第一章 襲撃

第1話 新たな主

 ルカはあまり機嫌がよくなかった。

 というのも、今日から姫付きの側近に任命されたのだ。

 王族の側近は大変な栄誉である。周囲はそう言うし、実際ルカもそう思う。しかし、ルカにとっては不本意なことこの上なかった。

 同僚にそう伝えると、返ってきた反応はだいたい想像通りのものだった。


「はあ? やりたくない? 何言ってんだお前」

 カイルはあきれ顔で言った。

「姫の側近って言ったら、相当な出世じゃねえか。俺なら一つ返事で引き受けるけどな」

 友人の不満げな表情に、カイルは首をひねる。

 ルカはぶつくさと文句を言った。

「だって、相手はまだ十四だぞ? ほとんど子どものお守りじゃないか」

「子どもって、お前とたいして変わんねえだろ」

 カイルがせせら笑う。それから、ルカの顔面に指を突きつけた。

「いいか。とにかく、これはれっきとした昇進だ。名誉なことだ。もし降りたりでもしたら、父親よりも先に俺がお前をぶん殴るからな」


(こんなことなら、もう少し手を抜いておくべきだった……)

 ルカは過去の自分を悔やんだ。

 ルカが側近に選ばれたのは、ひと月ほど前に開催された武闘大会で優勝してしまったがゆえだった。

 武闘大会は年に一度、国王主催で行われる。今年は優勝候補が怪我で欠場していたこともあり、ルカが最年少で優勝杯を勝ち取ったのだ。

 ルカは近衛隊として国を守ることが誇りだった。そのためなら、日々の稽古も、それこそ血反吐を吐くほど辛いこともあるが耐えられた。

 しかし側近ともなれば、一日中主人のそばについていることになる。その間、近衛隊としての仕事はどうなる? 稽古の時間も、明らかに減るだろう。

 生ぬるい日々は、ルカに武術の衰えと退屈をもたらすとしか思えなかった。

(その上、温室育ちのお姫様に剣を教えろとは、まったく先が思いやられる……)

 庭に続く回廊の角を曲がったルカは、ぎくり、と足を止めた。

 柱の影が差す廊下の先に、一人の少女が立っている。年齢や様相からして、間違いなく姫だろう。

 待たせてしまったことにやや焦りを覚えながら、ルカは今日から主人となる相手にあいさつをした。

「お待たせしてしまい申し訳ありません。ルカリア・ウィルキンスです。今日より、側近として姫のそばでお供させていただきます」

 深く頭を下げ、ルカは正式な敬礼の姿勢をとった。

 姫は何も言葉を発さない。

 そろそろ動いてもいいものかと顔を上げかけた時、姫が言った。

「あなた、この間の武闘大会で優勝したそうね。過去最年少とか」

 ルカは慌てて頭を下げた。

「はい」

 思ったより芯のある声だ。位の高い娘と言えば、ふわふわした花か、くねった蔓のような話し方をする者ばかりと思っていたが。

「そう。剣はお父上から?」

「はい。幼少期より、剣に限らずほとんどの武芸は父より学んで参りました」

「ふーん……。あ、顔上げていいわよ」

 姫が思い出したように言った。

 初めて近くで姫を目にしたルカは、おや? と思った。

 一国の姫にしては、ぜいたくに育てられてきた感がない。

 これと言って派手な装飾もなく、唯一の装飾品と言えば、首から下げられた母の形見である瑠璃色の首飾りくらいだ。国の頂点に立つ位としては、いささか質素なように思える。

 澄んだ茶色の瞳で、しばらく観察するようにルカを見つめていた姫は、少し驚いたようにつぶやいた。

「……似てないのね」

「はい?」

「いえ、こっちの話」

 きょとんとするルカをよそに、ハーシェルはあっさりと話を切り替える。

「剣は持ってるわね」

「はあ、持ってますが……」

 唐突な質問に、ルカは思わず素で答えた。

 平然とした顔で、ハーシェルは思いもよらぬことをルカに告げた。

「じゃあ、今から私と勝負なさい。大会で優勝したというからには、さぞかし腕は立つのでしょう。でも、もし負けたら側近からは降りてもらうから」

「……は」

 ルカは一瞬、ハーシェルの言っている意味が分からなかった。

 勝負? 負ける……?

 この俺が。馬鹿にしてんのか。

 それに、いきなり王女に剣を抜くというのも気が引けた。負けて後ですねられても困るし、ここは穏便に断っておくのが互いのため――

 そう踏んだルカは、にっこりと愛想笑いを浮かべた。

「しかし姫、」

「さ、行くわよ」

 こちらの話などお構いなしに、どこから出したのやら剣を片手に握ったハーシェルは一気に間合いを詰めてきた。

 風が吹く。

 重なり合った剣は、あたりに高い金属音を響かせた。反射的に抜いた剣を握りしめ、ルカは後悔に青ざめた。

(しまった……!)

 一度でも剣を受けたら、それは勝負を受けたことと同義と見なされる。今この瞬間に、勝負は始まってしまったのだ。

 それを分かってか分からずか、ハーシェルはちらりと笑った。

 すっと身を引いたかと思うと、すばやく次の手を打ってくる。ルカは手すりを飛び越えて庭に降り立った。

 ひらりと舞う長い衣をものともせず、ハーシェルは動きに一切の遅れを取らない。剣の応酬を始めてすぐに、ルカは自分の見解が間違っていたことに気づいた。

 ――上手い。

 厳しい入隊試験をくぐり抜けてきた兵士でも、ここまでの者はなかなかいない。なぜそこまでする必要があるのかは分からないが、これまでかなり本気で取り組んできたことは分かる。

 負ければ側近から降りられる。願ってもないことだ。

 だが、負ける気は毛頭なかった。ルカの自尊心が、それを許さなかった。

 振り降ろされた剣を、受けずに身体を横に反らしてかわす。そのまま背後にまわり込み死角をつくが、間一髪でかわされる。これは予想通りだ。

 体勢を立て直す隙を与えず、ルカはさらに前に踏み込んだ。

 ハーシェルの目に焦りの色が浮かんだ。

 ルカの剣は正確にハーシェルの剣を弾き出した。手元を離れ、剣が高く宙を舞う。

「……っ」

 サッと表情を変え、ハーシェルは剣が落ちた先へ動こうとした。

 ――が、急にその場で動きを止めた。

 ハーシェルの喉元には、今にも触れそうな位置でルカの剣先が伸びている。

 微動だにしないまま、つと目だけで白い刃に視線を落とすと、ハーシェルはふっと息をついた。

「やるじゃない」

 緊張していた空気が一気にゆるむ。

 ルカも身体の力を抜き、剣をさやに収めた。軽く一礼する。

「お褒めに預かり光栄です」

 ハーシェルは剣を拾いに行くと、衣の内側にそれを収めた。振り向いた時には、剣はどこにもなかった。衣で上手い具合に隠しているようだ。

 姫が剣を扱えることは他言無用。だからいつも外から見えないように身につけているのだろうが、この警備の厳しい王宮の中でいったい誰が姫の命を狙うというのか。

「稽古は毎朝」

 激しい動きで乱れた身なりを直しつつ、ハーシェルは明日の天気でも話すように言った。

「六時から、朝食が始まるまでの二時間。あと夕方に一時間と、湯浴み前の一時間。他にも、時間がある時はその都度やることになると思うわ。あとの時間は、好きに使っていいから。一応、連絡のつく場所にはいるようにね」

 稽古以外の時間は自由ということか。思ったよりだいぶ時間に空きがあるようだが、果たして側近がそれで良いのだろうか。

「はい」

 疑問に思いつつも、ルカは返事をした。続きがないところを見ると、ハーシェルは本当にそれ以上の指示を出すつもりはないようだ。

「今日からよろしくね、ルカ」

 束ね直したなめらかな茶髪をゆらし、振り返った口元がかすかに笑う。

 ルカの側近就任が決まった瞬間だった。

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