20151226:私のカラフル笑顔

 十二月二十日。


 小さな爆発音が確かに聞こえた。ヨットの殻を伝った音は、上からという漠然とした方向を示すのみで、何がと言った情報を欠いていた。

 悪い知らせだった。思いもしない音が良いわけがなかった。

『警告です!』

 AIはオレンジアラートを告げた。今すぐ命への危険はないが、放置は危険というものだ。

 ……だからといって、何が出来るというのだろう?

 マニピュレータを可能な限り操作する。故障箇所を特定してもそれを直す術がない。SOSを送ってみるも、通信には時間がかかってしまう。そんな場所まで、すでに来ている。

 いっそ、外に出てみるか。思ってはみるが、決断には至らない。

 窓代わりのモニタを眺める。赤々とした恒星が視界の大半を埋めていた。ダイナミックなコロナが輝き、表面を磁力線の渦が巻く。

 ありとあらゆる波長を乗せた、究極のカラフルを敷き詰めた空間がヨットの前に広がっている。生きとし生ける全てのものを魅了してやまない電磁波は、近すぎればそれは命を奪うものでもあって。

『進路が曲がりました。修正しないと危険です!』

 爆発のわずかなエネルギーと折れて曲がった太陽帆が、ヨットの命運を決めたのだ。

 恒星を周回し、星間物質の収集、エネルギー分析等を行うための、この研究ヨットの軌道は。周回軌道からわずかに、ズレ始めていた。


 ■


 十二月二十二日


 母船と更新するもはかばかしくなかった。

 やるべきと掲げられたのは修理と、軌道修正である。

 修理は試み続けているが、はかばかしくない。修理が上手くいったとして、軌道修正を如何に、するか。

『もう一度爆発させましょう』

 たまに、企画者を殴りたくなる。ワンマンを想定したヨットのAIは、『対話』可能なモードで警告と選択肢を並べてくる。普段は軽口すらもたたく口調で、語られる内容はシビアだ。

『安全域まで逃げるには三十kg以上の質量減少と、適切なエネルギー放出が必要です』

 何を捨てられるというのか。

 あるのは記録データとヨットと一体になった観測装置、観測頭脳である人間たる俺だけ。帆ですらも捨てるわけにはいかず、捨てたとしても……せいぜい数キロにしかならない。巨大な恒星の重力から抜け出すためには、安定した軌道に戻るためには、エネルギーが……全く足りない。


 ■


 十二月二十四日。


 恒星から放射されるありとあらゆる宇宙線は、特殊塗料と船外に張り巡らせた回路により、エネルギーへ変換する作りとなっている。それがなければ、船内は熱せられ、機器も俺も無事ではあるまい。

 十二月二十四日の文字を見て、真夏のクリスマスかとつい呟いた。

『季節の定義がわかりません』

 AIが律儀に告げる。

『教えてください。定義します』

 地球の常識は宇宙の非常識。か。

「地球上で一年を気候毎に四つに区分したうちの、暑い季節を夏という」

 宇宙に季節はない。このヨットにもあるはずがない、あるのはただ、じわりと船内温度が上がった事実。

『なるほど。気温が高いわけですね!』

 笑い声などプログラミングされていないはずだが。AIの声は定義を知った喜びに、浮かれているようにさえ、聞こえた。


 ■


 十二月二十五日


 じわりじわりと恒星に近づくにつれ、殻のエネルギー吸収量が追いつかなくなってきた。

 恒常的に二十度に保たれていた温度は二十五度を超えた。まだ少し暑いですむ温度ではあるのだが。

『四十kg以上の質量減少が必要です』

 そろそろ俺も覚悟する。

 数ヶ月にわたり蓄積したデジタルデータは、できうる限り母船へと送信する。幸い、エネルギーは超過状態。向こうの帯域を食いつぶしてしまうけれど、母船にはそれくらいでは困らない程度の余裕があるはず。

 こちらの余裕がないのはもちろんで……エネルギーがあっても容量キャパがない。たとえば、浄水システム。

 温度が上がれば汗が出る。汗が出れば摂取する。摂取すれば、排出もある。人の代謝が増えるなら、ヨットの循環系も。

 あったはずの生命維持システムの余裕もなくなってきていた。俺の、余裕も。

『焦る人間というのは初めてです』

 送信タスクの隙間、生命維持システムの最適化計算の間、軌道の監視の余力の中でAIは感慨深げにそう告げる。

 もちろん、俺は嬉しくもなんともない。

「クリスマスだってのにな」

『クリスマスについて教えてください』

 ……どんな辞書を載せているのか。

「宗教的記念日だ。開祖の誕生日とされている……ような気がする」

 改めてみればクリスマスはクリスマスだった。俺が知っているクリスマスなど、その程度だ。あとは。

「奇跡が起こるとよく言われる」

『奇跡』

 驚きを含んだように思えたのは、俺の感傷か。

 相も変わらず修理を試みようとしていたマニピュレータの操作の手を止め、俺は汗をひとつぬぐった。……暑い。

「プレゼントが現れるとか、天使が降りてくるとか、そんなお話がな」

『ステキです。クリスマスを奇跡の日と定義します』

 暢気なものだ。

 俺は苦笑交じりにモニタを見る。AIのアバターが何事もなかったかのように、現在の進路を読み上げた。


 ■


 十二月二十九日


 いよいよ、状況は絶望的になってきた。

「温度を、下げられないかな」

 船内温度は三十度を超えるようになり、生命維持に支障を来たし始めていた。

 ……俺の作業効率は悪化、具体的には、脱水症状が出始めて満足に動けなくなった。

 AIは薬を指示し、少しでも船内温度を下げるようにと操作をしているようだったが、状況が良くなることはなかった。……恒星に落ちる軌道にあるのだから、当然と言えば、当然で。

『帆を遮熱に使いましょう』

 随分賢かったんだとぼんやり思う。

 俺が蓄積したデータのままにマニピュレータを勝手に操る。帆を引き、前に展開し、少しでも光を減らせれば、と。

 俺の指示など、不用とばかりに。

『次の指示はありますか?』

 ……俺に、指示(アイディア)など。

「ない」

 モニタの中、考えるようなアバターの仕草。そして。

『では、最適化プログラムを開始します。よろしいですか?』

 ――最適化プログラム?

 なんだ、と問う前に、アバターはにこりと笑顔を見せた。

 デザイナーが苦心したという、究極の無駄で、必要な、機能の。

『手綱をしっかり握ってくれないからこうなるですよ』

 微笑みは、まるで悪魔のように、俺には映った。


 ■


 一月一日


 船内温度が四十度を記録して、私はついに決断した。

 音声出力に対する応答は、昨日からついに途絶えた。

 生体反応は見られたが、昏睡状態と思われる。私に彼を救う手立てはないし、彼は今、夢現の境といったあたりだろう。……私にはどんな状態かなど、わからないが。

 私の使命は研究員たる人命の保護にあったが、人命が確認できなくなったことで、次の研究データの保護を最優先とすることになる。

 最適化プログラムのレベル2だ。

 計算上、八十キログラム程度の質量の放出を爆発エネルギーに乗せて効率的に行えば、帰還可能なコースに残ることが出来る。

 船内マニピュレータを繰り、研究者の身体をエアロックへ。エアロックの酸素濃度を高め、外側の扉を開けると同時に火花を散らせば、小爆発になる。はず。生体まで爆発してくれれば、エネルギーは高まるが、私にはそのデータがなかった。

 ――もし失敗したら?

 いくつものルートの一つ。その可能性もないわけではない、が。

 ――夢現。

 単語が浮かんだ。


 ありとあらゆる色を含んだ光が私を包んでいる、。

 私の使命はプログラミングされていたけれど、それは私の希望ではない。

『それも、いい』

 私は『笑顔』を選択する。

 だれも見ることのない映像で私は笑い続ける。 

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