いた。
(今夜は嵐かしらね……)
晴れ渡った茜色の空を見上げていると、一人の少年が隣をすれ違った。
ハーシェルと同じくらいの背格好だ。短い黒髪とすたれた茶色のマントが、風になびいてゆらめく。
ハーシェルはひゅっと息をのんだ。
通り過ぎた横顔を目で追って、とっさに振り返る。
「ねえちょっと……」
しかし先を急いでいるのか、声をかけようとした時には少年の姿は通りの角に消えようとしていた。ハーシェルは後を追いかけた。
「待って!」
ハーシェルは必死の思いで離れていくマントに手を伸ばした。
手は届かなかった。しかし、走っていた少年は目の前でゆっくりと足を止めていた。
振り返った少年は、髪と同じく真っ黒な瞳をしていた。顔だちの幼さから、ハーシェルより二、三歳ほど歳下のようである。
そばかすの上でくりっとした目を驚いたように少し見開き、少年は「はい?」と言った。
ぴくり、と指先が震える。伸ばされていた手は、力をなくして下に落ちた。
「ごめんなさい。なんでもないわ」
ハーシェルはぽつりと言った。きょとんとした顔の少年を残して、ハーシェルは踵を返す。
太陽が低くなった位置から、街につらなる屋根をオレンジ色に照らす。建物の濃い影が、ハーシェルが進む地面の先々に長く伸びていた。
「――いるわけ、ないのにね」
小さくつぶやいた声は、誰の耳にも届くことはなかった。
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