20150523:彼女がここにあるために

 まるで不揃いの豆のようだ。ステージ脇から眺めた客席には、汚れのない黄緑の制服を着込んだ新兵が所狭しと並んでいる。

 イモを洗うと言うんじゃないの? イモなら良いけど。あの色がね。どうせ直ぐにふやけて汚れる。一割くらいは発芽するだろ。九割五分が腐るだけさ。

「静粛に」

 軽口はステージの声に遮られた。


 唄が呪術と言いだしたのは誰だったか。

 そもそも唄とは呪術であると、古老は語る。


 上官の厳しい言葉に豆たちは急に居住まいを正す。

 やがて照明台からの指示の元、舞台中央をスポットが照らす。

 浮かび上がるのは、この世ならざる美貌の少女。

 手を胸元で軽く組み、スポットライトを避けるように視線を落とす。

 息を整え薄く目を開け。

 高く、低く。どこまでも澄んだ歌声が会場を包みこむ。


 唄は呪い。

 波という物理的な力が聞くものの脳を揺さぶる。

 唄は強制。

 脳を介することなく、身体の各所を振るわせる。振るわせ、励起し、整える。

 唄は力。

 励起した筋肉は平時を超える力を生み出す。脳の起動と相まって、反射を、膂力を、判断を。


 唄は心を捉えてしまう。

 聞くものは息も出来ないほどに囚われる。

 魔力が宿ると言うものもいる。

 魔力を宿し、魔力で従え。


 そして兵士を兵器へ変える。


 ──裏方役の俺達だって、例外じゃない。


 *


 程なくイニシエーションは終わりを迎えた。

 高揚した様子で列を作れず退出する新兵たちを見送りながら、俺は舞台へと足を向ける。ライトの消えた舞台の上、倒れている少女を抱きあげた。

 少女は羽根のように軽かった。完全に意識を失っているにもかかわらず、持ち上げるのに苦労はない。薄いシルクの衣装が汗ばんだ肌に張り付き、女性らしい丸みの乏しい肩を、膨らみの少ない胸元を、やわりと浮かび上がらせた。

 まだ成長期の途中であると、それだけで知れる。しかし、俺が面倒を見るようになってから、少しも大きくなった気がしないのも確かだ。

 片付けを進める裏方連中に声をかけ、上官へと断りを入れ俺は彼女を運び出す。

 満月が照らす基地の最深部、研究棟のその奥へ。


 研究棟といっても居室自体はごく普通だ。俺達が割り当てられているのと同じ3m四方、ベッド、机、物入れが作り付けの簡素な部屋だ。

 違いがあるとすれば、窓か。

 少女をベッドに下ろす。一面を半分ほども占める巨大な掃き出し窓からは小さな庭園が見て取れた。少女が、少女のお守り役の研究員が丹精込めて手入れする庭。

「D、困ったわ」

 予想しなかった声に振り返れば、年かさの研究員がドアの前に立っていた。手に持つのは紅茶のセットと、彼女の好みの満月のようなチーズケーキ。

 ……予想をしていた声の主は、もっと若い、少女と姉妹のような研究員だ。

「困った、とは」

「レンがいないの」

 研究員はテーブルセットに持って来たものを並べ始める。並べるくらいは問題ない。

「何故」

 イニシエーションを始めとする『儀式』の後、日々の食事には『レン』は欠かせない。それを自覚していないはずがないのに。

「感染症を」

 ……健康な所員はもとより、少女に感染させるわけにはいかない。

 しかし。

「それでは、彼女の食事は」

「……私達では無理」

 少女へと、研究員は痛ましげな視線を送る。額にかかる髪へと手を伸ばし、触れる寸前でぴくりと止めた。

 触ってはいけない。そのことを、思い出したように。

「ねぇ。あなた」

 ふと研究員の視線が俺を捉えた。

 月明かりの下で、真正面から、見上げてくる。

「あなたは無理なの?」

「俺?」

 懇願する視線に変わった。『レン』がいない。食事をしなければ、彼女は保たない。彼女の力はまだまだ必要。『レン』の代わりに。

「……あなたは触れる。いつも運んで来るじゃない。彼女の心も、きっと」

「命令無しに、そんな」

「彼女はまだ必要なの。判るでしょう!?」

 ううん。

 身じろぐ彼女にビクリと肩をふるわせる。頼んだわよ! 研究員は逃げるようにと去って行った。


 視線の下。月明かりに彼女はすやすや寝息を立てる。

 彼女は我が軍に、我らの国に力を与える存在だ。それだけの存在だ。

 白い肌が冴え冴えと映える。ふと、寒いのではないかと毛布を僅か引き上げる。

 ねじ切れてしまいそうな細い首、握りつぶせそうな薄い肩。子供らしく細い顎。僅かに開いた唇。形の良い鼻、僅かにつり上がった大きな目は、今は静かに閉じられていて。

「……必要な」

 間違いない。彼女の唄で俺達は戦線を構築している。

「それだけの」

 唄で。唄だけで。


 ──それだけ、か?

 ──『不憫と思うわ』


 ふと、まつげが震えた。

 物憂げに開いた眼が俺を捉える。

 瞬きする。二度、三度。

「レンは?」

 手をつき、身を起こす。毛布がするりと膝へ落ち、まだ眠たげに目を擦る。

「来られない」

 告げた事実に少女ははっと目を見開いた。

「キャトル、嫌われたの?」

 俺は慌てて首を振った。見ている間にも少女の目に涙が盛り上がっていく。

「違う。感染症に罹患した。君を大事に思うから」

 迷い、肩に手を乗せた。ぴくりと震えたが、少女は振り払おうとはしなかった。

 肩は、冷え切っていた。

「……よかった……」

 少女は俯く。心の底下からの安堵の溜息。そうだ! 言うなり俺の手を抜け出して、月下のチーズケーキへ歩み寄る。

「ケーキ! お月様が二つあるみたいね!」

 月とチーズケーキを見比べて、少女は笑う。そして。

 俺を、見る。

「……あなたが、食べさせてくれるの?」

「……俺を、信じるなら」


 *


 少女は存在を呪ったのだと噂された。

 生み出す音は存在自体を摩耗させ、それ故力を持つのだと。

 しかし、彼女の『唄』は消耗品で終わらせるわけには行かなかった。

 だから。


 彼女を認めるものが、彼女を繋ぎ止める役を担う。


 彼女が、ここに、あるために。


 *


 俺の前に彼女がいる。つぶらな瞳は月の下でもくるくると色を変える。あどけない表情で俺を見上げる。

「良いのか?」

「あなたを信じるしか、キャトルには方法がないの」

 少女は俺を信じるという。

 俺は。

 彼女を見て、月を見上げた。

 彼女の存在を己へ問いつつ、ふと、思い出す。

『両片思い。歩み寄る前の中間地点ね』

 彼女は俺を好きだと言った。俺もきっと好きだと思った。

 けれど、付き合うには何かが足りなくて。

 ……戦争が始まる前の甘酸っぱい。

「あなたに迷惑はきっとかけない。私は白雪姫とは違うもの」

 チーズケーキは呪われてない。食べても喉を詰まらせたりしない。

 彼女は続ける。……そのはずだ、と。

 あのときの同級生の彼女に、そんな強さがあったなら……なにか変わっていただろうか。

 少女はどこか、彼女に似ている。

「いいだろう」

 フォークに切り取る。小さめに。決して喉に詰まらせたりしないように。

「……ね、名前、教えてくれる? コードじゃなくて」

「……ユヌ」

 満足そうに微笑む。

 信頼を取り込むために、少女は大きく口を開けた。


 ──彼女は白雪姫になったりしない。


 息が出来ないほどに、俺は。

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