第17話 帰還

 噴水がある広場を出発して間もなく、街並みの奥に城の先端部分が見えるようになってきた。黄味がかった白い石壁に濃い灰色の塔の先が、まるで針のように空に向かって突き出している。

 ハーシェルたちが乗る二頭の馬は、周りを前方に二名、両脇に二名、後方に三名の計七名の護衛に囲まれていた。

 あまり目立たないよう、護衛は控えめにしておきます、と言っていたサラバンだったが、もう十分に目立っているとハーシェルは感じた。しかし、守られている当人たちは位の割にはずい分と質素な服装なので、武装した集団に囲まれて歩いている姿は、貴族の護衛というよりはむしろ罪人の護送のようだ。

 日は傾き、澄んだ水色の空は徐々に茜色に染まり始めていた。

 石畳とレンガ造りの家々が建ち並ぶ都会の風景は、いつの間にか乾いた土の地面と緑の草地に変わっていた。そして、丘のようになった坂道を、蛇のように曲がりくねりながら進んだその先に、ナイル城はあった。


 見上げるような高さとその存在感に、ハーシェルは圧倒された。


 いくつもの塔を伴ってそびえ立つ城の姿は、「美しい」「幻想的」というよりも、「重厚」「荘厳」といった言葉の方がよほどふさわしい。入り口となる城門の両脇からは厚い壁が延々とのび、城を大きく囲っている。左右の太い門柱の頂点にはワシの形をした石像がとまっており、今にも動き出しそうな様子でこちらを見下ろしていた。

 馬から降りたハーシェルは、おののくような気持ちで思わず後ずさった。

 自分は、本当にこのようなところに来て良かったのだろうか。

 街からそう離れたわけではないのに、ずい分と遠くへ来てしまった気がする。実はハーシェルがこの国の姫というのは誰かのとんでもない勘違いで、本当の姫は別にいるんじゃないか、そんな気さえしてきた。

 不安な思いの中、ワシの石像ににらまれながら、ハーシェルたちは門から門へと暗い通路を通過した。

 視界が一気にひらけ、明るくなった。

 その先の光景に、ハーシェルは目をぱちくりさせた。


「おかえりなさいませ、セミア様、ハーシェル様!」


 そこは、目を疑うほどに広大な庭園だった。

 アイリスの野がすっぽり入ってしまいそうな広さの中、色とりどりの花が咲きみだれ、枝分かれした道は模様を描くように前方へと続いている。それはまるで、カラフルな絨毯を一面に敷きつめたかのような光景だった。

 アイリスの野には自然が生み出したやわらかな美しさがあったが、この庭園には、人の手によって作られた洗練された美しさがある。荘厳な雰囲気の外観からは、とても想像できないような風景だ。

 そしてさらにハーシェルを驚かせたのが、出迎えの人の数だった。

 五十人はいるだろうか。女官や武官、文官、さまざまな身分の人々が、道をつくるように庭園に立っていた。ハーシェルたちがその間を通ると、皆はあふれんばかりの笑顔で話しかけてきた。

「よう、ラルサ。元気だったか?」

「お久しゅうございます。王妃様!」

「姫様も、よくぞご無事で」

「心配いたしましたぞ」

 見回すばかりの顔は誰もが幸せそうで、セミアとラルサもそれに笑顔で応えた。

 もっとも、ハーシェルにそんな余裕はなかった。このような大歓迎も注目も浴びたことがなかったハーシェルは、ただただ驚き、周りの人々を見回すだけで精一杯だった。

 自分は誰も知らないのに、みんなは自分のことを知っている。そのことが少し不思議に思えた。

 歓迎の嵐に飲み込まれるように庭園を進んだその先で、数段連なる階段を上るとハーシェルたちは城内に入った。

 そこでも、ハーシェルは何十人もの人々に歓迎された。

 いったい、城には全部で何人の人たちがいるんだ。ハーシェルは目が回りそうになった。

 城内も、庭園に負けず劣らずすばらしかった。

 床にはクリーム色の大理石が広がり、ドーム状の天井はどこまでも高い。その天井や壁、柱の隅々にまで細かく装飾や彫刻がほどこされており、いかに時間をかけてこの城が建築されてきたのかがよく分かる。

 仲の良い人を見つけたのか、城内に入るとセミアは近くの男性と親しげに会話を始めた。

 ラルサもどこかへ行ってしまい、暇をもて余したハーシェルが天井の装飾にぼけっと見とれていると、横から中年の女性に声をかけられた。

「さあさ、姫様。まずはお召し替えされませんと」

「おめしかえ……?」

「着替える、ということですよ」

 きょとんとした顔のハーシェルに、女の人は微笑んで言葉を付け加えた。

「王様にごあいさつにうかがう前に、身なりを整えなければいけませんからね」

「王様って……お父さん⁉」

 ハーシェルは、ぱっと顔を輝かせた。

 女の人はにっこりと微笑んだ。

「ええ、もちろんそうですよ。姫様にお会いできることを、心待ちにしていらっしゃいます」

 ずっと会いたかったお父さんに、やっと会える……!

 ハーシェルは城や庭園のどんなすばらしい光景よりも、そのことに一番心が浮き立った。

 足どりも軽くハーシェルは女の人の方について行こうとしたが、その前にセミアの方を振り返った。

「お母さんは一緒に行かないの……?」

 隣の男性と話をしていたセミアは、ハーシェルを見るとすまなそうに眉を下げた。

「ごめんね。お母さん、この後ちょっと用事があるから、先に行っててちょうだい」

 不安そうな表情になるハーシェルに、セミアは笑いかけた。

「大丈夫よ。用事が済んだら、お母さんも行くから」

「……分かった!」

 うなずくと、ハーシェルは女の人と、他に二人ほどの若い女性と一緒にその場を離れた。

 いくつもの廊下を抜け、階段を上がり、何度も角を曲がった。ハーシェルはもう、自分が城のどのあたりの位置にいるのか分からなくなっていた。もしも一人で放り出されたら、とてもじゃないが目的地にたどり着ける気がしない。

(お母さん、ちゃんとハーシェルがいるところまで来れるのかな……?)

 ハーシェルは、あっさり母と別れてしまったことを後悔し始めていた。

 不安な思いを抱く中、廊下の突き当りにさしかかったところでハーシェルはようやく部屋に通された。

 淡い水色を基調とした壁に、白の薄布をたらした天蓋つきのベッド。左側には天井まで届きそうな大きな窓が広がっており、夕暮れ時のうっすらとした日の光が部屋に差し込んでいる。

 全体的にすっきりとした部屋で、ハーシェルには好印象だった。それに、ずい分と広い。こんなに広い部屋、いったい何に使うのだろうか。

「今日から、こちらが姫様のお部屋になります」

「……ええ⁉」

 澄ました表情で言う女性に、ハーシェルはびっくり仰天して声を上げた。

 部屋の広さは、ハーシェルが住んでいた小屋の面積を全部足してもまだ届かないくらいだ。そもそも、自分の部屋すらもったことがないハーシェルにとっては、とんでもなく贅沢に思えた。

「申し遅れましたがわたくし、女官長のヘステラと申します。姫様のお世話は主にこちらの侍女たちがいたしましょうが、わたくしもたまにお手伝いさせていただくことがあるかと存じます。どうぞ、よろしくお願いいたします」

 ヘステラがやわらかく微笑んだ。笑うと、丸い顔にえくぼができて愛嬌がある。

「えっと、はい、お願いします……?」

 ハーシェルは、たどたどしく言葉を返した。

 王都に入ってからというもの、会う人みなが妙に丁寧過ぎて、なんだかやりにくい。それに、「姫様」と呼ばれてもどうにも自分のことだという気がしなかった。

 ヘステラが衣装ダンスから服を取り出すと、ハーシェルは女性たちに手伝ってもらいながら着替え始めた。

 一から十まで、それこそ服をぬぐことから新しい服の簡単なボタン留めまで手伝ってくる侍女たちに、「服くらい自分で着れるよ」とハーシェルはわずらわしそうに言ったが、「姫様は何もされなくていいのですよ」とにこやかに一蹴されただけだった。ほぼ突っ立っているだけで、いつの間にか着替えは終了していた。

 ふんわりと軽い白の生地に、すそにかけてつるのような金の刺繍がほどこされている。その場で一回転すると、ふわり、となめらかな生地がひざ下で広がった。

「うわぁ……」

 感動の声をもらすハーシェルに、ヘステラはにっこりと笑った。

「よくお似合いですよ」

 それからなにやら髪まで整えられ、ちょっとしたアクセサリーをつけると、ようやくハーシェルは着せ替えから解放された。

 鏡に映った自分の姿を見て、ハーシェルは思わずため息をこぼした。

「本当にお姫さまみたい……」

「あなたは、正真正銘のお姫様ですよ」

 まるで自分が姫ではないかのような言い草に、ヘステラは苦笑しながら言った。

(早くお母さんに見せたいな。お母さん、ハーシェルだって分かるかな?)

 ハーシェルはわくわくしながらセミアを待ったが、その後セミアが部屋を訪ねて来ることはなかった。

 ハーシェルは、一人で父に会いに行くことになった。

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