第二話 少女期

― 王国歴1018年-1024年


― 王国南部ボション男爵領



 ビアンカが十歳の頃、南側の隣接国カンディアックが隣の領地ヴァリエールに攻め入ってきたことがあった。


 幸いにも戦はそれ程長引くことはなく、王都から派遣された騎士団と魔術師団によって収められた。そこは以前から度々小競り合いを繰り返していた地域だった。今回、魔術師団までが動いたのは敵国が魔獣を操って襲ってきたからである。



 ボションの領地からは距離があるため戦の様子はうかがえなかった。しかしビアンカは毎日学校から帰ってくると、屋敷そばの小高い丘の上から何かに引き付けられるように戦地の方角を一心に眺めていたのだった。



 ある日の午後、ビアンカが丘に行かなかったのでスザンヌが体調でも崩したのかと尋ねた。


「お母さま、戦はもう終わって魔術師も騎士の皆さんも今朝王都に帰って行かれました」


 丘からは何も見えるはずもないのに彼女はそう答えたのである。


「そうですか、良かったわ。とりあえず一安心ですね」



 ビアンカの表情は安心とはほど遠く、自室の窓から王都のある北の方角をなんとも切なげに眺め続けていた。胸騒ぎをおぼえたスザンヌだったが、何も言わず優しくビアンカの髪の毛を撫でてそっと抱きしめたのだった。




 ビアンカはその夜夢を見た。黒いフード付きのマントを着た人が馬に乗って去っていく、その前後にも似たような黒ずくめの格好の人間が馬に乗って移動している。どこかの街で道の両脇に人だかりができていて皆が馬上の一団に歓声を送っている。


 ビアンカはその人ごみに揉まれながら必死でその黒いマントの男性を追いかけようとしている。


「待ってください、あの、私です! ビアンカです!」


 ビアンカの声は周りの雑音にかき消されてその男性には届かず、一行はどんどん遠くへと行ってしまう、というところで目が覚めた。


 ビアンカは自分が泣いていることに気づき、更に涙が止まらなくなってしまった。深い悲しみにしばらく支配されてなかなか気持ちが切り替えられなかった。


 そして度々同じ夢を見るようになり、ビアンカはある決意をしたのであった。




 ビアンカはもともと学校でも真面目に勉学に励む子供だったが、その頃から何かに取りつかれたように勉強するようになった。


 男爵家では家庭教師を雇わず、領地の他の子と共に学校で学ばせる方針だったため姉弟全員が町まで毎朝通っていた。


 教師も務めていたジェラール牧師は学業の出来るビアンカに、前々から初等科以上の教育を受けさせてはどうかと男爵夫妻に薦めていた。


「お屋敷に専門の教師をお雇いになるか、ここから一番近いトロイ市の中等科にお嬢さまをお送りになるか、それともお嬢さまの成績なら王都の学院へもご入学可能かと」


「私たちとしてもビアンカの能力でそこまで行けるなら出来るところまでやらせてみたいのは山々です、ジェラール。本人とも良く相談してみますわ」




 スザンヌとポールの本音としては、男爵とは言っても名ばかりの貧乏貴族のため高度教育のための資金の問題の上に、特殊な能力を持ったビアンカを多くの人の眼にふれる大都市で生活させるのにはかなり不安があったのだった。


「ビアンカ、お前は学校の過程が全て終了した後は何がしたい?」


 スザンヌとポールはある夜愛娘に聞いてみた。すると普段はおしゃべりな方でないビアンカが目をキラキラと見開き、まるでこの機会を逃すものかという勢いで喋りだした。


「お父さま、お母さま、私を王都の王宮侍臣養成学院に送ってください、お願いします!」


「えっ、王都まで?」


「はい。ジェラール先生は貴族学院へも行けるとおっしゃるのですが、そこは入学金も学費も非常に高いそうです。それに男爵令嬢とは言え、私はとても入学後の他の方々とのお付き合いがうまくできるとは思えません」


「それに貴族学院は王国一の難関でしょう」


「ええ、でも騎士か魔術師か文官になる予定でない貴族の女子は、いわゆる花嫁修業をするだけだそうです。私がなれるとしたら文官ですけれど、学業の水準も高く、入学できても周りについていけるか自信がありません」


「ビアンカは頑張り屋さんだから勉強の面では大丈夫だと思うけどね」


「その点、侍臣養成学院でしたら下級貴族に平民、誰でも試験に合格すれば入学できるのです。しかも成績上位者には奨学金制度というものがあって、学費全額か一部免除、もしくは将来もらえる給金から少しずつ支払えばいいそうなのです。それに遠方からの学生には寄宿舎もあるのです。ですから、かかる費用は王都への旅費と寄宿費だけなのです」


 ビアンカは一息ついてさらに続けた。


「それにもし将来王宮や高位の貴族のお屋敷に就職できればかなりまとまった給金がもらえるそうなのです。お父さま、お母さま、だから、あの」


「ビアンカ、それだけ自分で調べているのだったらもっと早く相談してくれれば良かったのに」


「お母さま、ごめんなさい。何となく言い出せなくて。でも、私分かるのです、私はどうしても王都に行かないといけないって。理由は分からないのですけど、でもいつの日か絶対に行かないとならないのです」


「ビアンカ、そこまでお前が言うのなら学院の試験に挑戦してみなさい、費用のことは心配しないでいい。ただし王都へ行くのはお前が十五になってからだ。これだけは譲れないよ」


 ビアンカは嬉しさでポールに抱きついた。


「お父さま、ありがとうございます! お母さまも。私絶対試験に合格してみせます」




 その後スザンヌとポール夫妻は寝室で二人しみじみとビアンカが屋敷に来てからのことを思い出していた。


「あの息も絶え絶えだった赤ん坊が、病気がちで心配ばかりさせられていた私たちの小さなビアンカがなあ、月日が経つのは早いね」


「別れが悲しくなりますわね、あなた」




 ジェラール牧師の推薦状を持ってビアンカが王都に向かう日の朝はボション男爵家では涙涙の別れだった。


「王都から手紙書きますね、姉弟仲良くしてお父さまとお母さまをしっかり支えてね。皆愛しているわ」


 一週間ほどでビアンカが試験に無事合格し、すぐに学院に途中入学できるという手紙が届いた。もちろん一家全員ビアンカが安定した将来に向かって一歩を踏み出したことを喜んだ。


 しかしスザンヌもポールも口には出さないものの、これでもうビアンカが二度とこの南部ボション領で家族と共に再び暮らすために戻ってくることはないだろうという不安と寂しさが確信に変わったのだった。

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