第25話 アスリエル vs ハーシェル
「ならぬ」
王の返答は、極めて簡潔なものだった。
分かってはいたものの、実際に面と向かって言われるとあまりいい気持ちはしない。ハーシェルは眉をしかめ、王座に居座る父を見上げた。
「どうして?」
片ひじを椅子に預けたアスリエルは、ひょいと片眉を上げた。
「その理由を私がわざわざ言わねば分からぬほど、そなたは愚かなのか?」
父の皮肉にももう慣れたものだった。
特に表情を変えるわけでもなく、ハーシェルは少し考えると言った。
「私がまだ子どもだから?」
「いいや、違う」
アスリエルはあっさりと否定した。
それから、よく響く低い声で言った。
「この国の姫だからだ」
またか。
ハーシェルは苦虫をかみつぶしたような顔をした。
父もヘステラも他の人たちも、何かにつけて「姫だから」とハーシェルの意思に口を出し、行動を制限しようとしてくる。一度もそのようなことを言ったことがない人なんて、母のセミアくらいだ。セミアはいつだって、ハーシェルを一人の娘として真正面から向き合ってくれる。
「じゃあ、私が王子だったらよかったわけ?」
苛立ったハーシェルは、ぞんざいな口調で言った。
アスリエルは目つきをやや険しくした。
「その言葉づかいは聞き捨てならんが、今回は置いておくとしよう。王子か。そうだな、場合によっては考えたかもしれぬな」
やっぱりそうなのか。
思えば、ハーシェルが姫に生まれたことが不運の始まりだったのかもしれない。王子であれば堂々と剣を習うこともできたし、もっと自由に行動することもできただろう。そもそも、自分の性格と周囲が押しつけてくる姫の理想像が合っていないのだ。
アスリエルは続けた。
「しかしそなたは姫だ。一国の姫が戦に出るなど、天地がひっくり返ってもありえぬ。そのようなこと、いちいち言わずとも分かると思っていたがな。そなたは、私が思っていた以上にとんだ大馬鹿者だったようだ」
表情こそほとんど変わらないが、その声音には沸々と煮え立つ溶岩のような熱がこもっている。
普通、王をここまで怒らせたとなれば、人々は一目散にしっぽを巻いて逃げるだろう。しかしハーシェルは引き下がらなかった。
「だけど、私は戦えるわ。国や人を守ってこその剣じゃないの。そうでなければ、私が今まで積み重ねてきたものの意味がなくなってしまうわ」
真っ直ぐにアスリエルを見据える茶色の瞳に、偽りの影はなかった。
その瞳を見返し、アスリエルははた目には分からないほど、ごくわずかに眉根を寄せた。
(自分の命さえ守ればそれでよいというに。まったく余計なことを……)
ハーシェルはふと、王から怒りの波が徐々に引いていくことに気づき不思議に思った。いったいなぜだろう?
そして、次に発せられた言葉に耳を疑った。
「では、私と勝負しろ」
「……え?」
思わず目を点にするハーシェルをよそに、アスリエルは王座を立ち上がるとカツカツと壇上から下りてくる。
「私に勝ったら、戦に行かせてやってもいい。ただし負けたら、即刻この場から立ち去れ。それと一週間、部屋からの外出は一切禁止だ。よいな?」
ハーシェルが断らないことを分かっているのだろう、同じ床上に立つと、アスリエルは邪魔になる肩かけを床に捨て置いた。
ハーシェルはひそかに歓喜の声を上げた。
父が剣を振るっているところなど一度も見たことがない。きっとそうする必要がないからだろう。護衛は山のようにいるのだ。
それに比べ、ハーシェルは毎日のようにラルサと剣を交えている。剣を使っていたと言ったって、もう昔のことだろう。自分が負けるはずがない。その上、幸いにもハーシェルは稽古着のままだ。先ほどまでリディアの大使と対談をしていたアスリエルの服装は、肩かけを取ったところであまり動きやすいとは言えない。
(女だと思って見くびってたら大間違いよ……)
ハーシェルは腰を低くし、剣の柄に手をかけた。
一方のアスリエルは、肩かけを外したこと以外、まるで構える様子が見られない。アスリエルは、いつものように淡々とした口調で言った。
「相手を勝てぬ状況まで追いつめた方が勝ちだ。殺すのはなしだが、少々のけがは認めよう。戦場で傷一つつかぬなどありえぬからな」
そう言うと、アスリエルは緊張感の感じられない動作で柄に手をかけた。
「さあ、いつでもかかってきていいぞ」
ハーシェルは、疑うようにじろりとその姿を見つめた。
本当に戦う気があるのだろうか?
……まあいい。勝てないと思って言ったことなのだろうが、すぐに後悔させてやる。そして明日、自分もラルサと共に出陣するのだ。
ハーシェルは目を閉じると、深く息を吸った。そして、剣を引き抜くと同時に動いた。
冷たい石の床を一直線に駆け抜ける。
走りながら正面に向かって腕を動かすが、それはフェイクだ。すばやく後ろに回り込み床をけり上げると、ハーシェルは空中でアスリエルに向かって剣を振り放った。
しかし、剣がまさに肩を切り裂こうとするその時になっても、アスリエルは動こうとしなかった。
ハーシェルの瞳が焦りに揺れた。
どうしよう。このままじゃ本当にけがをさせてしまう。
そう思った瞬間だった。
気づけば、ハーシェルの剣は勢いよく弾き飛ばされていた。くるくると宙を舞った剣は弧を描いて床に落ち、流れるようにその上を遠く滑っていく。
目の前に立つアスリエルは、すらりと長い抜き身の剣を構えていた。動いたときにめくれたのだろう、普段そでに隠れてほとんど見えない腕は筋肉質で太く、よく鍛えられていることを示している。
ハーシェルは呆然と立ちすくんだ。
いつ、剣を抜いたのかすら分からなかった。そもそも普通、あんなにぎりぎりから動いて間に合うものなのだろうか? どれだけ動きが速いんだ。
ショックで固まるハーシェルに、不意に影が差した。
側に立ったアスリエルは、冷たい瞳でハーシェルを見下ろしていた。
「うぬぼれるな。たとえ許可したところで、その程度の腕では戦場に足を踏み入れたその時に殺されてしまうだろう。自分の技量を判断する能力もなしに、よくその口で行くなどと言えたものだ。それに、最後のはなんだ。そなたは敵を前にして、殺す目前になったら手を緩めるのか? ここが戦場なら、あの瞬間に確実にそなたは死んでいた。甘いにもほどがある」
ハーシェルは何も言い返すことができなかった。それは、ひとえにアスリエルの言葉がすべてが正論だったからだ。
「それと、私が剣の修行を欠かしたことは、ここ数十年、一日もない。どうやら見くびっていたようだが。それすらも見抜けぬようでは、やはりまだまだだな」
アスリエルは剣をさやに収めた。床に落としていた紺の肩かけを拾い上げ、無造作に背中に羽織り直す。
(そう言えば昔、父様は強いとかラルサが言ってたっけ……)
ハーシェルはぼんやりとしながら思い出した。
「先ほど言ったように、そなたには一週間の謹慎処分を命ず。よく頭を冷やしておけ」
最後にちらりと振り向いて言うと、アスリエルは衣をひるがえしてその場から立ち去った。
一人になっても、ハーシェルはしばらく動くことができずにいた。
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